第六十八話 別離
ヒースは、これまでのことを話してくれた。
やっぱり、俺の予感は当たっていた。エゲプロンはもう、満足に歩けなくなっていた。
立ち上がるだけでも一苦労で、最近では寝床から離れることも少ないという。彼が歩けなくなってからは、ヒースがずっとここで身の回りの世話をしているらしかった。
話を聞いているうちに、胸の奥がだんだん重くなる。もっと早く来ればよかった──そんな後悔が頭をよぎる。
いや、今からだって遅くないはずだ。
村へ連れて帰ればいい。ドワーフが一人増えたところで誰も困らないだろうし、子供たちだってきっと喜ぶ。
ちょうど調査団もいる。帰る時に頼めばいい。そうだ。俺が受け取るはずだった報酬を、全部使ったって構わない。
だから――。俺は、それとなくエゲプロンに提案してみた。
「ありがとう、スタイン」 彼は、とても穏やかに笑った。
でも── 「じゃがの、儂はもう、ここに骨を埋めると決めておる」
その視線はゆっくりと、住み慣れた岩の天井へ向けられる。その優しい瞳には、ドワーフの力強い信念が映っていた。
俺は言葉に詰まる。結局、 「そうか……」 としか言えなかった。
約束は果たせそうにない。いや……それ以上のことすら。俺は未来に抵抗するように、そこで考えるのをやめた。
代わりに俺は、話を始めた。
これまでの時間を埋めるように、あの日別れてからの事を二人に話した。
村へ帰ったあと、教会の娘と仲良くなったこと。結婚して、子供が生まれたこと。どうでもいい失敗談や、酒場での馬鹿話まで。
思いつくままに話した。あの日の続きを聞いて欲しかったんだ。そうだ、俺の人生は、この山に登って変わったんだ。
そんな俺のとりとめもない話を、二人はいつまでも聞いてくれていた──。
やがて、俺の話もひと段落すると、それまで静かに聞いていたエゲプロンが口を開いた。
「……楽しい話を、ありがとう」 その言葉には、不思議な重みがあった。
「そうじゃな」 エゲプロンは小さく笑った。
「この礼と言ってはなんじゃが、お主に一つ、良いものをやろう」
──良いもの? なんだろうな。干し葡萄か?
ふと、そんなことを思い出した。ま、俺のどうでもいい人生話の駄賃なら、そのくらいが丁度いいのかもしれない。
「ヒース。あれを持ってきてくれんかの」
そう言うと、エゲプロンは苦しそうに身体を起こそうとした。俺は慌てて肩を支える。本当に、しんどそうだった。
やがてヒースが、布に包まれた細長いものを持ってきた。
「……実はな。あれから、あの白い柱のところで、面白いものを見つけたんじゃ」
エゲプロンは布へ手を伸ばした。震える指で、ゆっくりと包みを解いていく。
「あの柱は、どうやっても傷一つ付かなんだ」 布が少しずつ落ちる。
「じゃから儂は、埋まっている岩の方をな、少し削ってみたんじゃ」
松明の灯りを受けて、それは静かに光を返す。
「そうしたら、これが出てきた」 布から現れたのは、一振りの剣だった。
「これは元々、あの白い柱の欠片じゃ」 エゲプロンは剣身をそっと撫でる。
「ちょうど良い大きさじゃったから、あの柱で研いでな、剣にしてみたんじゃ」
その刃は、本当に剣なのか疑うような、鋼とは違う透き通るような光沢があった。
俺の目が、その美しさに奪われているところに、彼は話を続けた。
「儂は掘るひと筋で、鍛冶仕事はあまりやってこなんだ。じゃから、不細工な出来じゃが、良かったら受け取ってくれ」
そして、震える手で俺に渡してきた。
俺はしばらく動けなかった。
謙遜にもほどがある。確かに柄の方はあり合わせの質素なもんだが、こんな刃の輝きは見たことがない。
とても俺が持っていいような剣じゃない。
──だけど、そんなことは言えなかった。
「ありがとう」 それだけを言うのが精一杯だった。
「うむ」 エゲプロンは満足そうに頷いた。
しかし、その剣を握りしめた俺に、彼が次に向けた言葉は、その資格を試すものだった。
「スタイン。申し訳ないがの」 彼は真っすぐ俺を見る。
「その剣で、この部屋の入り口を封じてもらえんかの」
俺は耳を疑った。でも、聞き返したりはしなかった。ただ、何も言えず、剣を握る拳に力を込める。
そのお願いは、そうしていないと投げ捨ててしまいそうなほど、重すぎた。
「ダメよ、そんなの。スタインが来てくれたんだもの。まだ、時間はあるじゃない」
ヒースが俺の気持ちを代弁してくれた。
──ああ、そうだ。なにも、こんなに急ぐことはない。なのに。
「いいんじゃよ……。儂は十分すぎるほど、長く生きた」
──いや、でも。勝手に、納得するな。
「今日まで命が続いたのは、お主との再会が約束されていたからじゃ。もう、何一つ後悔はない」
──あるよ、俺には。後悔だらけだ。
「ありがとう。スタイン」
────
俺は立ち上がると、何も言わず、ヒースの肩へ手を置いた。
彼女は赤くなった瞳で、俺の顔を見上げる。そして、すべてを分かってくれた。
俺たちは、彼の住処を後にした。決して、振り返らないように外へ出た。
入口を支える柱の前に立つ。ひとつ、息を吐く。そして、握りしめた剣を、思い切り振り下ろした。
綺麗な白い一閃だった。まともに剣を振るったことなどない俺が、打てるはずのない剣筋。
次の瞬間。太い柱は、まるで乾いた薪みたいに断ち切られた。
支えを失い、岩石が沈む。土砂が雪崩れ込み、入口を埋め尽くす。
そこにはもう、先に続く道は残っていなかった。
「……なあ、ヒース」 音が止んで、俺はやっと声を出すことができた。
「もう一度、この山を登らないか。この剣と一緒に」
俺は、まだ約束を果たそうとしているんだろうか。
それとも、まだ終わりにはしたくなかっただけ、なんだろうか。
「ええ、もちろん。もう一度、三人で」
それでも、彼女は笑って応えてくれた。




