第六十話 あれは失敗作
発端は、ただの偶然だった。
ダークエルフの斥候が、誰より早く”アレ”を発見した。焼け焦げた大地の中心に、ただ独り立ち尽くす異形を。
そして、その足元に転がる──勇者の亡骸を。
他の作戦で通り過ぎるだけだった斥候たちは、顔を見合わせた。
そして誰となく合図をし、これが任務より優先する価値があるものだと判断した。
その報は、デブラの身柄と共に、即座に届けられた。しかし、その届け先は、魔王ラーベンのもとではなかった。
運ばれたのは、広大な白い砂漠の中に、孤独に立つダークエルフの城。その存在すら巧妙に隠された、辿り着くことすら困難な、天然の要害だった。
密かに回収されたデブラは従順で、一切逆らう素振りも見せなかった。
砂と乾いた風の匂いが、石造りの謁見室に満ちている。周囲を囲むダークエルフたちは、一様にデブラを見据えるとともに、主人を守るように備えていた。
「これが、ラーベンの作り上げた完成形か……」
薄暗い帳の中から、城の主はデブラを見下ろしていた。
側近の一人が、主の耳元に顔を寄せる。
「勇者を仕留めたのは、間違いなくこやつかと」 確信を持った声だった。
「……して、如何いたしましょう。ペルガメント様」
その問いかけに、薄笑いを浮かべ、言い放つ。
「如何も何も。フフ……ラーベンに落とし物を届けてやるさ。精々、高い駄賃と引き換えにな」
もう一度、デブラを見定める。
「お前には、言葉が届いているのかな──勇者を殺せるほどの力を持ちながら、何故ラーベンに従うのか、ぜひ聞きたいものだが……」
しかし、返る答えはなかった。ただ、砂漠の風だけが、低く鳴いていた。
ラーベンに引き渡す前、彼らはデブラを調査した。
だが、不用意に刺激すれば何が起こるか分からない。それは恐る恐ると、距離を保ったまま行われた。
そうして、彼らは意外にも簡単に辿り着く。勇者を殺した力の正体に。
──「魔法を弾く鎧、か。聖剣の力すら跳ねのける……」
調査結果を受け、ペルガメントはわずかに目を細めた。その力に惹きつけられ、長い耳がゆっくりと上下する。
「……どうしてくれようか。駄賃だけでは、返すのは惜しくなってしまったよ」
ラーベンへの叛逆。そうとられかねない言葉を、小さく笑って呟いた。
「それで、この力の使い方は──?」 それも束の間、視線を側近に向ける。
誰も、口を開かない。彼の問いに、答えられる者はいなかった。
だが、ペルガメントはそれを気にもしなかった。
「……そうか。では、しかたない。作った本人に尋ねるとしよう」
その沈黙を返答とし、ペルガメントは立ち上がる。決断は速やかに、その足取りは軽やかだった。
「主の赴くままに──」 側近は後を追う。彼の秘めた野心に、従順に。
──日を置かず、デブラを連れたダークエルフの一行は、魔王城に到着した。
黒い城壁から降りる空気に、ある者は思わず口元を押さえる。別の者は、顔をそむける。それほどに、ここは忌むべき場所だった。
ペルガメントすら、その褐色の肌が粟立つのを感じつつ、何事もないように歩を進め、城門を潜り抜けた。
だが、ラーベンは玉座の間にはいなかった。
当てが外れたが、近衛に居場所を問いただすまでもなく、その見当はついた。
あの悪趣味な研究塔──恐らくは、そこでまた何かの実験に勤しんでいるに違いなかった。
「ここで待て──」 ペルガメントは背後を一瞥し、返事を待たず独り向かった。
頂上へと続く階段を、ゆっくりと一段ずつ踏みしめる。
石の感触が足に伝わるたびに、過去の記憶が徐々に呼び戻される。
苦痛。悲鳴。怨嗟。この塔に眠るすべては過去のもの。
元はエルフであったこの身が、魔王の手によって、魔族のダークエルフへと堕とされたことさえも。
それは、この歩を止める理由にはならない。
たとえ一度たりとも、すべてを奪ったラーベンを赦したことなど無い、としても──
扉の前で、足を止める。その気配を察知し、わずかに、口元が歪んだ。
「……ラーベン様。ペルガメントでございます」
背を向けたままの魔王を背に、ペルガメントは跪く。
「本日は、落とし物を届けに上がりました」
返事は、すぐには来なかった。
塔の装置を前に思案し、手を動かす魔王は、気付いてすらいないのかと思わせた。
だが、しばしの沈黙のあと、振り向きもせずに声だけが落ちる。
「──捨て置いてよいものを……あれは失敗作よ」
ペルガメントは、頭を垂れたまま息を呑んだ。 ──あれが失敗作……。
想像だにしなかった言葉が、胸の奥で静かに弾ける。 ──だが、そうであったとしても。
彼の野心は、その力を求めた。
「であるのなら、私めにその失敗作。お貸しいただけませんか」
心の動揺を微塵も感じさせぬ落ち着いた口調で、彼は申し出る。
魔王は、思案の寸暇すら惜しむように即答した。 「構わぬ。今は忙しい、好きに扱え……」
「──御意に」 下賜を得たペルガメントは、ほくそ笑んだ。
それは、眠っていたもう一つの野心に、再び炎が灯った瞬間だった。
独り、来た道をなぞり、塔を降りる。
階段を踏みしめる足元からは、魔族となってから歩んだ道が蘇る。
──私を拒絶し、不毛の砂漠へと追放したエルフども。あの日の痛みを、忘れたことはない。
その一歩、一歩が、彼の燻ぶっていた復讐心に火をくべていた。デブラの力を使えば、もう遠くはない。すぐそこに手が届く。
そう思った矢先だった。昂る心を宥め、玉座の間へ戻った時、足が止まった。
静まり返った空気。そして、血の匂い。高揚して見逃がした異様な気配が、彼に遅れて襲いかかった。
そして、その正体が床に転がる。それは、彼の部下たちだった。
石床に伏し、その体は赤く染まる。握られた武器は、まだ手を離れていない。
視線を巡らせる。近衛もまた、同じように倒れていた。
一瞬、つまらんいざこざでも起こしたか、とも考えたが、それは違った。
やられ方が尋常ではない、これは、一方的な破壊だ。
そして何より、ここにいたはずの者──デブラの姿が消えていた。
ペルガメントの姿に、かすかな息が、床の向こうで応じた。歩み寄ると、血に濡れた手が、彼の裾を掴んだ。
「……突然、デ……デブラが……暴れ……我々では……止められず……」 途切れ途切れの声。
言葉は短い。だが、それで十分だった。最悪の事態。胸の奥で、昂りが冷えていく。
──失敗作、とはこういうことか……。
つい先ほどのラーベンの言葉が、ほんの僅かに遅れて意味を持った。
「デブラに、何かしたのか?」
部下は、血を吐きながら首を振る。
「……誓って、な、なにも……しておりません」 掠れた声が続く。
「ただ……勇者スノウル……の、死を……あの者が……嗤いました。その時、です……」
もはや動かなくなった近衛を指さすと、声が途切れた。
ペルガメントは、ゆっくりと視線を上げた。
分からない。何一つ定かではない。だが、勇者の名に意味があるとするならば……。
その時だった──轟音と同時に、玉座が震える。
それは、破滅の淵で始まった、ペルガメントの野心を焦がす終焉の咆哮だった。




