第六十九話 すべての終わり
少しだけ。本当に少しだけ。俺は苦痛から救われた気がした。
ヒースも同じだったのかもしれない。彼女の顔からは、さっきまでの暗さが少しだけ消えていた。
「……さあ、行こう」 俺たちは歩き出した。彼の住処を後にして。
本当は、その前に調査団のところによって、事情を説明するべきだった。だけど。
──すべてを理解してもらうのは、無理だな。
そう思ったら、その必要もないように思えた。連中も、調査に関係ないことに、時間を割かれたくはないだろう。
俺は、ヒースと頂上を目指した。
前と同じ山道。だが、不思議と景色は違って見えた。
あの時は、何も知らなかった。だけど今は、自分の事も、世の中の事も、ある程度ならみえるようになった。
あの日見た、頂上からの景色に比べたら、ほんの少しの世界の欠片に過ぎないが……。
たった、それだけのこと。それだけのことが、俺に、見える景色を変えさせていた。
そして、もう一つ。あの時とは、違うものがあった。
隣を歩くヒースは、前とはまるで違って、真剣に山を登っていた。
見た目は全く変わらない。なのに、子供っぽさはまるで消えている。俺は、それが少し気になった。
そういえば、ここに来てから俺の事ばかり話して、彼女の話は聞いていなかったと気付く。
「なあ、ヒース。あれから、どうしてたんだ?」 そんな言葉が、自然と漏れた。
だが、その俺の何気ない疑問が、ヒースの足を止めた。
彼女が隣から消えたことに気付き、俺は振り向いた。
その場で佇むヒースは、何もしゃべらなかった。ただ、俺を見つめていた。その瞳は、涙をためているようにも見えた。
──今の言葉で、傷つけたんだろうか。
言葉が詰まる。彼女との間に沈黙が横たわる。
それでも、何か言葉を掛けよう。そう思った、その時だった──
突然、地面が揺らいだ。大きな地震。
声をあげる暇もなく、俺とヒースは激しい揺れに立っていられなくなり、這いつくばるようにして地に組み伏せられた。
巨人が踏み鳴らすような大地の震えは、いつまでも終わらない。
俺たちはただ、互いに手を取り合い、暴れる地面にしがみつくことしかできなかった。
◆
巨人の骨の空洞──
「レンヴェール隊長。この巨人の骨は、未知の鉱物であることは疑いようもありません」
副隊長トーケは、仲間の調査結果をまとめながら報告した。
「こちらが用意したいかなる刃も通さず、薬品による浸食も起こさない」 白い柱へ視線を向ける。
「このようなことは、既知の金属ではできません。これは、伝承に語られる『ミスリル』なのでしょうか」
トーケの声には興奮が滲んでいた。普段は平静な彼だが、無理もない。
人生をかけて追い続けた巨人神話の証拠を、目の前にしているのだから。
トーケの問いに、レンヴェールはすぐには答えなかった。
「……。月の銀『ミスリル』──天界を流れる星河にも例えられる金属」 静かに呟く。
見上げる柱の姿は、まるで地上の理から切り離された異物だった。
そして、小さく首を振る。 「まだ、結論を急ぐべきではありません」
その眼差しは冷静だった。人生を賭けた発見を前にしてもなお、いや、だからこそ、彼は慎重だった。
「できることなら、持ち帰りたいものですが……」 彼は苦笑する。
「如何なる手段でも切り出せないのであれば、周囲から削り出すしかないでしょう」
そう言いながら、柱の周囲へと目を向ける。
「そうなると、我々だけでは手に負えません。一旦王国に帰り、王の助力を仰がねば」
「ええ」 トーケは頷いた。
いま目にしているものが、どれほどのものなのか。
露出している部分が全てなのか。あるいは、巨大な何かの一部なのか。まだ、誰にも分からない。
それで構わなかった。分からないからこそ知りたい。まだ解き明かされていないから解明したい。
未知がある──ただそれだけが、探求者である彼らには甘美な蜜だった。
レンヴェールもまた、その誘惑に抗えなかった。
おもむろに、巨人の骨の根元へ近づく。手を伸ばし、その表面から命のような温もりを感じた、その時。
”――ゴゥン” 足元のさらに奥から、巨大な鐘を鳴らしたような音が響いた。
団員たちが顔を上げる。 「今のは……?」
不気味な音に皆が不安を抱く中、コツン、と地面の小石が一つ転がった。
たったそれだけの、小さな異変が注目を集める。レンヴェールやトーケすら、視線を向けた。
次の瞬間──今度は明確に、地面が揺れ始めた。
空洞全体が軋む。石がいくつも転がり、天井からは砂がぱらぱらと落ちた。
次第にその揺れが強くなる。皆、立っていられなくなり、地面に伏した。
この地下空洞が崩落でもしたら──その恐怖が広がる。
揺れが続く中で、レンヴェールは確かに見た。
目の前の白い柱が、真上にせり上がっていくのを。
彼ですら、その有り得ない光景に、これが現実であるとは信じ切れていなかった。
ゆっくりと揺れが収まる。崩落は免れ、団員はまばらに立ち上がり始める。
皆が互いの無事を確認する中、隊長であるレンヴェールは、一点からまったく目を離せないでいた。
本来であれば、余震に備え、すぐにでも皆に撤退を指示するべきだった。だが彼は、それすら忘れていた。いや、放棄した。
続いてその異常に気付いたのは、トーケだった。
指示を仰ぐために向けたその視線の先には、信じられない光景が待っていた。
自分たちが先ほどまで調査していた巨人の骨が、丸ごと姿を消していたのだ。
いや、だがそれよりも、彼が信じられなかったのは、その先にあった。
暗黒──
柱が消え失せた先には、暗黒が広がっていた。
徐々に、団員もそこに視線を向ける。それを見た誰もが、その闇から目を離せなくなっていた。
レンヴェールは立ち上がる。
その目は闇を見据えたまま、まだ何も分からぬまま、彼は背後の団員に対して拳を高く突き上げた。
その姿に、団員たちから声が上がる。まばらだったそれは、次第に悲鳴にも似た歓声となった。
それは、紛れもなく彼らが追い求めていた、神話の遺物だった。
彼らに、それがなんであるかは、知る由もない。純粋に、ただ未知を求めた長い旅路の終着点。それだけのもの。
すなわち、彼らは覚悟していたのだ。
その悲願が成就する時、それは人間の理解が及ばぬどころか、神に触れる禁忌となる事を──
見てはいけない。
彼らにも、その意識はあった。それは、本能だったのかもしれない。
それなのに目を逸らせない。未知への渇望が、恐怖より勝っていた。
一瞬、闇が揺れる。
誰もがそれを見た。確かに、暗黒の向こう側から伸びる手を目撃した。
そして、レンヴェールの伸ばした腕を掴み、闇の中へ引きずり込んだ。
一切の抵抗も許さず、悲鳴すら闇の中へ消えていった。
誰もがそれを見た。確かに、彼が消えるのを目撃した。
「隊長!」 トーケが叫ぶ。
だが、それはもうすべてが終わったあとだった。
そして、静寂が訪れた。何事もなかったかのように。
誰も動けなかった。理解が追いつかなかった。目の前の光景を、信じることができなかった。今起きたことを、受け入れられなかった。
隊長が消えたのに、残された者たちはただ、立ち尽くした。
闇が揺れる。まるで呼吸でもするかのように。
彼らは、誰も動けなかった。その彼らを、闇が見つめる。闇もまた意志を持ち、じわりと蠢く。
そして、静かに闇は広がった。




