第四十八話 勝利者の苦悩
黄金のトリネコの森は、再び静寂に包まれていた。
だが、その聖地の姿は、昨日までとはまるで違うものだった。
無残に切り倒された木々は、打ち捨てられたまま、あちこちからは燻ぶる煙が立ちのぼる。
煙には、焦げた樹皮の臭いに、鼻を刺す鉄錆の匂いが混じり合い、重く淀んで森を満たしていた。
この戦いで、命を落とした仲間たち。そして、それを遥かに越える敵の屍。
物言わぬ者たちへの、祈りも、懺悔もまだ遠い。ここはまだ、沈黙だけが支配していた──。
ようやく、一人、二人と、生き残った者が身を起こす。震える手を、立ち上がれぬ者へと伸ばす。
彼女たちが、その他の事へ気を向けたのは、なによりもまず、そのあとだった。
「──ドリアス、生きてる?」 ようやく探し当てたその姿に、プルサチラは声を投げた。
「……ああ、死んでるよ」 倒れ伏したまま、ドリアスは顔も上げずに返事する。
その言葉に、プルサチラは小さく息を吐き、同じようにその場にへたり込んだ。
この戦いで、最も戦果を挙げたのは、千の葉の主力である魔法兵だった。
彼らの放った四度の究極魔法なくして、勝利はあり得なかっただろう。
だがそれでも、敵の兵力はあまりに過大すぎた。もし、一万五千の軍勢を正面から受けていたなら、結末は真逆になっていたに違いない。この勝利は、決して彼女たちだけの力ではなかった。
ドリアス率いる剣兵隊の働きは、まさに殊勲と呼ぶに相応しい。
敵本隊のただ中へと突入し、見事、敵将を討ち取ったのだ。もし大将のウルバンが生きたままだったら、魔法兵の最後の一撃が、どう転んでいたかは分からない。
──だが。その代償は、あまりに大きかった。
ただでさえ数の少ない剣兵隊は、この戦いで最も多くの兵を失った。選りすぐりのエルフの剣士隊であっても、あの苛烈な死線を潜り抜けられたのは、半数ほどしかいなかった。
その生き残った者たちもまた、しばらく立ち上がれないほど、傷つき、消耗しきっている。
沈黙が戻る。それは、勝利の余韻ではなく、失われたものの重さが、呼び込んだものだった。
一方で、森を囲むように展開していた部隊は、いまだその役目を終えてはいなかった。
ウルバンの軍は、隊列を大きく引き延ばしていた。黄金のトリネコに突入した先頭部隊と、オークによって壊滅した後方部隊の間には、まばらに兵が取り残されていた。
それら敗残兵を、シレネ率いる弓兵たちが、淡々と射抜いていく。聖地を侵攻した者たちへ、一切の慈悲は無い。
乾いた弦音だけが断続的に響く中、運よくその矢を逃れ、木々の奥へと逃げ込んだ者もいた。
だが、このエルフの森で、何処に身を潜めたところで意味は無い。
カシオペ率いる斥候たちは、音もなく接近し、己の死に気付く間さえも与えず、確実に仕留めて回った。その手際に、逃れる余地はどこにもなかった。
森の中から敵の気配は、一つ、また一つと消えていく。
だが、彼女たちの任務は残党の掃討だけ、ではなかった。
森への侵入、あるいは内情の偵察を試みる外部勢力の排除もまた、重要な任務の一つだった。
──「ヴィスネ隊長。これ以上はヤベーっスよ。それでも行けッ、てーなら、俺ァ行きますが……」
黄金のトリネコの森、その外縁。ただならぬ気配に肌を粟立たせながら、男は隣に立つ女へと腰を低くして告げた。
進言を受けたヴィスネは長い耳を尖らせながらも、応じることなく、ただ森の奥を睨み据える。
彼女たちは、ペルガメントの命を受け、エルフの動向を監視していたダークエルフの偵察部隊。
だが今は、エルフの斥候たちに阻まれ、森の深部への侵入が許されないままだった。
