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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第三章 聖地防衛作戦
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第四十五話 大杖のシュリン

 森を進むウルバンの大軍は、なおも速度を緩めることなく、奥へ奥へと突き進んでいた。

 その勢いは衰えない。衰えは許されない。むしろ、さらに加速しているかのようでさえあった。


 だが――その先端を支えるために力を尽くした者たちは、後方へと遅れていく。

 足を止める者。魔力が尽きた者。その場に倒れる者。それらはすべて、神の意志の下に切り捨てられていた。


 ウルバンの耳に、後方の報せは届かない。

 届くはずもなかった。届けられる者など、誰一人として残らなかったのだから……。


 彼の知らぬところで、後方に取り残された兵たちは、オークの群れと交戦していた。

 否。それは、戦いの体を成してさえいなかった。

 元より、オークと戦う備えなどない。挙句、陣形は崩れ、連携は分断され、兵に残った力は余りにも弱々しい。


 その状態で、オークの突進を止められるはずがなかった。

 後方部隊は、ほとんど何もできぬまま――ただ一方的に、オークの群れに呑まれていった。


 人間がエルフを殲滅するために投じた兵力は、一万五千。

 それは、アルメリアが想定していた上限。本来その数は、エルフたちにとって決して望ましいものではなかった。

 だが、想定の”上振れ”こそが、この戦に決定的な歪みを生じさせていた。


 ウルバンは、その数をもって勝利を掴むため進軍をさらに速めた。

 その結果、隊列は引き延ばされ、後方に疲弊し孤立した兵を置き去りにした。


 だが、誰が想像できようか──その隙間に、オークの群れが雪崩れ込むなど。


 兵たちは、抵抗も空しく、後ろから順に喰い潰されていく。

 そしてもはや、その損害は無視できるものではなくなっていた。オークによって蹂躙された兵は、”上振れ”分の五千を上回る数に達しようとしていた。


 しかし、その血の犠牲が、戦場に新たな風を呼んだ──


「ゴオォゥゥォオオ……!!」 低く、腹の底を震わせる咆哮が響く。

 一匹のオークが上げた雄叫びは、敵への威嚇であり、同時に危険を仲間に知らせる警告音だった。


 オークが視線の先に捉えたのは、魔法兵団。その中心にある、ひと際大きな杖と、それを担ぐシュリンの姿だった。   空気を震わせる咆哮に応じるように、魔法兵たちも一斉に杖を構える。

 だが、それでもなお、オークたちが前進を止めることはなかった。自分たちが開いた道を、ただ一直線に迫り来る。その圧力は、理屈ではない、純粋な力の恐怖だった。


”チィッ! 部下が返ってこないと思ったら……何なんだこいつら! なんで、こんなところに……”

 シュリンの歯は軋む。目の前のオークの隊列は、その後ろにいた部下がどうなったかを、明示していた。

 考える時間はない。もうすぐそこにまで、敵は迫って来ている。


「野郎ども!」 声を張る。迷いを押し殺し、意識を切り替える。

「アタシに合わせな! 一斉に行くよッ!」

 号令と同時に、詠唱が重なる。魔力がうねり、杖の先へと収束していく。


Catena(カテナ) fulguris(フルグリス)(雷光)”

 次の瞬間、一斉に光が弾けた。幾筋もの雷光が連なり、稲妻が前方へと迸る。

 地面が裂けるほどの轟音が鳴ったと同時に、迫り来るオークを貫いた。


 だが――焼け焦げたオークを踏み越えて、すぐ後ろのオークが間髪入れず踊り出る。

「────ッ!!」

 躊躇もなく、速度も落とさず。オークの前進は止まらない。

 オークの屈強な肉体は、雷撃を先頭だけで受け止め、後ろまでは通さなかった。


”クッ! このまま撃ち続けても、倒し切る前に――”

