第五十二話 傭兵の矜持
陽も落ちきった頃、トルキたち四人は、国境近くの酒場に身を寄せていた。
粗末ながらも温かい灯りと、煮込み肉のいい匂い。戦の影が届くこの地では、それだけでも十分な安らぎだった。
「さあ、さあ、皆さん。しっかりご飯を食べて、明日に備えましょう」
フィオレットは、卓を囲む三人へと気を配りながら、場をまとめていた。
「フュールさんも、ベルムーエさんも、どうぞ遠慮なく。旅程の費用はすべて当ギルドが支払いますので」
これからエルフの森に向かう旅仲間。その仲を少しでも深めようと、彼女の言葉は、律儀ではありながら、どこか温かみがあった。
その一方で──
「……そうですね。きっとこれが、僕たちの最後の晩餐なんだ。ハハハ……」
料理に手をつけながら、トルキの口からは、相変わらず縁起でもない言葉がこぼれる。
(コイツ……。誰のせいで、私がこんなに気ィ使ってやってると思ってんのよ……)
今日一日、こんな調子を聞かされ続け、フィオレットはほとほと愛想が尽きていた。
しかし表には出さず、話題を切り替える。
「……ああ、そうだ」 その声は、内心とは真逆なほど明るい。
「副代表が仰っていました。“二人は最高の傭兵だ”と」
まだ知り合って間もない二人へと、自然に話題を向ける。
「ロスリンさんがそう言うからには、何か特別な武勲がおありなのでは?」
場を盛り立てるため、傭兵が喜んで話しそうな武勇伝を、興味あり気に彼女は尋ねた。
だが、食事よりも酒ばかりを飲み交わす二人は、肩をすくめて笑った。
「武勲ねぇ……。お貴族様じゃあるまいし、そんな大層なもん、アタイらにはないよ。ねぇ、ベルムーエ」
呼ばれた男も、同じように低く笑い声を漏らした。
「そうじゃな。強いて言うなら──どんな戦場でも生き残って、帰ってくる。それが儂らの武勲じゃ」
そう言い放つと、満足したように杯を傾けた。
フィオレットは、思わず小さく息を呑む。
屈強な女戦士と、年輪を刻んだドワーフ。向かい合う二人との体格差は言うまでもなく、その存在感と比べて、彼女はとても小さく見えた。
彼女とて、商人としての交渉には慣れていても、無骨な傭兵たちと弾む会話が、それほど達者というわけではない。
それでも何とか場を繋ごうと、フィオレットが次の話題を探ろうとした、そのとき──
「皆さん……やっぱり、ここで帰りませんかぁ~」 酒の入ったトルキの、気の抜けた声。
(お前さぁ……代表に気に入られてるからって、いい気になってんじゃねーぞ)
と、言いたい気持ちを、フィオレットは唇を噛み、押し殺す。
「もう……。まったく、この人は……」 代わりに出るのは、角を丸めた玉のような言葉。
そこに、フュールも呆れて口を挟む。
「やれやれ……だ。まあ、このお坊ちゃんの言うことも、分からなくはないけどね」
杯を揺らしつつ呟いた言葉には、意外な同意があった。
「──手柄欲しさに、自分から敵の懐に飛び込むような奴なんざ、一番先におっ死ぬだけだからね」
そう言って、フュールは酒を煽った。
「まったくじゃ。皆、この若者のと同じぐらい臆病じゃったら、死なずに済んだじゃろうに……」
ベルムーエのトルキを眺める目は、どこか温かみを帯びていた。
「──じゃが生憎だったな、お若いの。この仕事の依頼主は、お主ではない」
しかし、その次に出した言葉は、彼には残酷だった。
「はぁーー……」 トルキは力なく肩を落とす。
言葉もなく、ただこの世の終わりでも見たかのように項垂れた。
その様子を見て、フュールがくっ、くっと喉を鳴らす。
「なんだろうねぇ。可愛い顔をするじゃないか」
その姿を見かねて、いや、面白がって、フュールは彼に問いを浴びせる。
「あのねぇ、なんでアタイらが、敵の懐に飛び込むような仕事を受けたと思ってんだ?」
