第三十八話 聖地防衛の二択
月明かりも届かぬ森の深奥、静寂に沈む木々に張られた天幕に、エルフたちは再び集っていた。
魔王を討ち、勇者を殺した──それがもし片方のみであったなら、相対するそれぞれの陣営から英雄として讃えられただろう。
だが、その二つを同時に成し得た者たちを、讃えるものなど何処にもいない。
むしろその偉業は、新たな火種となり、より苛烈な戦乱の渦へと彼女たちを追い込んでゆく。
次なる戦い、次なる作戦、次なる戦略。──その連鎖は終わらない。彼女たちは止まらない。
だがそれでも、世界は確かに、彼女たちの望む方向へと傾きつつあった。
隊長たちを前にして、ヒースは静かに目を閉じていた。
その胸に去来するものは、この戦いで散っていった者たちへの哀悼か──あるいは、大事を成し遂げた万感か──。
やがて、ゆるやかに、瞳を開く。
「――皆さん。本当によくぞ、勇者を討ち果たしてくださいました」
その声は柔らかく、しかし深く響く。
「後の世の歴史にどのように刻まれようとも、私は、あなた方の功績を決して忘れたりしない」
その称賛でも感謝でもない言葉を、プルサチラは何も言わずに受け止める。
ドリアスもまた、いつもの軽口で茶化すことなく、静かにその場に座っていた。
それは、他の者たちも同じだった。この戦いの意味は、それぞれの形で刻まれていた。
「――ですが、これで終わりではありません。我らには、次の戦いが待っている」
その言葉に応じるように、リンネが前へと進み出た。
彼女は一礼すると、迷いなく皆に向けて話を始めた。
「勇者殺しを、人間たちは決して赦しはしないでしょう。遠からず、大軍を率いて押し寄せてくるはずです」
それは、人間側の反応を正確に読み切った、確信に近い予測だった。
「とはいえ、我ら千の葉について、彼らには何の情報も掴ませていない」
リンネの声が、静かに場を引き締める。
「そもそも、各地に分散した我らの拠点を同時に攻撃するなど、人間には不可能です」
そこに迷いはない。積み上げてきた準備への確信があった。
しかし、その声にわずかな陰が差し、まっすぐな視線が、ゆるやかに落ちる。
「──ですが、彼らが唯一掴んでいる情報があります」
リンネは卓上に広げられた大陸地図に手を滑らせ、その一点を指し示した。
「我々が勇者と会談した地、黄金のトリネコのある森──」
指先が示すのは、深い森の一角。
「場所だけではありません。その価値も……勇者の仲間だった者の口から、既に伝わっていることでしょう」
再び、顔を上げる。その視線は、今度は全員を見据えていた。
「決して──彼らは、我々を赦さない。彼らは、この森を焼きに来る」
そう断定する。場の空気が張り詰める。
「こちらがそれを察知し、事前にこの地を放棄すればなおのこと。この地に留まり徹底抗戦するなら、我らごと……」
その言葉の最後に、重い沈黙が落ちた。
それに耐えかね、ドリアスが小さく息を吐く。 「……どちらにしろ、森は焼かれる、か」
呟きは軽いが、その瞳には一切の緩みはなかった。
その沈黙を受けて、ヒースがゆっくりと口を開く。
「ええ。だからこそ、皆の意思を、ここで確かめたい」
そして、視線を一人ひとりへと巡らせた。
「仲間の為に、黄金のトリネコを放棄するか、それとも、仲間と共に、黄金のトリネコを守るか」
選択肢は、二つ。だが、そのどちらにも救いはない。
「──どちらを選びますか?」 最後に、言葉を静寂に落とした。
「そんなの、決まってる」 質問に即答する、囁くような声が響く。
シレネの声音には、迷いも、逡巡もない。
そして、もう言うべきことはすべて伝えた、と言わんばかりに口を閉ざす。
隣のカシオペは、その横顔を一瞥し、問い返すことも、確かめることもない。
ただその素振りに、小さく肩を落としただけだった。
