第五十九話 聖剣に斬れぬものはない
──勇者スノウルは、この北の地方の小さな村で生まれた。
この一帯は、勇者が生まれるよりも昔から、獣魔との領土争いが続いていた。その原因は、人間同士の争いと変わらない単純なものだった。
極寒の地にあって、戦場となった一帯は、緑に恵まれた豊かな土地を有していたのだ。その肥沃な大地は、魔族の、特に獣魔にとって、戦って奪い取るに値するものだった。
勇者スノウルが生まれた時、この戦場となった地はすでに魔族の手にあった。
各地で続く人魔戦争。三百年続く戦争の歴史を経て、多くの戦場は小競り合いばかりの、膠着状態となっていた。
しかし、歴史は大きな転機を迎える。聖剣がスノウルを新たな勇者と認めた、その日を境に。
勇者として目覚めた彼が、聖剣を最初に振るったのは、故郷の安寧を脅かす敵に対してだった。
聖剣を携え故郷の地に出向き、その地を支配していた獣魔たちを、またたく間に一掃した。
だが、勇者の責務は、魔王を滅ぼし、魔族との戦いに終止符を打つ事──。神殿騎士団の規律によって、常に故郷に留まることも出来ず、防衛のための戦力を配置させ、スノウルはその地を離れた。
しかし、クローネ隊とデブラの襲撃によって、防衛部隊は壊滅し、再び故郷は蹂躙された。
大陸全土で戦いが続く中、このような辺境に勇者を傾注するのは、騎士団の規律に背く行為だった。だが、それは勇者にとって、到底赦せることではなかった。
神殿騎士団に背いてでも戦うと決めた彼らにとって、故郷を守る戦いは勝敗の如何にかかわらず、命を賭したものだった。
クローネたちは、知らず知らずのうちに、虎の尾を踏んでいたのだ──。
デブラの渾身の一撃が、スノウルの胸を穿った。
だが──勇者は、その瞬間に聖剣を縦に構え、衝撃を受け止めていた。
鈍い衝突音。それでも勢いは殺しきれず、スノウルの体は宙へと浮き、後方へ弾かれる。
しかし、デブラが放った初めての攻撃は、それだけでは終わらなかった。
その一撃を起点とし、地を抉るような踏み込みへと繋げる。そして生まれた勢いをつけ、常識を逸した跳躍で、自ら吹き飛ばした標的へと追いついた。
これまでとは違う、野性的で無駄のない動き。純粋に獲物を仕留めるためだけの、まるでクローネの動きを真似たようだった。
空中で体勢を立て直そうとするスノウルへ、間髪入れず二撃目が振り下ろされる。
──速い。だが、勇者とてやられっ放しでは終わらない。崩れた体勢のまま、迫る爪の軌道に合わせ迎え撃つ。
”──キュウィンッ!” と、閃光と共に、甲高い金属音が弾けた。
聖剣は、デブラの爪を寸分の狂いなく断ち切った。
だが、その腕は止まらない。切断された爪など構わず、スノウルの体へと伸び、そして掴んだ。
「……ッ」 その剛力に、思わず声が漏れた。
勇者の体は強引に引き寄せられ、密着された。距離が潰れる。刃の間合いが、奪われる。
その瞬間──逃げ場のない位置から、デブラのもう片方の腕が、振りかぶられた。
至近距離からの一撃。剣を振るう余地はない。デブラは、勇者の弱点を正確に見抜いていた。
寸前で、スノウルは身を捩った。
しかし間に合わず、デブラの爪が鎧を裂く。装甲が弾け、肉に食い込んだ。
「────!」 灼熱と同時に、溢れた血が爪を濡らす。
息が詰まる。視界が揺れる。遅れて押し寄せる痛みが、体を震わせた。
だが、心臓はまだ動いている。わずかに急所を外し、命までは免れた。
そして、血と引き換えに生まれた僅かな空白に、脚をねじ込み、全身を使って蹴り上げる。
デブラの拘束を無理矢理こじ開け、スノウルは死圏から飛び退いた。
転がるように着地し、即座に体勢を立て直す。
息が乱れ、血が滴る。急所を免れたとはいえ、深手には違いない。
──だが、まだ戦える。なら──終わりではない。
息を整える。痛みを押し殺し、意識を一点に絞る。目の前の異形を、静かに見据えた。
──強い。だが、コイツだけは、絶対に倒す。
──ここで、終わらせる。聖剣に斬れぬものなど無い。
その瞳には炎が宿る。スノウルは、最後の一撃に全てを掛けた。
聖剣を握る手に、力がこもる。応じるように、刃が輝きを増した。眩いばかりの光が集まる。空気が震え、空間すら歪む。
その攻撃は、最初に見せた光の柱。周囲を滅する避けようのない光爆。
勇者は己と、聖剣の全力を解放した。
その二度目の閃光は、迫るデブラを焼いた。
音も、形も、すべてを飲み込み、白に塗り潰された世界の中、勇者の一撃が戦場を貫いた。
大気が軋む。大地を貫く衝撃とともに、轟音が戦場を割る。
聖剣から解き放たれた爆熱が、周囲一帯の命を焼き尽くす。空気を食らい尽くした爆炎が、世界から一瞬、音を奪った。
時が止まったような静寂に、二つの影が浮かび上がった。
次の瞬間──ガラン、と乾いた音が、ひとつだけ響いた。
白の地面が赤く染まる。やがて光が、ゆっくりと収束していく。
地に落ちたのは、聖剣だった。刃先からは、血が滴る。
それは──勇者の心臓から流れた血だった。デブラの爪が、その胸を深く貫いていた。
聖剣に斬れぬものはない──それは正しい。
だが、デブラの外殻の正体は、魔王の攻撃すら弾く、いわば対魔法装甲。その防御能力は、聖剣の力であっても例外ではない。
スノウルがもし、聖剣の力に頼らなければ、どちらが勝っていたかはわからない。
デブラの腕が、静かに引き抜かれる。それと同時に、支えを失った身体が崩れる。
声もなく地に落ちた体はもう、動かない。
そして、この戦場にはただ一人しか、もう立っていなかった。




