第五十四話 勇者殺しの暴露
黄金のトリネコの扉を開けた瞬間、トルキの視界に飛び込んできたのは、外界とはまた異なった神秘に満ちた光景だった。
天井には、澄んだ青の輝きを放つ魔法石。その光を受けて、瑞々しい洞の内壁が、柔らかな光沢を返す。そして零れ落ちた光は、粒となって足元に集い、弾けて消える。
大樹の内で巡る魔力は、その流れる姿だけで二人を魅了した。
その光景に見とれた彼が、二人のエルフに気付いたのは、数瞬遅れてのことだった。
「──ようこそ、エルフの森へ。招かれざる人間よ」
その一言で空気は張り詰める。言葉に射抜かれたように、トルキは背筋を正し、深く一礼した。
「たっ、大変失礼しました。私は大陸商人ギルドのトルキ。隣は、同じくフィオレットです」
硬さが滲む名乗り。それでも顔を上げ、言葉を続けた。
「私たちは、あなた方と話し合いをするために参りました」
それ以上の余計な言葉は挟まない簡潔な挨拶。これを拒否されたら、何も始まらない。そういう提案だった。
その様子を、リンネとアルメリアは、ただ穏やかな表情で見つめる。そこには、拒絶でも、歓迎でもどちらでもない意思が浮かぶ。
「──ええ。話し合いは、私たちも望んでいることです」 リンネは、提案を受け入れた。
「どうぞ。良い話し合いにいたしましょう」
普段の彼女とは違う、とても柔らかな言葉とともに、二人へ席に着くよう勧めた。
その仕草には一片の乱れもない。促されるまま、トルキとフィオレットは、彼女たちと同じように根の盛り上がりに腰を下ろした。
自分たちの文化とは違う生活様式は、どうも落ち着かない。だが、そこに妙な安らぎも感じる。
それは同時に、ここが彼女たちの領域であることを、疑いようもなく示していた。
──交渉は、すでに始まっている。
「さて──ではまず、何から話し合いましょうか」
リンネの穏やかな声に、トルキは即座に応じる。
「まずはこちらを。我ら大陸商人ギルド代表、ヒューベルよりの親書でございます」
取り出した封印付きの書簡を、彼は両手で差し出した。
リンネはそれを受け取ると、ためらいなく封を解き、内容を追い始めた。
沈黙が落ちる。彼女の指のわずかな音だけが、かすかに響く。
その静寂の中、まだ一言も発していないフィオレットは、思考を巡らせていた。
──もし、この親書の内容で、相手を怒らせるようなことがあれば……。
そんな最悪の事態を考えつつ、それを避けるために、言われた事を思い出す。
……「──なぜって、武骨な戦士が交渉の舞台に立っても、余計拗れてしまうだけですからね」
……「あ、安心してください。お二人に、”エルフとの和平を成立させて来い”、などとは言いません」
……「私の親書を届ける。簡単な”おつかい”だと思って下さい」
送り出される直前のヒューベルの言葉。だがフィオレットは、それを額面通りには受け取っていなかった。
エルフから情報を引き出すこと。可能であれば、こちらに有利な条件を飲ませること。
それが自分に課された役割だと理解していた。
やがてリンネは、親書から視線を上げた。そして、何も言わず、それをアルメリアへと手渡した。
だが、彼女が読み終えるのを待たず、口を開いた。
「……この内容自体は、概ね受け入れられるものです」 ここで、言葉は区切られる。
「ですが──いくつか、腑に落ちない点があります」 続く言葉に、トルキの表情がわずかに強張った。
「失礼ですが、この親書の主はギルドの代表。つまりは、商人のはず──」
「にもかかわらず、この親書には、その権限を超えている内容が含まれている」
リンネの視線が、静かにトルキを射抜く。 「これは、どういうことなのでしょうか?」
声音は穏やかなまま、冷徹な鋭さがあった。トルキは一瞬、言葉を失う。
彼らは、親書の中身について、その文言一句まで詳しく知らされていない。