「──あの天井の魔法石。あの色、気に入っているのよね」
プルサチラが、ふと視線を上げた。場違いとも思える、彼女らしくない言葉。
だが、その一言の意味は、隣のドリアスには明確だった。
「そんじゃあ、仕方ねぇな」 ただそれだけ、短く息を吐く。
呆れたように肩をすくめ、わずかに笑みを浮かべた。
しばしの沈黙。のちに、ヒースはゆっくりと息を吸い口を開く。
「……ええ。ありがとう」 小さく、頷く。
「それでは、皆の覚悟に応えるために──。これから、『聖地防衛作戦』を立てましょう」
瞳が鋭さを増す。その奥には、確固たる決意が宿っていた。
「私から一つ、作戦を提案させて下さい」
ヒースの提案を受け、参謀であるアルメリアは間を置かず口を開いた。まるでその時を待っていたかのように。
「まず前提として、彼らが掴んでいる千の葉の情報は、三つあります」
「一つは、私たちがエルフの軍隊であり、そしてプルサチラを擁している事──
二つ目は、勇者を討った事、しかし、魔王を討ったのは知られていない事──
三つ目は、黄金のトリネコの価値と、この森の位置です」
彼女はすっと三本の指を立て、とても流暢に人間側が得ている情報を整理し並べ立てた。
「……なんだよ。有名人なのはプルサチラだけかよ」 ドリアスが、呟くように言った。
「はい、喜ばしいことに、全貌把握と呼ぶには程遠い。各部隊編成など、彼らには知る術もありません」
アルメリアは即座に応じる。
「これは、これまでの作戦が想定通りに遂行されたことが、大きく寄与しています」
「そして、何も知らない敵にとって、一つ目の情報は、とても大きな手掛かりとなる」
流れるようなその言葉に、わずかに熱が乗る。
「エルフの総数自体が、人間と魔族に比べあまりにも少数。そのエルフが軍を組織したとしても、その数はたかが知れている──彼らはそう判断するでしょう。そしてそれは、覆しようのない事実です」
「ですが同時に――」 その視線は、プルサチラへと向かう。
「始祖の魔女の存在は、彼らにとって無視できない脅威です。翼魔相手に見せた精霊魔法を警戒し、生半可な戦力で仕掛けてくるとは考えにくい」
その言葉をプルサチラは、ただ黙して聞いている。
「しかし、二と三の情報が、その規模に制限をかける」
アルメリアは、地図へと視線を落とす。
「魔族との戦線は維持せねばならない。その上で、魔族領の森へ侵攻するとなれば、投入できる兵力には限度があります」
地図上の魔族勢力と、黄金のトリネコの森をなぞり、この侵攻の危うさを示した。
そして、アルメリアは顔を上げる。
「結論として――」 一度、場を見渡す。
「敵の軍勢は、一万から一万五千の各陣営の混成部隊となる。そのように推測します」
その数字には根拠がある。
参謀のアルメリアは、人魔戦争の戦線に投入されている軍事力の把握に努めてきた。
各地の戦況、兵数、部隊、兵装──人間も魔族も区別なく、積み上げてきた知識。その中から、人間がエルフの軍を殲滅するとすれば、どの規模と構成で動くか。
現状を加味したその想定から、積み上げ算出した数字だった。
「最低でも、十倍ね……」 カシオペはぽつりと言葉を落とす。
「ええ。この兵力差で、何の策もなく交戦すれば、私たちに勝ち目などありません」
アルメリアは、はっきりと告げた。しかし、今一度場を見渡す。
「不詳の敵に対し、圧倒的な兵数差をもって臨む──当然の戦略です。ですが──」
「その敵の思考こそが、私たちを勝利へと導く突破口となる」 それ以上の確信をもって言い切った。
その言葉には、見えている勝ち筋を、現実に手繰り寄せる力強さが込められる。
冷徹な事実のみを並べるアルメリア。その彼女の秘策は、敵味方双方にとって、残酷といえるものだった──。




