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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第三章 聖地防衛作戦
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第七十話 そして、はじまり

 大きな揺れだった。

 山が唸り声を上げたように震え、斜面の岩石が次々と転がり落ちていった。

 俺にできることは、その岩の一つがこちらへ来ないことを祈るだけだった。


 少しずつ轟音が遠ざかる。揺れもだんだん弱くなると、やがて止んだ。

 静寂が戻ってくる。だが、いやな静けさだった。獣が息を潜めているような。


 俺は恐る恐る顔を上げた。見える景色は相変わらず、雪と岩ばかりだった。どこがどう変わったのかも分からない。

「大丈夫か? ヒース」 俺は、動揺を隠しながら、彼女に尋ねた。

「ええ。私は平気」 彼女も、息を落ち着かせながら応えた。


 幸いにも、俺たちは怪我を負わずに済んだようだ。

 だが、安心したのは束の間だった。別の心配が頭をよぎる。

 ──こんな揺れだ。もし、地下で崩落でも起きていたら。


 あの調査団の連中に恩はないが、そんなことは問題じゃなかった。

「ヒース、悪い。頂上には行けそうもない。あいつらの無事を確かめないと……」

 言った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。だが、放ってはおけなかった。


 三人の約束は、また果たせばいい──この時、俺はそう考えていた。


「……そうね」 ヒースは、少し寂しげだった。

 真っ直ぐ彼女を見れない俺を、哀れんでいるようでもあった。


「でも──」 山から吹く風が、彼女の髪を揺らす。

「私も一緒に行く。スタイン一人じゃ、困ることもあるでしょ」

 微笑んだその顔は、あの日と何も変わっていなかった。それが、俺には一番心強かった──。


 俺たちは足を速め、山を下っていった。

 急がなくてはいけない。そうは思うのに、胸の奥に何かが引っ掛かっていた。

 妙な胸騒ぎだった。調査団の連中が心配なのは確かだ。だが、正直に言えば、それほど深い付き合いでもない。

 それなのに、嫌な予感だけはどんどん大きくなった。その正体が何なのか、俺にはどうしても分からなかった。


 しばらくして、地下水路の入り口が見えてきた。

 入り口は塞がっていないようだ。俺は、不安を振り払うように、安堵の息を吐いた。

 だが、入口にいたはずの団員の姿はない。


「誰もいないな……」

 俺は周囲を見渡した。そこには、人の気配すらなかった。

 仲間を心配して中へ入ったのか。それとも、危険を察して逃げ出したのか。判断がつかない。

 俺は眉をひそめた。その暗い入口を前に、辺りはあまりにも静かだった。


 だがもし、中に取り残されているなら、迷ってる暇はない。

「ヒース。お前はここで待っていてくれ」 何も二人して、こんな危険を冒す必要はない。


「嫌」 だが、すぐさま返答が返ってきた。

「一緒に行くって言ったでしょ」 言い返すより早く、腕を掴まれる。

 無理して微笑む顔を見たら、俺は何も言えなくなった。


 本当は──俺は……いや、そうだな。俺は決心した。


 そして、再び地下水路へと視線を向けた。その時──俺は、見てはならないものを見た。


 闇が蠢いていた。

 何も見えないはずの暗闇で、確かに何かが動いている。

 得体の知れない何かは、その闇の深淵から、こちらを見ていた。


 俺はとっさに、剣を構えた。隣で、ヒースも杖を構えた。

 剣なんて、まともに振ったこともない。なのに、俺が逃げ出さなかったのは、この剣のおかげだろうか。それとも、守りたいものがあったからだろうか。俺にも、分からなかった。