「副代表は、アタイらを”最高にイカした傭兵だ”って言ってんだろ?」
「それなのに、高い報酬を払って死地に送る理由は何だい?」
その矢継ぎ早の質問は、答えを求めたものではない。
ベルムーエもゆっくりと頷いた。
「そうじゃな。儂らにも生憎と、この仕事の依頼主はヒューベル殿じゃ」
しかし、その次に出した言葉は、残酷な想定だった。
「もし儂らが、依頼に失敗し、坊ちゃん嬢ちゃんの死体を連れて戻ったら、ヒューベル殿は何とするじゃろう」
だがそれこそが、トルキが懸念する問題だった。
「儂らは正規軍ではないし、所詮は商人ギルドの依頼じゃ、裁く法もなければ、罰則もない」
ふと視線を落とし、低く続ける。
「じゃがの……。そんなことになれば、儂らはもう二度と、傭兵としては食ってはいけんぞ」
酒に頬を赤らめながら、彼の眼差しは鋭い光を映していた。
それは、傭兵として生きる覚悟の証だった。
大きな仕事を請け負う以上、そこには傭兵であろうと誰であろうと関係なく、大きな責任が伴う。
だが傭兵にとってそれは、名誉でも、尊厳でもない。──信用。それを失った傭兵に、明日は無い。
二人が、傭兵として生き続けていること。それが何よりの、最高の傭兵である証明。そして、二人の武勲であることに、何の間違いもなかった。
ベルムーエは、フュールの空いた杯に酒を注いだ。その杯を受け、フュールは一気に飲み干す。
「……。アタイは、商人は大好きさぁ。なんてったって金離れがいいからね」
酒の力で、彼女の口は滑らかに滑る。
「騎士団なんて大嫌いだ。事あるごとに、名誉だ、規律だ、礼節だ」
「アタイに言うこと聞かせたいなら、文言一句に500Kr払えってんだ」
言い終わった彼女の杯に、ベルムーエはさらに酒を注いだ。そして、自分の杯にも。
「儂らは、命と報酬を天秤にかけて仕事を受ける。釣り合わない仕事を受けたことなど、一度もない」
それに口をつける前に、彼は真剣なまなざしを向ける。しかし──
「まあ、長々と話して、何が言いたいかというとじゃな──死ぬときは皆一緒じゃ、ガッハッハッハッ!」
大笑いをして、一気に酒を煽った。
二人に気圧されながらも、フィオレットはそこに、さらに言葉を添える。
「……ヒューベル代表には、ちゃーんと、エルフと交渉を成立させる算段が立っているんですよ」
それを聞いても、トルキはただ、酒を一杯煽るだけだった。
何を言うでもない彼を、フィオレットは、やはりよく分からなかった。
◆
同じ夜──
酒場の喧騒からは遠く離れた、蝋燭の灯りが揺れる寝室で、半裸の男が、女の髪に指を伸ばした。
だが──その指先は空を切る。女はするりと身を引き、薄闇の中へと消えた。
「……トルキ君のこと、まだ怒っているんですか?」 男は逃げた女に呟く。
「貴女の選んだフィオレットも付けたのですから、そろそろ機嫌を直してくださいよ」
男は、闇に向かって戻るように懇願した。
しばしの沈黙。 「──。どうして、こんな大役を彼に任せたのですか?」
しかし、闇の中から女は動かず、交換条件を突きつける。
男は小さく息をつき、仕方なくその条件に応じる。
「……。彼は、貴女が思う以上に、優秀ですよ」
「こちらの意向と、あちらの意向。その両方を、彼は言葉以上に汲み取れる。きっと、いい仕事をしてくれますよ」
それは、トルキの持つ才能を過大に評価し、楽観したものだった。
当然、女は納得できない。だが──
「こちらの意向を押し通すのが交渉の能力だなんて、貴女だって考えてはいないでしょう?」
その不条理な評価に同意を求めた。そして──
「あ、もしかして、嫉妬ですか? ロスリン」
名を呼ぶ言葉は、女を射抜く。途端、沈黙の代わりに灯りは消え、闇に包まれた。
その闇の中──彼女は男に身を寄せ、それを否定した。




