第三十四話 勇者
……こんなとき、どうすりゃ良かったんだろう。
仮に、何かよい対処法があって、俺がそれを知っていたとしても、この二人を救えただろうか。
「氷河の上を歩くのは無理じゃ、ちょっと、手を貸してくれんかのう」
「ねーえー。こっちの石と、こっちの石、お土産にするのにどっちがいいとおもう?」
──こいつら……。登山を舐めてんのか。
まったく……。ただ、そうは言っても、ここまで来た以上、二人を放っておくわけにはいかない。できることならそうしたいが、流石に俺にも、そのぐらいの弁えはある。
「はいはい、爺さん。今行くから。手を引くより、後ろから支えてやるよ」
斜めに回り込んで、腰を支える。……なんだ? 本当に爺さんの世話をしてるみたいだな。
「ほら、怖がるなって。滑りそうになったら、こっちに倒れてこい」
「ううむ……かたじけない」 ドワーフは、やたら慎重に足を出す。
一歩止まって、また一歩。そのたびに、足がぷるぷる震えてる。
……そんなにか? いくらなんでも怖がり過ぎだろ。
ひょっとして──このドワーフ、見た目以上に年寄りなんじゃ? いや、だいぶ老けては見えているんだが……。
それにしたって、このヨボヨボ具合はどうなんだ。
何時くたばってもおかしくない、ってほどドワーフから力強さを感じなかった。
そんなふうに考えながら、ヨタヨタとなんとか氷の上を抜ける。で、やっとエルフのところまで辿り着いた。
そこまで歩くと俺は確信した。このドワーフ、歩くのがやっとなほどの爺さんなんだ、と。
「おーそーいー」 俺たちを見てるだけのエルフが、腕を組んで文句を言う。
……なんだこいつ。手伝いもしないで。ムカつく。
いやまあ、あそこで手を出されても、逆に迷惑にしかならないけど……。
それにしたって、言い方ってもんがあるだろう。まったく……どういう育ち方をすると、そういう言葉遣いの大人になるんだろうな。
……ん? あれ? ひょっとして──
今さっき見たものが、デジャヴのように蘇る。
……このエルフも、見た目と中身が一致してないのか?
言動から察するに、ドワーフとは逆に、見た目よりだいぶ子供なんじゃないか?
大人っぽい振る舞いだけは真似して、切れた靴紐も直せないような、どうしようもない子供……。
そう思って見てみると、このエルフの態度も可愛げがある気がした。……ほんの、ちょっとだけな。
──そうして、俺はこの二人に振り回されながら、三倍の労力をかけて、山を登っていった。
と言っても、まっ、俺にも学習能力がある。道中、この重労働から抜け出すために、色々と頭を捻った。
多少の手間をかけて、俺が先に邪魔な瓦礫をどけておけば、ドワーフも大きく迂回しなくてもよくなったし、エルフのご要望にも、なんとなく何をやって欲しいのか分かってきて、先回りして動けるようになった。
おかげさまで、俺には弱音を吐く暇なんて、まったく与えられなかったが。
あ、そうそう。後世の記録に修正を入れておかないといけない。
登山が下手糞なのは、ドワーフとエルフという種族なのではなく、この二人なのだ、と。
そんな苦労の末、俺たちはやっと、頂上に辿り着いたんだ──。
それで、ハッピーエンド。めでたしめでたし。ちゃんちゃん。
──と、思うだろ? 俺もそう思ったんだよ。でも……俺はまた、見た目に騙された。
下から登ってくると、ここが山の頂上に見えるんだ。どう見たって。
でもあるんだよ。その頂上に登ると、ここより高い場所が、見えるんだ。
どっと疲れが出る。俺はその場にへたり込んで、その頂上までの道を見つめていた。
「無理じゃな」 ドワーフが言う。
「ここでいいじゃない。帰りましょうよ」 エルフも言う。
頂上までの道は、見えてるのに遠い。凍った狭い稜線を、吹きさらしの風が吹き荒れる。
その中を、ドワーフを支えながら歩くなんて無理だった。
もし、一人だったなら、頂上に登ったことにして、帰ったかもしれない。
だけど── 「無理じゃない。行こう」
なんでだろ。俺の口から、そんな言葉が出てきた。
さて……どうしよう。言ったはいいが、頭の方は空っぽだ。
「なあ、エルフの魔法で、この風を止められないか?」
俺はとりあえず頭に浮かんだ計画をエルフに聞いてみた。
そうだ、それが一番手っ取り早い。あの湖のときみたいに、すごいのを一つ。少しインチキくさいが、まあいい、この際……。
「え? 無理よそんなの」 しかし、その答えは無情なものだった。
「いい? 私たちの魔法は精霊の力を借りるものなの。精霊の力を止めるなんてできないわ」
エルフはその知識をひけらかすように、得意げに話す。
「この風を使って、もっと大きな嵐なら作れるわよ?」 …………。ちっ。
うーーん……。さて、どうしよう、振り出しだ。
無い知恵を絞って考える。心なしか、風はどんどん強くなってる気がする。本当に嵐になるのかもしれない。そうなったら、ここにいるのだってヤバい。
──まてよ、嵐……か。
「なあ、こういうのはどうだ?」 俺は思いついたまま、二人にアイディアをぶつけてみた。
「エルフの魔法で、嵐を作るんだよ。渦の中心って、風が少し弱くなるだろ。そこに三人で固まって、そのまま進む。……どうだ?」
言ってて分かる。無茶苦茶だ。だから、これを聞いたエルフの、露骨に嫌そうな顔も頷ける。
