第五十八話 本気で、ふざけんなよ
──その戦場の風は、ひどく嫌な匂いがした。
そりゃぁ、ご機嫌な戦場なんて、一つとしてありゃしないさ。
それでも今日は、何かが違う。首裏の上毛がいやに逆立つ。歯が、疼く。
──アタシは、何を恐れているんだ。
問いは過るが、答えは出ない。……だけどな。だからといって、戦いは止められねぇ。
デブラは──アイツはしょうがない。魔王からの厳命だ。使わない訳にはいかない。
いつも通り。デブラに特攻させ、アタシらがその隙を突く。
これが一番、正しいんだ。このやり方で積み上げた勝利と、生き延びた仲間の命がその証。
だから、今日、それをやらない理由は、どこにもない。
「デブラッ! まかせたよ」 いつものように、合図を送る。
「──信じてるからな」 いつもと違う、言葉を足して。
デブラに、アタシの言葉が届いているのか、分からねぇ。応える気があるのかも、分からねぇ。
──まぁ、それならそれで、かまやしない。
この作戦が極上してんのは──アイツがやられたら、アタシらはとっと逃げ出せばいい。
そういうお手軽さが上等てんだ。だから──アイツがどうなろうが、知ったこっちゃねぇんだ……。
──それで、いいだろ……
デブラは、敵陣を一直線に切り裂いていく。相も変わらず、いつもの戦場を馬鹿正直に。
いつもの戦場、いつもの戦法、いつもの勝利。 ──ああ、信じてるぜ、デブラ。
デブラは、いつも通り、敵陣深くへと切り込んでいった。
それを確認して、アタシもいつもの合図を叫ぼうとした──その時だった。
戦場の中心に、何かが落ちた。いや、落ちたように見えた。
次の瞬間、ようやくその何かが、”光”なんだと理解した。敵陣のど真ん中に、巨大な光の柱が立ち上がっていた。
地を貫き、空を裂き、そこだけが別の世界みてぇに白く灼けていた。
目を焼くどころじゃない。見ているだけで、あっちの世界に連れ込まれそうな、強烈な光だった。
だが、それも束の間。遅れて轟音と衝撃波が、こっちにまで襲いかかって来た。
嵐みてぇな暴風に身体を揺らされる。だが、距離があったおかげで、アタシらに大した被害はない。
──ああ、でも……あの中心は。
思考が、そこで止まる。何が起きたのか、分からねぇ。分かりたくもねぇ。だが、目は逸らせなかった。
やがて光が、ゆっくりと収束していく。焼き尽くされた空間が、輪郭を取り戻す。
その中心、光の中から姿を現したのは──ひと振りの剣だった。
息が詰まる。初めて見るはずなのに、分かる。あれは──聖剣、グラム。
そして、それを振るうことが許された唯一の存在。あれは──勇者だった。
喉の奥が、ひりつく。凶兆を孕む異様な輝きに当てられて、身の毛がよだつ。
──最悪だ。
こんな辺境に、勇者が来る理由なんて一つしかねぇ。快進撃を続けるアタシらを止めに来た。それも、最悪な方法を使って──
勇者は、デブラを確実に仕留める為に、この一撃を放った。
仲間を囮として、その仲間ごと巻き込むことなんざ、最初から承知の上で。あの密集地で、聖剣の力を解き放ちやがった。
「──ッ! ふざけんな……ッ」 噛み締めた唇の奥から、本音が湧き出る。
ただでさえ、規格外の力を持つ勇者。そんな奴が、こんな戦い方をしてきやがった。
いや、だからこそ、諦めがついちまった。 ──あんなの、勝てる訳がねぇ。
「おいッ! テメェら──!!」
声を張り上げる。ここで全滅する意味はねぇ。あんなヤツと出くわして、デブラだけの犠牲で済むなら、安いもんだ。
とっとと逃げる。バラけて逃げりゃ、勇者だって全員を追い切れねぇだろ。
──ああ、そうだ。逃げるが勝ちさ。
続く言葉を吐き出そうとした、その時──視界の端に、影が映った。
思考が、止まる。ゆっくりと、屍が転がる爆心地に視線を戻す。そうすると、アイツが立っている姿がはっきり分かった。
”──ッ! ……ふざけんな” 噛んだ唇から、本心が湧き出る。
生きてやがった。聖剣の直撃をまともに受けて。あのヤロー……本気で、ふざけんなよ。
でも、動かない。反撃しない。構えもしない。それなら、攻撃しねぇなら、せめて……逃げろ。
なのに。なのに、だ。なんなんだ、あいつは。まだ攻撃する気がねぇのか、勇者の攻撃を受けて動けねぇのか、どっちなんだ、分からねぇ。
──ああ、そうだ。何にしたって関係ねぇ。だけどな……
──あれじゃあ、まるでアタシらが、守られてるみたいじゃないか。…………ふざけんな。
”オオォーーーーン……!!” 戦場に一つの咆哮が響く。
ただ、身体が先に動いた。考えていない。考えていたら、こんなことはしない。
その合図に、クローネ隊の誰一人、遅れる者はいなかった。
獣たちは吼えた。崩壊した敵陣へ、いつものように雪崩のように突撃した。
その中心には、崩壊させた張本人──勇者が立っているというのに。
それは、戦いですらなかった。
振るわれた勇者の一閃が、空間に煌めく。聖剣の軌跡に触れたものは、為す術なく断たれ、消し飛ぶ。容赦もなく、躊躇もなく、獣魔たちは、次々と斬り払われた。
誰一人、敵う者などいなかった。それはクローネすら、例外ではなかった。
だが、そんなことは、分かりきっていた。分かった上での行動だった。
最初から、勝つための突撃じゃない。では、なんのため──? それは、仲間を一人、救うためだった。
どう考えても割に合わない危険を冒し、勇者の攻撃が他に向いた隙に乗じて、クローネは敵陣奥へと飛び込んだ。
爆心地──強引に引き寄せる。そこにある肩に手を掛け、力の限り引っ張った。
クローネが馬鹿力を出したのか、勇者の攻撃を受けたデブラが弱っていたのか、その体は簡単に動いた。
言葉を発する余裕はない。そのまま今度は踵を返し、引きずるようにして、戦場の外へと駆け出す。
だがしかし──勇者は、それほど甘くない。仕留め損なった獲物を、見逃すような真似はしない。
振り返らなくても分かった。死が形を持って迫るのが、その気配が濃密に匂う。
勇者の身体に力が満ちる。魔物を滅ぼす再びの聖光が、逃げる二人を狙い澄ます。
──コイツを連れてちゃ、間に合わない。
逃げ切れない。腕の中の重みが、はっきりと告げている。
デブラを連れていては、間に合わない。分かりきっていたことだ。
「……チッ」 ここまで来て、クローネはデブラからその手を離した。
しょうがなかった。このままでは、二人とも勇者の餌食となるだけだった。──それだけの話だ。
そう、だから──クローネは振り返る。
逃げずに、死の元凶、勇者に向かって特攻した。
その行動は、何の意味も無く、足止めにすらならないというのに……。
衝撃が一つ、デブラを叩いた。その肩に、彼女の身体がぶつかった。外殻に、赤い血が塗られた。
デブラは、それでも何も言わなかった。クローネは、もう何も言わなかった。
付着した血が伝う。そして、地面に雫が落ちた──
”ヴオオォーーーーン──!!” その瞬間、得体の知れない音が響き渡った。
それは紛れもなく、デブラの叫びだった。




