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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第三章 聖地防衛作戦
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第四十七話 戦斧のウルバン

 ドリアスを先頭に、剣兵隊は戦場を駆ける。

 目標は、ただ一点。敵の中心、必ずそこにいる大将ウルバン、ただ独り。

 踏み込みの一歩ごとに、速度を上げる。迷いはない。躊躇いもない。圧倒的な軍勢を前にして、さらに加速をかける。

 敵との間合いの一歩外、ついにその動きは最高速度に到達した。


 必然、人間の軍勢は、ドリアスたちを無視できない。できるはずがない。

 その速さに、兵たちは集中する。少数でありながら、真正面から突き破ろうと加速する剣兵隊に、意識が引き寄せられる。わずかに。だが確実に、戦列の中心へと視線は流れた。


 その時だった──。

 森が鳴いた。無数の鳥が、一斉に飛び立つような風切り音が鳴り響いた。

 だがその鳥は、空には飛ばず、直線的な軌跡を描いて、戦場の直中に獲物を定めて降り注ぐ。

 鉄の(くちばし)と、三枚の尾羽(おば)を持つその鳥は、兵士たちの甲冑を貫き、突き刺さった。


 迫る敵との衝突に集中した一瞬──その時を狙い澄ました一斉射。軍勢の側面は、盾を構える暇もなく、矢の雨をまともに受けた。

 だが、次々と崩れ落ちる隣の兵を、視界の隅に捉えながら、兵たちはそれでも、正面から眼を逸らす訳にはいかなかった。


 もうすぐそこまで、手の届くところまで──我らを、殺すため、我らに、殺されるために……敵は、来る。

 殺意と殺意は、交錯し、剣を握る手に、力がこもる。(はや)る心は、敵との距離を縮めるために、さらに一歩を踏み出させる。


 この瞬間、剣先は確かに、火花を散らした。

 刹那──ドリアスの姿は、敵の群れの中に消え失せた。


 前にいる兵の喉元へ、刃を走らせる──。

 その感触が伝わる前に、もう次の刃が迫る──。

 剣を抜くと同時に、躱す。そして、斬る──。


 止まらない。止まれば、死ぬ。刃はまだ無数に伸びる。

 横薙ぎ。突き。逆袈裟。斬り下ろし。だが──全てが遅い。

 凝縮した時の中で、ドリアスの視界には、その閃の隙間が見えていた。


 次の瞬間へ、次の次の瞬間へ。躱す、踏み込む、斬る。その繰り返し。そして、前へ。さらに前へ。

 ──なぁーんだ、たった、それだけか。

 身体は、自由だった。だが、頭だけが、不自由だった。思考が、剣の邪魔をした。


 鉄の壁に血風が舞う。その飛沫さえも、避けることすら出来そうに、鮮明だった。それは敵の血、そして恐らく……仲間の血。

 ドリアスは、この地獄に身を置いて、まだ一太刀も浴びてはいなかった。


 これは、ほんの一瞬の出来事──ここまでが、瞬きほどの刹那の時間。

 その永遠の時間を乗り超えて、彼女の剣は、ウルバンを捉えた。


 だが、その前に壁が立ちはだかった。主を守るための鎧の壁が、彼女の行く手を遮った。

 エルフの剣は速い。だが軽い。その刃では、この分厚い壁を打ち破ることは叶わない。


 それでも、ドリアスは加速した。

 ──ウルバン。あれだ、あいつが大将。あれだけを、斬ればいい。

 彼女の思考は、それだけだった。まるで、壁など見ていなかった。


 側近の重装兵たちは、その突進に備え、身構える。

 盾を寄せ、足を固め、全身を締め、鉄の壁は難攻不落の要塞となった。


 だが、ドリアスだけには見えていた。

 それは鉄の壁ではない。まして、要塞などでは決してない。鎧を着こんだ人である。


 こちらの動きに合わせた、踏み込み。攻撃に備えた、重心の変化。体格の差。癖。

 人でなければ、決して生まれることのない、その”こなし”──。


 ただ、ひと突き。彼女は、見えた急所へ剣を突き刺す。

 その攻撃は、鉄の壁には通らない。剣は、鉄壁に弾かれる。