「ライレをオークの分隊に回しておいて正解だった。……あの子がこの気配を嗅いだら、引き留めるだけで骨が折れる」
かつて、同じ場所に立った仲間の顔を思い浮かべ、ヴィスネは小さく呟く。
あの時とは、空気がまるで違う。風に乗って流れてくる煙と血の匂いが、この森で何が起きたのかを、言葉もなく告げていた。
ヴィスネたちも、ここに至る経緯は把握していた。
人間の軍勢が森へと侵攻し、その後を追うようにオークの軍団が突入したこと。そしてその後、オークたちが人間の魔法によって壊滅したことも。
だが、所詮は偵察部隊でしかない彼女たちには、それらに介入する力などなかった。
そして今、その偵察部隊としての役割も、果たせずにいる。
核心である黄金のトリネコへは固く閉ざされ、どうあっても侵入できなかった。
敵の斥候が潜む森の中、ヴィスネの手勢だけでは、これ以上の任務遂行は不可能だった。
それでも、推測はできる。
あれほどの規模の軍勢を相手にして、エルフたちが無事に済むはずがない。
もし、森の中心から炎でも上がったのなら、戦いの結末は確認するまでもないだろう。
──だが、炎は上がらなかった。
それが何を意味するのか、想像することしかできない。ペルガメントに報告すべき確証を得ることはできない。
だがそれでも、エルフたちが無事に済むはずはない。そう信じ、”今こそが、エルフを亡ぼす好機だ”と、進言するか、ヴィスネは状況を見定めながら、葛藤を抱えていた。
「……。ヤルズ、帰るわよ。他の者たちにも伝えなさい」 長い沈黙の末、彼女はそう告げた。
森の奥は静か過ぎた。その不気味さは、ヴィスネに判断を諦めさせた。
その横顔には、わずかな慙愧が滲んでいる。だが、それ以上に、無為な犠牲を拒む冷静な決断でもあった。
もしこのとき、千の葉の現状を掴めていたならば、ダークエルフたちは全軍をもって、すぐにでも攻め込んでいただろう。
その確認を、彼女に断念させたカシオペたち斥候の貢献は計り知れない。この働きがなければ、千の葉の命運は尽きていたかもしれなかった──。
──森の深奥、その片隅に設けられた作戦司令。
ようやく届けられる報告にも区切りがつき、場に張り詰めていた緊張が、わずかに解けはじめていた。
「アルメリア、ありがとう。あなたの作戦は完璧だった」
ヒースは、この戦いに勝利をもたらした参謀を労った。
その称賛を、アルメリアはわずかに視線を伏せ、ただ、受け止めるだけだった。
黄金のトリネコは無傷で残り、敵は全滅した。戦果としては、これ以上を望むべくもない。
では、敵将ウルバンは無能な指揮官だったのか。シュリンは間違えたのか。他の兵たちは……。
全ての事が、思い通りに進んだわけではない。一つ一つは不確定で、どちらにも転びえた。
それでも──。勝利のために払った代償が、胸を刺す。
無抵抗な侵略者なんていない。どのような作戦であれ、犠牲は避けられなかった。
理解はしている。でも、彼女は考える。
部隊の配置は最適だったのか。攻撃のタイミングに遅れはなかったか。誘き寄せたオークの戦力は、本当に十分だったのか。
──まだ他に、できた事があったんじゃ……
答えの出ない問いが、いくつも浮かんでは消え、また浮かぶ。考えればきりがない。考えても仕方ないことばかりが、心を締めつけた。
「……はい。次は、もっと完璧にします」 アルメリアは、ゆっくりと息を吐く。
ヒースの言葉に、感情を押し殺すように応える彼女を、リンネは優しく見つめていた。共に、勝利者の苦悩を分かち合うものとして──




