第六十四話 1000年前・続
──巨人の住処に、巨人はいなかった。
俺は山頂からの景色の最後に、そんな事を考えた。がらにもなく。
そんなことが分かったって、だから何だって話なんだが……。ま、酒場の与太話には丁度いいか。
そんなことを考えているうちに、風がますます強くなってきた。
「さて。それじゃあ、とっとと帰ろうか」 俺は、エゲプロンとヒースに声を掛けた。
「そうじゃの。ここにおっても凍えるだけじゃ。じゃがの……」
エゲプロンは来た道を振り向く。その顔は、続く言葉を飲み込んで膨れる。
……まあ、言いたいことは分かる。そうだ、またこの道を通らなくちゃ帰れない。こりゃ、だいぶ骨が折れる。いや、それだけじゃない。
そこを通り抜けたとしても、多分、途中で日が暮れる。
そうなったら、酒場の笑い話じゃ済まない。今のこの状況は、結構ヤバいかもしれない。ただでさえ計画性のない登山に、無駄な時間が余計にかかったツケが、ここに来て回ってきたみたいだ。
「……ねぇ、この岩に乗って、滑り降りるのはどう?」
ヒースは、なんとか三人が乗れそうな大きさの岩を指さして、そんなとんでもない事を言ってきた。
冗談じゃない。お前はそれがどんな大惨事を引き起こすのか知っているのか。俺は知ってるぞ。と、体験者は語る。
絶対ろくなことにならない。
――とはいえ。今の俺たちに、その“ろくでもない案”を突っぱねる余裕があるかと言われれば、ない。
「……で、どうやって止める? そのまま麓まで一直線、なんて都合よくいくわけないだろ」
俺は、ヒースにちゃんとした考えがあるのか探ってみた。
「そんなの、私の魔法でなんとかなるわよ」 ヒースは笑う。
「風の抵抗を強くするとか、岩の背中をトゲトゲにするとか」
思っていたより、まともな答えが返ってきて、少し驚いた。それなら、いいか……。やってみる価値はあるかもしれない。
「……。よし! ヒース、エゲプロン。やってみるか」
このままでいても、状況は良くならない。他にいい案も思いつかないし、ヒースの魔法に賭けてみよう。
俺たちは狭い岩の上に体を寄せ合い、振り落とされないように足場を確かめる。
すると、斜面に半ば引っかかるようにして止まっていた岩は、三人分の重みを受けて、ゆっくりと動き出した。
雪を噛む鈍い音。それは、俺に嫌な記憶を思い出させた。
岩の速度が、ぐんぐん上がっていく。登るのにあれだけ苦労した岩肌も、あっという間に消えていく。
ありがたいことに、行く手を塞ぐような障害は、まだ見えない。それだけが救いだった。
雪と岩が入り混じる斜面を、ガタガタと派手に揺れながら、俺たちは猛スピードで滑り降りていく。
怖い。――そりゃ、怖い。
なのに、不思議と笑いがこみ上げてくる。三人で体を寄せ合っているせいなのか。
それとも、どこかで今までみたいにどうにかなるだろ、って思ってるのか。
──今にして思えば、それが一番まずかった。
俺は、今日学んだはずだ。それも、二回も。
いちばん気分のいい最高の瞬間のすぐ後ろには、いちばん最低な気分が、ちゃんと口を開けて待っているってことを。
限界まで加速した岩橇は、ほんのちょっとの出っ張りに弾かれて、信じられないくらい軽々と跳ねた。
橇が空を飛ぶ。下ってるはずなのに、地面が遠ざかる。内臓がふわりと持ち上がって、体が嘘みたいに軽くなる。
ちゃんと見たわけじゃないが、エゲプロンもヒースも、その瞬間は、俺と同じ顔をしていたと思う。
体が浮かび上りながら、俺は思い出していた。今日、これとまったく同じ場面があったことを。
分かってる。神様だって、そう何度も都合よく手を貸しちゃくれない。
だから、ダメもとで神に祈った。だって、それしか出来なかったから。
──どうか、三人共々、痛みなくあなたの御許にお召ください。 って。
岩橇が頂点を越える。そして、万物の法則に従って下降に転じた、そのときだった。
エゲプロンが、ふいに橇から手を離した。同時に、俺とヒースの体をその太い腕が掴む。あいつはそのまま、自分ごと俺たちを橇から引き離した。
いや、びっくりしたよ。このままじゃどうにもならないからって、こんなことしても何にもならないのに。
案の定、エゲプロンは空を飛べるわけもなく、そのまま真下へ落ちていく。俺は、飛んで行く岩橇を目で追うことしかできなかった。
それでもエゲプロンは、俺たちを離さなかった。それどころかより強く引き寄せる。
──まさか、自分の体で俺たちを守ろうって言うのか。
下は雪のない岩肌、前みたいに雪が衝撃を吸収したりはしない。ドワーフの体一つで、俺たちを守れるなんて到底思えない。俺は、覚悟を決めた。
そのときだ。
落ちていく中で、エゲプロンの体から突き出た、ヒースの杖が地面を向いた。
直後に、何かの呪文を唱えた声がした。この状況じゃ、なんて言ってたかは分からない。
呪文が終わったとき、杖の先の地面が動いた。
岩の瓦礫を押しのけるようにして、その下の土が盛り上がる。ありえない勢いで突き上がったそれは、まるで巨大な掌みたいに、俺たちを迎えにきた。
落ちていたはずの俺たちは、その大きな塊に包み込まれる。受け止められた、というよりは、呑み込まれた、に近い。
そのまま、中を滑るようにして、ぐしゃぐしゃの土に揉まれながら、下へ、下へと運ばれていく。息が詰まる。視界は暗い。上下も分からない。
でも、苦しいってことは、まだ生きてるっていう証明だった。ただ、まだ死なないって保証はどこにもなかったが。
その長さは、ほんの数瞬だったと思う。それこそ、あの高さから真っ逆さまに落ちるのと同じくらいの。なのに、その時間はとても長かった。一生続くのかと思うほど。
――で、結局。最後に、ボトリ、と雑に地面へ放り出された。
土まみれのまま、大きく息を吐いて、もう一度吸い直す。
投げ出された体は、しばらくはその場から動けなかった。怪我はない、ただ、起こったことに体が驚いてるみたいだった。
ヒースも、エゲプロンも同じらしい。誰もすぐには起き上がらない。
……でも、三人とも生きている。それだけで、十分だ。
いや、違うな。十分どころか、これ以上望んだら罰が当たる。神様もきっと、これが精一杯だったんだろう。
そういうことに、しておこう。
「その、なんだ……」
横に転がっている二人に、声をかける。うまい言葉なんて出てこない。ただ、言わなきゃいけない気がした。
「ありが――」 そこまでで、言い終えることはできなかった。
恥ずかしかった訳じゃない。否定はしきれないが……。俺はちゃんと言ったつもりだった。でも、できなかった。
──なぜって、足元の地面が割れて無くなったから。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。ただ、体を支えていたはずのものが、急に無くなっただけだ。
次の瞬間には、もう遅い。俺は、ヒースも、エゲプロンも、そのまま割れた地面に呑み込まれた。
――で、みんなで仲良く落ちていった。
その中で、多分、俺だけがこう思ってた。 「またかよ」 って。