 だが──動くはずのない壁は動いた。

 攻撃を受け盾を動かし、それを補うために横が連動する。急所を庇うための、その”こなし”は、壁に別の急所を生んでいた。

 それは、”隙”というには微細な隙間。だが、ドリアスは、その見えない要塞の死角へと、猫のように、その体を流れ込ませた。


 刹那──難攻不落の要塞から抜け出た敵に、ウルバンは歓喜した。

 眼前に突如として出現した、敵の姿を目にした瞬間、直感した。


 ──この剣士だ。勇者ヴィートを殺したのは、このエルフだ。


 天啓を受けたが如く、洞察した。

 仇敵を前に迷いなく、両刃の戦斧は、左右の違い隔てなく、ただ思い切り、振り下ろされる。


 ドリアスは、止まらない。

 魔術のように壁をすり抜けてみせてもまだ、その足は更に前へと、一歩を踏み出す。


 戦斧は降りる。上から下へと、真っ直ぐに──その瞬間、力は一点へと収束する。

 巨躯を駆使した全力の一撃は、地を裂き、空気を震わせた。


 その反動が、ウルバンの身体を軋ませる。許容を超えた肉体は、悲鳴を上げる。

 伸び切った関節。引き裂かれそうな筋肉。その異常な負荷に、脳はひたすら警告を発した。

 だが──もう彼は、それに耐える必要は無くなっていた。


 ドリアスの歩みは、ウルバンの必殺の領域に入っていた。それは、間違いがない。しかし──

 彼女は、その彼方へと、とうに過ぎ去ったあとだった──。


 ウルバンの視界が、ゆっくりと傾く。膝が折れ、己の戦斧の前に跪く。

 いくつもの鉄靴が通り過ぎた。兵士たちの雄叫びが、遠くに響いていた。

 そのすべてを、一人、指揮しておきながら。そのすべてから、一人、置き去りにされていった……


 それでも、ウルバンの兵は止まらなかった。主を失ってなお、前へ。

 止める者はもういない。命じる声はもうない。だがその足は、新たな(あだ)を果たすため、ひたすらに突き進む。


 再び、森が鳴く。弓兵たちが、一斉に矢を放つ。

 しかし、矢の雨を受けてもなお、彼らの足を止めるには至らない。

 どれほどの仲間が倒れようと、その心にある、神殿騎士団の誓いを破ることは叶わない。


 前へ、前へ。あと、わずか。標的である黄金のトリネコ(ギルデン・アスク)まで、もう目前。

 もはや、止める者はもういない。


 しかし、魔法兵たちは、杖を構える。

 残された魔力は少ない。視界は揺らぎ、立っていることすらやっとの者もいる。

 それでも、黄金のトリネコを守るため、退くことなど考えられない。


 詠唱が、紡がれる。

 残された力で、迫る敵に放つ魔法など、たかが知れている。無駄な足掻きに過ぎない。

 究極魔法は、もう撃てない──はずだった。


 杖から放たれたのは、残された魔力を掻き集め、絞り出した無理矢理の、撃てぬはずの、第四射──


 限界を超えた一撃に、倒れる者が現れる。だが、庇う余裕のある者はいない。プルサチラであっても例外ではない。

 これは、存在そのものを燃やした正真正銘、最後の一撃。

 もうこれ以上は、何もできない。もしこれで、まだ敵兵が残っていたなら、抗う術はなにもない。


 戦場を、白光が覆う。視界が閃光に埋め尽くされ、意識は霞む。敵も味方も、己の手さえもが見えなくなる。

 己の命がまだ繋がっているのかさえ曖昧で、運命の天秤が揺れる音だけが、魂の奥底で鳴っていた。


 やがて、光の残像を残して、戦場が戻ってくる。誰もが、肺から空気が漏れる音さえ惜しむように、息を止める。

 あとはもう祈ることだけが残されて、ただ結果の残骸を見つめた。

 

 白の幕が引かれたそのあとには──誰一人、立っている者はいなかった。


 勝利者には、笑みはない。死力を尽くした戦いに、身体は震え、視界は霞む。

 その視線の先には──燃えることなく、黄金のトリネコが立っていた。

 聖地を血に染めて、武器を構える者は、もういない。生き残った者たちは、ただ呆然と、息を繰り返しているだけだった。


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