第四十九話 騎士の脅迫
黄金のトリネコ防衛戦から数日後──
この戦の結末のみが、紋章官より宰相クローペルのもとへと伝えられた。
大将ウルバンの戦死──だけでは済まない。「エルフ討伐軍、全滅せり」の報は、執務室の空気を凍りつかせた。
クローペルは、その紋章官の言葉が尽きるまで、一言も発することなく、ただ黙していた。
やがて訪れた重苦しい静寂の中、彼は一つ、深い息を吐くと、窓辺へ歩み寄り背を向けて外を眺めた。
その背中から、秘書官はすべてを察した。
彼女はただそれだけで、自身を含め、執務室から全ての人間を下がらせた。
◆
──「全滅……。ですか」
宰相より遣わされた秘書官の口より、戦の結末を聞いたヒューベルは、ただそれだけを呟き、言葉を失った。
紋章官の報告は、半日と経たぬうちに円卓会議の構成員へと届けられた。三名は一様に、その内容に耳を疑った。
敗戦したにしても、あれほどの軍勢が全滅するなど、通常であれば有り得ない。
後退すら許されない。ウルバンの軍がエルフを相手に、そのような状況に追い込まれたのであれば、敵戦力の見積もりは根本から見直す必要がある。それこそ、魔王に比肩する敵、と考えねばならぬほどに──。
ヒューベルはしばらく沈黙し、額に手を当てたまま思考を巡らせる。
その傍らでは、ロスリンが静かに、そんな彼の様子を見据えていた。
やがてヒューベルは、小さく息を吐いた。
「秘書官であるドゥーエ殿が、私の元へ来られた。──ということは、そういうことなのでしょうね……」
まだ肝心な用件を語らぬ秘書官に、ヒューベルは独り納得し、独白するように語りかける。
秘書官は、悲壮感を漂わせる彼の語り口に、なんとも言えないような表情を浮かべた。
「……宰相殿から、何か言伝は?」
ようやく用件を問うヒューベルの声には、どこか諦めにも似た響きがあった。
「いえ。すべて貴方に任せる、と。ぜひ、その手腕をお見せ願う、と」
その一言に、ヒューベルは再び目を伏せ、深く頭を抱えてみせた。
するとそのとき、応接室を揺らさんばかりの野太い男の声が、外から響いた。
「ヒューベル殿は御出でかっ! 神殿騎士団ゴーテと申す。御目通りを願いたい!」
扉越しからでも耳を打つその大音量は、形式上は整えてありながら、あまりにも無骨で遠慮がなかった。
そして、その無遠慮さは行動でも示された。
「ちょっ……! お待ちください、今はどなたもお通しできないと──」
「なに、構わん。すぐに済む話だ」
制止の声に聞く耳を持たず、半ば押し切るようにして扉が開かれた。
その体に、止めに入った者を張り付けたまま、男は室内へと踏み込んでくる。
「これはこれは、ヒューベル殿。お初にお目にかかる。私は、神殿騎士団上級騎士ゴーテと申す!」
今度は遮るものなく、その声は室内に轟いた。場の空気など顧みぬ、あまりにも場違いなまでの威勢。
だがヒューベルは、そんな男を前にしても、眉一つ動かさない。
「それはそれは、ゴーテ殿。わざわざの御足労、痛み入ります。出迎えもせず、失礼いたしました」
不愉快さなど微塵も見せず、穏やかな声音は崩れず、先ほどまでの憂鬱すら覆い隠してみせている。
その横では、ゴーテを止めようとして一緒に連れ込まれた男が、ロスリンに助け出されていた。
「いやいや、それには及ばぬ」 ゴーテは、ヒューベルの社交辞令を、手で払う。
「本日参ったのは他でもない。貴殿に一つ、頼み事がありましてな」
そう言うと、巨躯の上に乗る大きな頭を、ためらいもなく深々と下げた。
「どうか、このゴーテを、交渉団の一員として加えて頂きたい」
その請願は、まだ正式には受諾していない王命を、先取りするものだった。
ヒューベルは苦笑しつつ、その申し出を熟慮しているふりをし、間を置いた。そして──
「……。残念ですが、ゴーテ殿。その申し出を、お受けすることはできません」
頭を下げる武骨な男の頼みを、にべもなく断った。
男の誇りを容赦なく切り捨てるが如きその返答に、それでもゴーテは頭を下げたまま、今一度申し出る。
「上級騎士ゴーテの下げた頭の価値を、ギルドの長である貴殿は、分かっておられるか?」
大きいだけでなく、地鳴りのような重低音が、凄みを増す。
「神殿騎士団を退ける意味。それらを敵とする覚悟はおありか?」
それはもはや強要、いや、脅迫だった。
「貴方こそ、覚悟はお持ちですか?」 しかし、ヒューベルは一歩も引かず、即座に切り返した。
「私に下された王命への差し出口。しかも、宰相閣下より遣わされた秘書官殿の御前で。その意味を、理解なさっての振る舞いでしょうか?」
わずかに視線を秘書官へと流し、再びゴーテへと戻す。
その声は対照的に緩やかでありながら、刃のように研ぎ澄まされていた。
二人の間の空気が軋む。
ゴーテは動かない。覚悟の通り、頭を垂れたまま、その場に根を張るように微動だにしない。
対するヒューベルもまた、引く意思を一切見せない。相手の覚悟を測り、その上でなお拒絶している。
どちらも意思を曲げぬまま、張り詰めた静寂だけが、この応接室を支配した。
その沈黙を破り、二人を救ったのは秘書官のドゥーエだった。
「──上級騎士ゴーテ殿。貴方が、ウルバンとは旧知の仲であったこと、存じております」
ひりつく二人の間を、涼やかな風のような声が通り抜ける。
「さぞ、ご無念でございましょう」 わずかに間を置き、言葉を重ねる。
「……ですが、それは貴方だけではありません。一万五千の英霊には、同じ数の母があり、そして家族があった」
穏やかで、柔らかな声音。だがその内に宿る重みは、誰にも否定のしようがない真実を告げる。
まるで野獣でもなだめるかのように、彼女は敬意をもって語り続けた。
「──王は、決してこのままで良いなどとは、お考えにならぬはず。であれば……貴方にもいずれ、その無念を晴らす時が与えられましょう」
そして、言葉を結ぶように、秘書官は頭を垂れる。
「その時にはぜひ、神殿騎士団上級騎士ゴーテ殿のお力、お貸しくださいませ」
その所作には、命じるでもない、媚びるでもない、信頼を託す意思が込められていた。
そしてそれは、ゴーテを動かした。
「……このゴーテ、女に恥をかかす下衆にはなれぬ」
ゆっくりと顔を上げ、まっすぐにドゥーエを捉える。
「しかと引き受けた。その時は必ずや、仇敵を討って御覧にいれる」
その言葉からは威圧は消え失せ、揺るぎない誓いの響きを宿していた。
ゴーテは踵を返す。もはや振り返ることはなく、そのまま応接室を後にした。




