第七十二話 かつての仲間
大教会の葬儀は終わりを迎えていた。
エルフたちを誰も侮っていなかった。だからこそ集めた、一万五千。だが、その結果は無残なものであった。
生き残りは、ただの一人もいない。
その残酷な事実が、残された者たちの復讐心を焚きつける。
誰も語ることのない戦場は、次なる戦士たちの血を待ち受ける。
敗北の屈辱を拭い去る、来るべき決戦の時に備え、去っていく戦士たち。
彼らの鉄靴の音が消え去ると、大教会は再び深い静けさを取り戻した。
大教会の足元。葬歌も響かぬほどのさらに下──その場所には英雄の眠る地下聖堂がある。
立ち並ぶ墓標は、いずれも英雄たちのもの。
刻まれたばかりの新しい名前の前で、一人の修道女が祈りを捧げていた。
「どうか、安らかに──ヴィート……」 それは勇者の名。かつての仲間の名。
暗闇を僅かな燭火が照らす中、修道女は跪き、ただ一人で祈りを続けていた。
”カツン、カツン──” その静寂を破り、地下聖堂へと通じる石階段を、何者かが降りてくる。
この場所は、資格無き者の立ち入りは許されない、英雄たちの霊廟。
その足音だけでは、資格の有無など分からない。しかし、修道女だけは分かっていた。かつて、よく聞いた音だった。
足音は、彼女の背後で止まった。
しかし、何を言うでもなく、ただ静かに、彼女の祈りが終わるのを待っていた。
地下聖堂は静寂に包まれた。ここに人がいるとは分からぬほどに。
やがて、修道女は祈りの手を開いた。そして、立ち上がる。
「──探したよ。葬儀に参加していないから、まだ臥せっているのかと……」
足音の主は、修道女の背後から語りかけた。低い男の声が地下に響く。
「…………」 だが、彼女は何も応えなかった。男は再び口を開いた。
「俺を、恨んでいるか……?」 絞り出したその声に、ようやく彼女は振り向いた。
「……私が今生きているのは、貴方のおかげ。それだけは、嘘偽りのない真実」
彼女は答えた。振り向いた彼女に、今度は男の方が口を噤む。
「恨むというなら、グレン。貴方こそ──」
「そんなわけ、ないだろっ!」 継いだ言葉に、グレンは声を荒げた。
その体は震えていた。
彼女への怒り、ではない。自分への怒り。彼女にそんなことを言わせた自責。
「俺は……何も出来なかった。あの戦いで、何の役にも立たなかった……」
身を震わせながら出した声は掠れていた。
「誰一人守れなかったんだ。ローザ……。君を守ることも」
それは懺悔だった。男は修道女の前で懺悔した。
「ヴィートを殺したエルフを見逃すべきではなかった。リラが何と言っても、共にプルサチラと戦うべきだった」
「そうすれば……それができていれば……これほどの犠牲者を出さずに済んだかもしれない」
──勇者ヴィート、魔王の軍勢と勇敢に戦い、ここに王国を守る盾となる。
彼の碑文にはそう刻まれている。そこに、エルフの文字は無い。
真実を語ることは許されない。それが、グレンに課された罰だった。
ローザは黙して聞いていた。グレンの後悔を。その胸の内を。
「……俺は、臆病者だ」 その最後に吐き出した言葉にも、何も言わなかった。
「なあ、ローザ。俺を、恨んでいないのか……?」 同じ問い。
それは彼女に跪いての懇願だった。そうしてくれ、という。
ローザはグレンの正面を向いた。 「──何度でも言います」
「私が今生きているのは、貴方のおかげ。それは、嘘偽りのない真実」 そして、彼の手を取った。
「誰も、貴方を恨んでなんていない──」
その赦しに、グレンの瞳からは大粒の涙が零れる。
その涙は頬を伝い、落ちた先のローザの手を濡らした。
グレンは立ち上がる。
「……。ローザ。俺はもう、この王都に帰ることはないだろう」
「騎士団長は、俺に北部獣魔戦線への赴任を命じた」
その顔から表情は消えていた。流した涙は、もう乾いていた。
「最後に話せてよかった。ありがとう」
最も過酷な戦場に向かう彼の最後の言葉に、ローザは何も言えなかった。
彼を送り出す言葉など言えるわけがない。自分には、もうその資格がない。
ローザはグレンを恨んでいない。それに嘘偽りは無い。
だが、教会から離れられない自分は、自分が望む自分ではない。
でも、勇者が死んだ今、自分には今の自分以上の価値は無い。
ローザは、全部理解している。
ヴィートたちと旅ができたのは、能力を認められたからではない。
実力で選ばれたリラとは違う。魔法評議会が勇者の一行に自分を選んだのは、別の力によるものだ。
魔王を倒した勇者となれば、その栄誉は永遠のものとなる──。
それが叶わずとも、そのために命を散らせたならば、その名誉は百年続く──。
しかし、そのどちらも叶えられず。
その自分に、また彼に付いて行くなど、もうできないと分かっている。
だから、かつての仲間の背中を、黙って見送ることしかできなかった。
その、同じ十字架を背負う背中を。
地下聖堂の燭火は、静かに揺れる。二人の影を石壁に映して。




