第六十五話 巨人の骨
──「なん、じゃ……うな、これ、は……」
「すご……、おっきい。真っ白……、こんな、の今まで、見た……ない」
ぼやけた意識の底で、聞き慣れた声が揺れていた。
その声に引っぱり上げられるみたいに、俺はゆっくり目を開ける。
……ああ。なんだか、この感じ、覚えがある。目は開いているのに、頭はまだ霞んでいて、体も自分のものじゃないみたいに重い。
たが、そのおかげで、ひとつだけ分かることがあった。 ──ああ、俺は、まだ死んでない。
声のする方へ顔を向ける。エゲプロンとヒースは、俺が目を覚ましたことにも気づかず、揃って何かを見上げていた。
その視線につられて、俺も顔を上げる。
「……なんだ、これ?」
はっきりしない頭が、目に映る光景を拒むように、自然と間抜けな声が漏れた。
たぶん、ここは地下だ。
山の下にぽっかり空いていた、巨大な空洞。その天井には、大きな穴が開いていた。あれが、俺たちが落ちてきた穴だ。たぶん、そう。
外に比べれば、ここは随分と暖かい。エゲプロンの住んでいたところもそうだったが、意外と地下は住みやすいのかもしれない。
穴から差し込む細い光だけが、この場所をぼんやり照らしていた。そのわずかな光を受けて、目の前の”これ”は、キラキラと白く滑らかに輝いていた。
俺が立ち上がって近づいても、二人は振り返りもしない。
二人が目を奪われている理由は、綺麗だからってわけじゃない。
デカいんだ。圧倒的に。それは地下空洞の中央を、上から下までまるごと貫いていた。いったい、どこまで続いているのか見当もつかない。
それに、近づいてようやく、もう一つの理由が分かった。
”これ”は温かい。
俺がまだぼんやりしているせいか、とも思ったが、違う。
こんな馬鹿デカい白い柱が、熱を放っている。火の近くみたいな暖かさじゃない。生き物の、犬の腹に手を当てた時みたいな熱だった。
──この部屋の暖かさは、”これ”のせいだ。
それだけは分かった。だけど、それ以外のことは、何も分からなかった。
「なんなんだろうな、これ」 半分独り言みたいに呟く。
「お? 目が覚めなさったか」 エゲプロンが、ようやくこちらを見る。
「いや、儂にもさっぱりじゃ。こんなもの、今まで見たこともない」
エゲプロンさえ見たことがないってなら、珍しい鉱石ってことでもないらしい。
そもそも、これが自然物とは思えない。こんなに均一で、直線的なものが自然にできるわけがない。
「巨人の骨。とかだったりして」 ヒースが、冗談めかして言う。
確かに、そりゃ笑える冗談だ。骨だってなら、これはどこかの一部ってことだ。
もしこれが、本当に骨の一部分が見えてるだけだったら……。その全身は、たぶん、この山なんか軽々と越えちまう。
でも、笑えなかった。
目の前のものを見ていると、不思議と有り得ない、とも言い切れなかった。
妙に温かく、磨き抜かれた蛋白石みたいな巨大な柱を見上げているだけで、自分の方が小さくなっていくような気分になった。
その”巨人の骨”には、裂け目があった。いや、裂けているかは定かじゃない。
大きな骨の柱は二つに分かれていて、その間には確かに隙間がある。分かるのはそれだけだ。
実は繋がっているのかもしれないし、門みたいに開くのかもしれいない。その隙間の向こうがどうなっているか、まったく分からない。
──でも、なんだろうな。分からないってのは人の心をくすぐる。
「なあ、この向こうはどうなってるんだろう」 そんな疑問が、自然と口を突いて出た。
「どうって……。山、じゃない?」 ヒースは呆れたように返す。
……。まあ、そりゃそうだ。
もし反対側にも同じような空洞があって、俺たちがそっちへ落ちていたなら、きっと今度はこっち側を同じように考えただろう。
