第六話 勇者への招待状
巨大な古木の根が絡み合う空間。
枝葉の隙間から差し込む光は、あらかじめ調整されたかのように淡く、時間の感覚を曖昧にしている。
その懐で、エルフの軍『千の葉』の魔法兵長プルサチラは瞑想していた。
だが、彼女の心は乱れていた。
勇者との会談が提案されたとき、仲介役として自分の名が挙がることは覚悟していた。
迷いはない──ただ、悔いはある。その過去の残滓が、彼女を苦しめていた。
「──あの魔王スヴァルトを倒した魔法兵長様も、勇者相手には、ちびっちまうか?」
音も無く近づいた、瞑想を邪魔する聞きなれた声に、彼女はため息をつく。
誰にも言っていないはずの居場所を当てた声の主は、その目的も分かっているはずなのに、がさつに距離を詰めてきた。
彼女はその騒音に抵抗することなく瞑想を諦めると、目を閉じたまま、声の主に言葉を返した。
「ええ、思い出していたの。貴女がオネショをしなくなった──733年前、その時の事を」
「え? おまっ……、はぁぁっ!?」
その返しに動揺を隠せない声の主の姿を想像し、彼女は口元を自然と緩ませた。
プルサチラが己の未熟さを自覚できるのは、そうしたドリアスの無遠慮な愛情が、いつも傍にあるからだった──。
◆
焚き火が、夜の星屑に乾いた音を立てて弾けた。
夜営の支度を整えた勇者たちは、見晴らしの良い丘陵に足を止めていた。
「──思ったより静かだな」 焚き火の前に腰を下ろし、戦士グレンが呟いた。
風はほとんど動かず、夜は不気味なほど静まり返っている。ここが魔族の地であることを忘れそうになるほど、周囲に気配はなかった。
それは今夜に限った話ではない。思い返せば、あの翼魔族の襲撃以来、魔族との交戦は不自然なほど減っていた。
「ええ……」 神官ローザは頷きながらも、視線だけは闇へと警戒を向けたまま言葉を継ぐ。
「魔王城へは確実に近づいているはずです。それでも、この気配の薄さ……。何かを企んでいると考えるべきでしょうね」
「考えすぎじゃない?」 焚き火越しに、魔法使いのリラが軽く肩をすくめる。
「今頃は、魔族たちの間で私のコトが噂になってたりして……。ねえ、どう思う? ヴィート」
敵の企みを冗談めかして楽観する声音に、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「そうかもしれないね」 勇者ヴィートは、火花の向こうで微笑みを返した。
「僕たちの行動は、もう魔王の耳にも届いているはずだ。もし、魔王軍が僕たちの迎撃に兵を集中させているのなら──」
一拍置き、言葉を選んでさらに続けた。
「その分、戦線では王国軍が攻勢に出られるはずだよ。それだけでも、僕たちの行動は無駄じゃない」
ヴィートは、闇の向こう──魔王城の方角に視線を向ける。
「もし今、魔王が兵を抱えたまま城に籠もっているのなら……僕たちも、馬鹿正直に付き合う必要はないさ」
その判断に、一同は異論を挟まなかった。
彼らの目的は、魔王討伐である。魔王と相対し、討ち滅ぼす力を彼らは持っている。だが、それはあくまで魔王を単独で相手するならば、だ。勇者といえど、魔王軍の総力を相手にしても勝算はない。
人類最強の力を持った彼らは英雄であっても、殉死者ではない。
彼らの目標は、人類が魔族に打ち勝つこと。無策で魔王に特攻し、その命を散らすなど彼らは望んでいないし、望まれてもいない。
「……ねぇ、ヴィート。もし、魔王を倒せたら、その後はどうするつもり?」
リラはヴィートが話している間に、目を盗んで彼の横へと座り、囁くように問いかけた。
「魔王を倒しても、まだ戦いは終わらないさ」
その囁きと仕草に、彼は微笑みながら答える。
「そっか……そうね」 彼の答えにがっかりしながらも、リラはめげずに頬を寄せ、さらに小声である提案をする。
「──じゃあ、私とひとつ、約束しない?」
「どんな?」
「それは内緒。……魔王を倒したときに、ね?」
焚き火が、再び静かに音を立てた。その夜の静寂は、まるで何かが起こるのを待っているかのようだった。
その時だった。突如、ローザが身を翻し、闇へ向けて杖を掲げた。 「──誰?」
闇に向けたその声には、張り詰めた緊張が込められていても、殺意はなかった。
彼女には理解があった。その者たちは、こちらが張った結界にあえて触れて、その存在を知らせてきたのだと。
沈黙のまま、闇が僅かに揺れる。
焚き火の火花が散るその縁に、ゆっくりと三つの影が滲み出るように映し出された。
森の住民らしい簡素な衣。両手には武器らしいものはなく、戦意がないことを示すように慎重に歩み寄る。
近づくにつれ明らかになる特徴的な長い耳、色白のか細い体、彼らはエルフだった。
そして、三人のエルフは勇者たちの前で歩みを止めた。
「御無礼致します」 その内の一人が、静かに口を開く。
「勇者ヴィート様でございますね」 名を呼ぶと同時に、残る二人は揃って深々と頭を下げた。
そして、その敬意を込めた所作に、次の言葉を添えた。
「私どもは、プルサチラ様のご命令により、ここへ参りました」
その名が告げられた瞬間、場の空気がわずかに変わる。
「──プルサチラ……?」 最初に声を漏らしたのはヴィートではなく、リラだった。
「あの、始祖の魔女……プルサチラ?」 その隣で、ローザも息を呑む。
その驚きに、エルフは黙って頷いた。
「プルサチラ様は、魔王を討たんとされる勇者様に、ぜひお伝えしたいことがあると申されております」
一拍置くと、丁寧に言葉を重ねた。 「──どうか、我々とご同行願えませんでしょうか」
焚き火が、夜の星屑に乾いた音を立てて弾けた。
勇者の胸元に、微かな熱を灯らせる。それは、森から届けられた、この夜の静寂を終わらせる招待状だった。