 闇の中から、腕が伸びる。

 いや、”腕”のように見えただけ。それが本当に、腕なのかも定かじゃない。

 ただ、暗闇そのものが形を取って、ぬるりとこちらへ迫って来た。


「ッ――!」 考えるより先に体が動いた。咄嗟に剣を振るう。

 剣術なんて知らない俺の剣が、闇をかすめる。かすめたように見えた。当たったのかも分からない。まるで感触がない。

 本当に、ただ闇に剣を振るっただけの手応えしかなかった。


 しかし、それだけの攻撃で、闇の手は動きを戻した。

 効いたのか──? そもそも、今のが何だったのかさえ、何一つ分からなかった。


 次の手が、今度はヒースを襲う。

 だが、彼女は動じていなかった。すでに、呪文は唱え終えている。

 水路に繋がる湖面が震え、水が立ち上がる。それは、俺たちが出会った時の、あの水蛇の魔法だった。


 巨大な蛇のようにうねる水流が闇へと噛みつく。濁流は闇の手を飲み込み、そのまま押し流した。

 だが、消し飛んだはずの闇は、しばらくすると煙のようにまた集まり始めた。何事もなかったかのように。


 なんなんだ、これは? 多分、ヒースも同じことを思っただろう。


 呼吸を整える。だが、上手くいかなかった。

 まだ、怪我もしてない。大したこともしちゃいない。

 それなのに、体は正直だった。心臓が、嫌な音を立てていた。


 本能は叫んでいた。戦うな、と。逃げろ、と。


 その瞬間だった。

 まるで、俺たちの恐怖を嗅ぎつけたように、闇が大きく広がる。その暗黒の中から、数えきれないほどの腕が溢れ出し、一斉に俺たちへ襲い掛かった。


 それは、あまりにも数が多すぎた。

「ヒース!!」 叫びながら、俺は彼女の前へ飛び出した。

 魔法じゃ、こんな全方位の攻撃に間に合わない。いい考えがあったわけじゃない。せめて、俺が盾になるしかなかった。


 俺は、必死に剣を振るった。元からやれることはそれしかない。右から来た手を払い。振り返りざまに左を斬る。

 ただそれだけの、俺の下手糞な剣は、敵の数に通じるはずもなかった。


 闇の手が一つ、俺の剣をすり抜ける。そして、腹にめり込んだ。

「がッ──!」

 内臓がひっくり返りそうな衝撃に、呼吸が止まる。動きが止まった一瞬の隙を、見逃さず闇の手は畳み掛ける。

 無数の衝撃が容赦なく俺を襲った。俺の体はいとも簡単に弾き飛ばされた。

 俺は、ヒースを庇うことすら出来なかった。


 体が宙を舞う。まったく抗うことも出来ず、そのまま背後の湖に、俺の体は沈んでいった。

”……ヒース” 意識が遠のく。視界が暗くなる。

 体の上下も定かでないまま、彼女の無事だけが気になった。


 くそ……情けない、体が動かない。

 ──いつもそうだ。俺はその場しのぎで、運任せで、なんとかなってただけだ。

 体が溶けていくみたいだった。冷たい水の中に。


”エゲプロン……” もう一人の友人の顔が浮かぶ。

 ──ごめん。あんたの剣は、無駄になりそうだ。

 意識が薄れていく。体も限界だ。俺は、このまま……


 でも……この手には、まだ、エゲプロンの剣が握られていた。


 ……ああ、そうだ。俺はいつだってそうだ。

 ……いつも、いつも、最後の最後になってからの神頼みだ。


 ──神よ。どうぞ、痛みも、苦しみも、好きなだけ与えて下さい。だからどうか……あと少しだけ、生かせ。


 湖に、光の柱が立ち上がった。

 自分でもどうやったのか分からない。俺は、水の上に立っていた。

 

 ──なんだよ神様。俺が大好きかよ。


 ふと、視界の先で、ヒースが倒れている。

(ごめん。守れなかった……) 剣を握る手に力がこもる。

(でも、あいつは、倒すから──) 俺は水面を蹴り、駆け出した。


 一直線に、敵へと迫る。そこに、無数の手が伸びてくる。

 だが今は、その動きがよく見えた。剣すら使わず、体が自然と攻撃を避ける。

 ──こんなのに構っていてもしょうがない。本体だ。あの闇の中に、切り込まないと。


 最小限の動きで敵の攻撃を躱しつつ、地下水路の闇の中へと、俺は突入した。

 その瞬間、闇は激しく蠢き出す。それは、その奥に潜む何かの意志を表していた。


 ──そうか、お前も怖いのか。


 闇が脈打つ。それは、次の攻撃の力を溜めてるみたいだった。

 俺は剣を構える。刃の白光が、激しさを増す。


 次の瞬間──光と闇が交差した。



 ──「……イン! スタイン!」

 俺を呼ぶ声がする。うるさいな。寝かしてくれよ。


「スタイン! スタイン!」

 体まで揺らしてきやがる。なんだよ、わかったから。目を、ゆっくりと開けた。


(ああ……ヒースか)

(ボロボロじゃないか。でも……よかった。生きてて……)

 ああ、思い出した。それが分かっただけで、十分だ。だから……泣くなよ。


「スタ──! ス──!」

 静かに、なってきた。わかって、くれたか。そう……もうちょっと、寝かしてくれ。


(こんなに、早く会いに行ったら、あんたは怒るかな……)

(それとも、笑ってくれる、かな……)


「なあ……」 約束は、また、な……


 ──『魔界門』は、開かれた。

 長き時の白き封印は解かれ、人の世界と、魔の世界は繋がった。


 その闇を、たった一人の男が退けた。

 彼は、英雄として生きたわけでもなく、世界を救おうとしたわけでもない、ただの名もなき村人だった。


 だが、闇は滅んではいない。

 ほんのわずかな、束の間の猶予を生んだに過ぎなかった。

 門は開かれたまま、闇はまた必ず蠢き出す。


 戦いのあと、残されたひと振りの剣は、何も語らぬまま、スタインの生家へと届けられた。

 その白き輝きは、人の未来を静かに照らしていた。


第三章 聖地防衛作戦 完

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