「そんな器用なこと、やったことないわよ。それに、自然の力は不安定なの。突風が来たら、どうなるか保証できないわ」
……まあ、そうだよな。下手すりゃ、今よりひどいことになる。ちょっと考えれば分かる話だ。
なのに―― 「……でも、面白そうね」 エルフは、最後にそんなことを言った。
横で話を聞いていたドワーフが、際まで歩いていって下を覗き込む。
「少しでも風に煽られれば、そのまま真っ逆さまじゃの」
淡々と言う。その通りだ。だから俺も、変に誤魔化さず事実を言った。
「ああ。そんときは三人まとめてヴァルハラ行きだな」
ドワーフは、楽しげに笑い出す。
「ほっ、ほっ、ほっ。それは退屈せずに済みそうじゃ」 それは、出会った時と同じ笑い声だった。
──話は決まった。
俺たちはさっそく、切り立った崖の上で身を寄せ合う。
遮るもののない稜線には、まともに立ってるのも嫌になるような強風が吹き荒れていた。
「それじゃ頼むよ。嵐の渦を作ってくれ」 エルフは黙って頷くと、魔法の詠唱を始めた。
彼女の周囲を風が巻き始める。
ぐるぐると円を描いて、どんどん強くなる。俺たちを呑み込んで大きくなり、気づけば、風の渦の中心にいた。
……おお、すげえ。思った通り、中は随分マシだ。
「そんじゃ、爺さん。一歩ずつ進んでこうぜ。後ろから支えるからよ」
「うむ……頼むぞ」
一歩、踏み出す。その一歩に合わせて、俺も体を預けるようにして支える。また一歩。
──大丈夫。この一歩を繰り返せば、頂上まで辿り着ける。これでいい。
そのまま、細い稜線を列になって頂上を目指した。
ゆっくりと、一歩ずつ。慌てなくていいんだ。
俺のそんな想いがドワーフにも伝わってるみたいに、確実に俺たちは進んでいった。
――一歩。また一歩。
俺たちは、もうあと数歩ってとこまでやって来た。
──あと、少し。 逸る気を押さえながら、歩みを進める。
その時だった──突然の上昇気流が俺たちを襲った。
計算外の乱気流。俺は咄嗟に、ドワーフにしがみついて、その場に腰を落とし、なんとか踏ん張った。
けど── 「きゃーー!」
突風の中、背後で悲鳴が響く。振り向くと、エルフの体が、ふっと浮いた。
──まずい!! 必死に手を伸ばす。
掴んだ! だけど、これじゃ俺もそのまま…‥。いや、爺さんだって。
その瞬間、もう一本、腕が伸びてきた。
太くて、重いドワーフの腕だった。エルフの体が、そこで止まる。
……助かった。いや、違う。ダメだ。このままじゃ、どっちにしろもたない。
そう思った瞬間、もう考える余裕はなかった。
エルフから手を離して、代わりに俺はドワーフの背中を思いっきり押す。
「――行っけぇ!!」
あらん限りの目一杯。ドワーフの体が、ぐっと前に出る。
俺の体の一体どこに、そんな力があったのか。分からない。そんなこと、今はいい。とにかく頂上まで行くんだ。
ドワーフの体が、エルフごと前に倒れる。そのまま三人とも、転がるように、頂上へなだれ込んだ。
しばらく、何も言えなかった。ただ、心臓の音だけが、やけにうるさく響いていた。
それが少しずつ落ち着いてくると、俺たちは顔を見合わせて、とてもよく笑った。
理由なんて、よく分からない。ただ、笑ってた──。
それから、ようやく立ち上がる。
頂上から見る景色は、一面が雪に覆われていた。風は相変わらず冷たくて、顔に当たると痛い。
でも、そこから見える景色は、今まで見たことがないくらい、広かった。
山も、岩も、湖も、森も、その向こうまでずっと続いてる。あらゆる世界を一望しているような、そのほとんどは、まだ俺の知らない世界だった。
「うむ。やはり儂は、地面の下が落ち着くのう」
「岩と氷ばっかりじゃ、水浴びもできない」
同じ景色を見てるはずなのに、出てくる感想はバラバラだ。種族が違えば、まあ、そういうもんか。
けど俺は、なんでか分からないけど、視界が滲んだ。
顔からは、涙が溢れ出ていた。
──ああ……。そうだ。思い出した。
俺は、死ぬつもりで、この山に登ってたんだ……
何もかもがどうでもよくなって、ここで消えてしまえたら、それでいいって。
……なのに。こんなに遠くまで、まだ知らない世界が広がっている。
俺の知ってる世界なんて、てんでちっぽけだ。馬鹿らしくなるぐらい──
涙を止めることができず、俺は大泣きした。二人が心配するほどに。
──それから、ようやく泣き止んで、待っていてくれた二人に、照れ隠しに言葉をかけた。
「ありがとう。二人のお陰でここまで来れたよ」
そして、俺は続ける。
「俺の名前は、スタインって言うんだ」
「スタインか。いい名じゃの。儂はエゲプロンじゃ」
「アタシは、ヒース」
「エゲプロンに、ヒース。……ありがとな、本当に」
そう言って二人の手を握ったら、思わず口が滑っちまった。
「もしよかったら、また三人で、ここに来ないか?」
「それは名案じゃ。こんなに愉快な旅は、そうそうないからの」
「いいわね。次はもっと面白いこと、起こりそうだし♪」
二人とも、やけに乗り気だった。後悔先に立たず。とてもこの約束を取り消せる雰囲気じゃなくなった。
……まあ、いいか。
このとき俺は、帰りのことなんて、何も考えてなかった。
実はその帰り道、またひと悶着あったんだが……まっ。それはまた、別の機会に──。
第二章 勇者暗殺作戦 完