見えない場所ってだけで、人は勝手に特別な何かを期待する。で、真実は大抵……な。
事の真相なんて、そんなもんなのが世の常だ。
俺がぼんやりそんなことを考えている間にも、エゲプロンは白柱を熱心に調べ回っていた。
……やっぱり、ドワーフの血ってやつが騒ぐのだろうか。
近づいて撫でるように触れたり、顔を寄せて表面を眺めたり。ついにはハンマーを振り上げる。
(いやいやいや、ちょっと待て!) と思った時には、もう遅かった。
”カーーン……!!” と、甲高い金属音が響く。
だけど、それだけだった。その表面は傷ひとつ付かず、ハンマーを跳ね返した。
俺は胸をなでおろした。もし、それでこの柱が壊れたりしたら、俺たちはここに生き埋めだ。
ひび一つ入らなかった柱を見て、俺はホッとした。
もし本当に万が一。この一発で、巨人が目を覚ましたら──
なーんてことは、俺は考えもしなかった。……いや、本当に。
エゲプロンは難しい顔のまま首を振る。
俺たちは、目の前にある巨大な柱をもう一度見上げながら、正体を掴めないまま立ち尽くした。
結局それから、押しても引いてもどうにもならなくて、そうこうしてる間に、ついに日が暗くなってきた。
ここから出る方法を探さなきゃならない。本当なら。
でも、今から外に出たら、真っ暗な雪と風の山の中だ。それを思えば、この空洞はまだずっとマシだった。
因果なもんだ。
後先考えず無茶な登山をして、偶然この空洞に落ちて、なんとか凍えずに済んでいる。この心地いい温かさを提供してくれているのは、なんとも不気味な巨大な柱だ。
いっそ見なかったことにして、今すぐにでもここから立ち去りたい。本当なら、な。
俺は迷っていた。まあ……、答えは決まっていたようなもんだったが。
「さてと、では準備をするかの」
そんな俺のそばで、エゲプロンは荷物を降ろし、火を起こし始めた。ここで夜を越すのが当然であるかのように。
俺は、ヒースと顔を見合わせた。それ以外の選択肢は、無い──その了解を得て、俺は彼を手伝った。
──火を囲み、ようやく落ち着いたところで、エゲプロンはまたあの旨い飯を出してくれた。
相変わらず、何の食材なのかはさっぱり分からない。ドワーフ秘伝の保存食なんだろうか。
……まあ、ここまで旨く食えるなら、食材の正体なんて知らないほうが幸せかもしれない。
外の吹雪が入り込んでくる冷えた空気の中で、湯気の立つ飯は、それだけで妙に安心感があった。
しかし、俺とエゲプロンが食っている横で、ヒースだけは、なかなか手を付けようとしなかった。
気持ちは分かる。見た目は、正直あまりよろしくない。少なくとも、美味そうには見えない。
いや、そもそもエルフの味覚には合わないのかもしれないな……。
そんなことを考えていると、俺より先に、エゲプロンがヒースへ声をかけた。
「無理して食う必要はないぞ。別のものもある。干し葡萄ならどうじゃ?」
──あるのかよ、干し葡萄。
なんて言葉を飲み込んだ俺を挟んで、ヒースは少し困ったように笑った。
「いいわよ。そんなに気を使わなくても――」
そう言いながら、恐る恐る料理を口へ運ぶ。そして、飲み込んだ瞬間、ぱっと表情が変わった。
「……おいしい」 ……だよな。そうなんだよ。
ヒースは一度エゲプロンをチラ見して、それからは躊躇いなく食べ始めた。
その様子を見て、俺もエゲプロンも自然と笑顔が零れた。
この時だけは、外の吹雪も、地下の暗い空洞も、正体不明の白い柱も、すべて少し遠くに感じた。
その日の夜は、楽しかった。
今日、偶然出会ったばかりのはずなのに、長年の友と食卓を囲んでいるかのように、会話が弾んだ。
このままずっと、この時間が続けばいい、と思えてしまうほどに──




