第三十七話 忖度と配慮
重厚な扉が開かれる。
重々しい低い音が廊下に流れ、円卓会議の終わりを静かに告げた。
ほどなくして、その扉を最初に潜り議場から出てきたのは、大陸商人ギルド代表ヒューベルだった。
外気に触れた瞬間、役割から解放され、彼の表情は一段と緩む。
その彼を、場外で待ち構えていた一人の女性が、足早に歩み寄る。
「お疲れさまでした。何か、指示の変更はございますか?」
彼とは対照的に、凛とした隙の無い風体と、無駄のない言葉。
ヒューベルは、その問いに軽く目を細める。
「いえ、何も」 彼女の冷静な眼差しに対し、あっさりとした返答。
「すべては想定の範囲内です。……それはもう、こちらの思い通りにはならないところまで」
そう付け加え、わずかに肩をすくめる。口元には、皮肉とも自嘲ともつかぬ笑みが浮かんでいた。
「ええ。事が済むまでは、我々に出番はないでしょう」
そしてようやく、彼女へ視線を向ける。
「しばらくは時間に余裕ができますから、ロスリンさん、貴女もお姉さまのところへ顔を出されるなら、今のうちですよ」
しかし、その彼の気遣いに対し、ロスリンはわずかに表情を曇らせる。
「お心遣いに感謝いたします。しかし、その必要はありません」
何気ない挨拶のような言葉に、明確な拒絶を示した。
「私が顔を出したところで、傷が癒えるわけもありません。……姉も今は、誰とも会いたくはないでしょう」
「そうですか――」 ヒューベルも、それ以上踏み込むことはしなかった。
そのとき。鉄靴の打ち鳴らされる音が、廊下の空気を切り裂いた。
二人の前を、神殿騎士団総長ショルテと随伴する騎士たちが、足早に過ぎていく。
彼らに一瞥もせず、立ち去る背中には、すでに戦場へと向けられた気迫が満ちていた。
――エルフ討伐の戦は、すでに始まっている。
ヒューベルはその一団を、わずかに視線を向け見送った。
議場の扉から最後に姿を現したのは、魔法評議会議長テュッテバルだった。
騎士団が去って行くのを後目に、杖を軽く鳴らしながら歩み出るその姿は、会議の場にあった厳格さとは趣が異なり、どこか機嫌が良いようにもみえる。
その彼が、ふと足を止める。
「――これはこれは、御両人」 声音は変わらないが、柔らかさがある。
「このような所で密談とは、何か悪だくみでもしておいでかな?」
彼に声を掛けられ、ヒューベルはわずかに目を見張った。
「悪だくみなど、滅相もない」 だがそれも一瞬で消え、すぐにいつもの表情へと戻る。
「これから戦場へ赴かれる騎士たちのために、我らに何ができるかを、話し合っていただけでございますよ。議長殿も、此度の戦にご入用のものございましたら、何なりと我らにお申し付けください」
肩をすくめ、変わらない軽い笑みを浮かべる。
だが、その白々しい物言いを、テュッテバルは一切意に介さなかった。
「ふむ……以前に貴殿と相見えたのは、いつのことであったか」
遠い記憶を手繰るように、わずかに目を細める。
「その折は、なんとも危うい若者よと、老婆心ながら案じたものだが……」
一拍空け、そして一笑を重ねる。 「なるほど。なかなかに、面白い御仁となられた」
その捉えどころのない評価を、ヒューベルはただ黙して聞いている。
「――とりわけ、ショルテ殿に、あのような物言いができる者など……騎士団にはおるまい。我らの中にもおるかどうか……」
口元に、かすかな歪みを浮かべ、低く笑う。
「いやいや。あれを見られただけでも、本日ここに足を運んだ甲斐があったというものだ」
そこまで聞き、ヒューベルはようやく、彼の機嫌の良さの原因を察した。
「しかし――」 その声音から、笑いが消える。
「以前よりも危うい橋を渡られるのは、いただけぬな」 そして、散々褒めた後、釘を刺した。
テュッテバルは、ヒューベルの反応を確かめることもなく、ゆるやかに身を捻る。
そのまま立ち去るかに見えた、そのとき──ふと思い出したように、視線だけを彼の横へ流す。
「ああ、そう。あなたの姉上、ローザ殿は我々のもとで順調に回復しておるよ」
その言葉を受けたロスリンは硬直する。
「ただし、周囲の目もある。ご尊父殿の御意向も、承っておりますでな」 淡々と続ける。
「もはや戦場に立たせることはないように、と。傷が癒え次第、名のある教会へ迎え入れる手配を進めておる。ご尊父殿には、心配はいらぬと、お伝えいただきたい」
それは忖度と配慮の言葉であると同時に、拒否できない決定の通達でもあった。
ロスリンはわずかに息を整え、彼の言葉に表情を変えず、感情を押し殺し応える。
「この度は、我が姉、ひいては我が家の名誉にまで御配慮を賜り、深く感謝申し上げます。父には間違いなく申し伝えます」
それは、一分の隙もない、儀礼として整えられた応答だった。
深々と頭を垂れる彼女を見届けると、テュッテバルは去って行った。杖が床を打つ、乾いた音だけを残して。
「──。さてと、では我らも退くと致しましょうか。今日許される余暇で、明日の苦難を買うとしましょう」
そう言い残し、ヒューベルは王都をあとにする。
ロスリンはただ黙して、彼の後ろをついて行くのだった。