 ──オークの突進を止められない。その結末が過る。それでも、シュリンは歯を食いしばり、活路を探した。


 彼女は、ウルバンに協力を頼まなかった。それは無駄だと、分かっていたから。

 もし仮に、兵隊を預かることができたとしても、このオークの大軍相手に、盾となれたかは……分からない。


 オークの地響きと共に、無情にも時間は迫る。後のことを考える余裕など、もうどこにも残っていない。

「野郎どもォ!!」 シュリンが、喉を裂くように叫ぶ。

 そのありったけの声が、動揺する魔法兵たちの意識を、無理やり引き戻した。


「アタシの杖に魔力を全部寄越しなッ! デカいの一発、ブッ放すよッ!!」


 一瞬の沈黙。だが次の瞬間、兵たちの目に、火が戻る。迷いはない。

 残った魔力を結集させるため、全員が手を取り合った。集った魔力は、そのままシュリンの持つ大杖へと注ぎ込まれる。

 ただ、生き残るために──自分の運命を託して。


 本来の集団詠唱とは違う、酷く醜く、行儀の悪い魔法術式。

 無理やり押し込んだ魔力は、大杖を軋ませる。飽和した魔力が、制御を拒むかのように脈動していた。

 シュリンはそれを、力ずくで抑え込む。魔力が満ちる大杖を掲げ、そのまま長い詠唱を走らせた。


Ex(エクス) Caelo(カエロ) Descendit(デスケンディト), Iudicium(ユディキウム) Divinum(ディウィヌム) et(エト) Catenae(カテナエ) |Sempiternaeセンピテルナエ

(天空の門よ開かれよ。咎人を裁く雷よ来たれ、罪深き大地に鉄槌を)”


 大杖からの魔力の波動が、虚空を叩く。

 波紋は同心円状に広がり、大気を震わせ、空の密度を押し上げる。

 波がそのまま天空へ駆け上ると──天を裂いた。


 間に合った。魔法兵総員の魂を削り、結晶させた絶技。シュリンたちの上級魔法が、理を超え完成した。


 直後。白銀の咆哮が、大地へと叩きつけられた。

 空を破る衝撃波とともに、巨大な雷撃が大地を穿つ。それはまさに、神の振るう裁きの槌だった。


 オークの群れは、絶叫をあげる暇さえ与えられず光に呑み込まれた。(ほとばし)る雷撃は、視界のすべてを白一色で塗り潰し、一切の容赦なく有象無象を焼き尽くす。

 凄まじい熱量に焼かれた肉が爆ぜ、骨が砕け散る。断末魔は上げることすら赦されない。声すら瞬時に飲み干され、ただ、焼き尽くされた命の残滓が、焦熱の風に漂うだけだった。


 連鎖する雷が幾度も大地を叩き伏せ、ようやく世界は色を取り戻し始める。

 だが、それと引き換えに、魔法使いたちの世界からは音が完全に剥ぎ取られていた。


 耳鳴りが邪魔をする。しかし、彼らは目撃する。

 さきほどまで埋め尽くしていた緑の軍勢は、今やどこにもいない。そこに横たわっていたのは、黒く変わり果てた、脂の焼ける不快な煙を上げる肉の塊だった。

 

 その光景に、誰彼となく歓声を上げる。だが、誰にもその声は届かない。でも、それでも、これ以上ないほど大声を張り上げた。

 周囲が歓喜に包まれる中、シュリンは、ゆっくりと杖を下ろした。

 腕が、重い。視界が、霞む。もう魔力は残っていない。それでも、前を見た。


”チクショウ……” 彼女は確かに、そう呟いた。


 自分たちが、この森に来た理由──それを考えれば、次、何が起こるかは明白だった。

 戦場で魔力の尽きた魔法兵がどうなるかなど、言うまでもないことだった。

 だが、これ以上、シュリンにはどうすることも出来なかった。


 目の前で、一人が崩れ落ちた。

 そいつは、味方が百人いてもアタシとは戦いたくない、と言った奴だった。

 無音の中、次々と仲間たちが倒れてゆく。

 まるで、勝利の祝福の内に葬送でもするかのように、正確に急所を射抜かれていた。


 彼女には、もう何一つ、守る力は残されていなかった。

”大魔女様に、御目通りすら叶わないとはね……笑えるねぇ……。ごめ──”

 ただの一雫、その涙を除いては──


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