彼女の言葉から、内容の一端は推察できたが、迂闊なことを言うわけにもいかなかった。
トルキが息を整え、慎重に言葉を選ぼうとした、その瞬間だった。
横から、フィオレットが口を挟む。
「ヒューベル代表は、王命を受け、この度の交渉を任されております」
「ゆえに、その内容に彼個人の権限を超えるものが含まれていたとしても、なんら不思議ではありません」
そこに嘘はなかった。だが、エルフ側がそれをどう解釈するか、その点が欠けていた。
その返答に対し、リンネは復唱するように確認する。
「……では、この親書は、貴女の主であるヒューベルではなく、王自身の言葉──」
「そう理解してよろしいのかしら?」
彼女の念押しと共に、親書を見終わったアルメリアとの二人の視線が、フィオレットに注がれた。
「──はい」 気圧されながらも、彼女は肯定する。
それを受け、リンネはわずかに視線を落とした。
「……それならば、この親書には、あるべきものが欠けている──」 その一言で、空気が変わる。
「この度の戦の発端──我らが勇者を殺したことについて、どうして、一言の言及もないのかしら」
リンネが放った暴露に、フィオレットは言葉を失った。
今初めて知ったその事実は、彼女には重く、想定していた問答の範疇を超えていた。それこそ、それに答えて良い権限を、彼女は有していなかった。
――答えられるはずがない。
激しい動揺に、心はかき乱されていた。それが相手の狙い──交渉を有利に進めるための”揺さぶり”、ということにも気づけぬほどに。
しかし、その彼女が生んだ空白を、庇うようにトルキが埋めた。
「ヒューベルは王の下僕ではありますが、奴隷ではありません」
「彼は王の真意を汲み取り、そのうえで、あえてその一文を削ったのでございます」
それは、はっきりとした断言だった。
ここに来るまでとはまるで違うその物言いに、驚いたのはむしろ隣のフィオレットだった。
トルキの立場は、彼女と何ら変わらない。親書の内実も、エルフの勇者殺害も、知らされてはいない。
つまり、この言葉には、何ら一切の真実性は何処にもない。
リンネの視線が、わずかに細まる。
「つまり、勇者殺しについては、その咎を問うまでもないことだと──?」 二度目の念押し。
それに対し、躊躇いのない返答を返す。 「──はい」
明らかに権限を超えた返答を、トルキは平然と行った。
「そういうことでしたら、よろしいでしょう」
その返答を受け、リンネの纏う気配がわずかに和らいだ。
「ですが──この親書への返答には、いささかお時間を頂かねばなりません。よろしいかしら」
「はい」 それに対しても、トルキは同じように即答した。
その迷いのなさに、リンネは小さく微笑む。
「では──その誠意あるご返答に応じて、私たちからも誠意をお示ししましょう」
言葉は柔らかい。だが、その言葉の一つひとつが、この場の支配者であるような響きを帯びている。
「アルメリア。例のものを──」
促され、アルメリアは予め用意していた包みを、二人の前へと差し出した。
卓上の「それ」を、彼女は静かに、丁寧な所作で広げていく。
幾重にも巻かれた布が解かれ、その核心が露わになるにつれ、場を息を呑むような空気が沈んだ。
そして──その中から現れたのは、折れた聖剣、グラム。
かつて天の光を宿した刃は今や、濁った鉄の色に沈んでいた。だが、その残骸には、滅びてなお消えぬ圧倒的な気配が、残響のように漂っている。それはまるで、志半ばで散っていった勇者の記憶を、代弁しているかのようだった。
リンネの声が、その静かな光に重ねられる。
「どうぞ。我々からの、友好の証です」
穏やかな言葉だった。だが、その実、これ以上ないほどの意味を孕んでいる。
確かに、これは友好の証。だが同時に──勇者を殺した紛れもない証だった。




