第三十二話 泉のエルフ
「ほっ、ほっ、ほっ。そんなに不思議かの」
ドワーフは、相変わらずの笑顔で続けた。
「昔はな、多くの仲間と、この山を掘っておった。だが今は、儂ひとりになってしもうた。それだけじゃよ」
……それだけ。で済ませるには、結構重たそうな身の上に俺には聞こえる。
けど、この顔で言われると、まあ、そういうもんなのかって気もしてくる。
それが気になって、つい口が動いた。 「仲間は、どこ行ったんだ?」
「ほっ、ほっ、ほっ。ドワーフはな、少しばかり鼻が利く。枯れた鉱山を嗅ぎ分けるのじゃ」
にこにことしたまま、そんなことを言う。
……ああ、なるほど。掘る価値がなくなったから、みんな出ていった、ってことか。
ただそうなると、最初の疑問が頭をもたげる。
「じゃあどうして、あんたはそれで、ここで独りで何をしてるんだ?」
「ほっ、ほっ、ほっ。儂の鼻はな、ここはまだ枯れておらんと、そう言うておる。それだけじゃよ。そんなに不思議かの」
なるほど、ようやく納得できた。疑問に思ったことが馬鹿々々しいぐらい、言ってることは単純だし、筋も通ってた。
――で。さて、どうするか。
上の雪山に比べりゃ、ここの居心地は悪くない。寒くもなければ、風も吹かない。さらには上手い飯もある。
けど、長々と居座るってのもな。流石に俺にも、そのぐらいの弁えはある。
「……なあ、あんた。ここの出口を知らないか?」
俺はそれとなく、この気のよさそうなドワーフから、外の出方を探ってみた。
「うん? 外に出たいのか……。うーむ……」
すると、ドワーフからさっきまでの笑顔が、すっと引っ込んだ。
……あれ? なんか様子がおかしいな。
まさか、出口がないなんてことは――いや、さすがにそれはないだろ。
ちょっと頭を回して、言い方を変える。
「あー……その、さ。さっき飯も貰ったしさ。食った分くらいは働くよ。それで、外まで案内してくれないか?」
軽く肩をすくめる。背に腹は代えられない、えーっと、確かそう、”得ようと思ったら、まず与えよ”ってやつだ。
しかし、俺の一世一代の交渉に、ドワーフは相変わらず口ごもる。
「うーむ。おぬしが働いたところでな……」
その素振りから察するに、俺からもっと、がめつく搾り取ることを考えている──という訳でもないようだ。
なんかこう、話が噛み合ってない感じがする。なんでだ?
「何か問題があるのか?」
俺はめんどくさくなって、単刀直入に聞いてみた。そうしたら、その答えは、意外とあっさり返ってきた。
「うむ。ここから出るとなると、片付けねばならないものが、細々と。中々、すぐにというわけには、いかんのう」
──ん? 何を言っている?
俺が問い直すより先に、今度は向こうが聞いてきた。
「──ところでおぬしは、いったい何しに上に行くのじゃ?」
そう言われて、ちょっと詰まる。その問いは、俺を考えさせた。
いや、帰るつもりだったけど。でも俺は、そもそも登ってたよな。
なんて答えたらいい──?
口を開きかけて、やめる。うまくまとまらない。
すると、そんな俺を見たドワーフは、勝手に納得したように、うんうんと頷いた。
「その身なりで、この山を登るとはな。よほどの覚悟があっての事よの。まこと、勇ましいことじゃ」
「よし、ますます気に入った。儂は、おぬしについて行くぞ。ちょっと待っとれ、今すぐ片付けるでの」
──は? いやいやいや。ちょっと待て。話が、おかしい方向に進んでいる。
「いやいや、遠慮することはない。儂もよくよく考えて頼んでおる」
頼んでるのは、こっちのはずなんだが。
「どうかこの老いぼれを、お供にして下さりマシてそうろう」
語尾もなんかおかしいし、内容もおかしい。というか、話全部がおかしい。
俺はしばらく、その場で固まっていた。硬直する俺は、ドワーフにはどう見えているのだろうか。
……これから、どういうことになるんだ、これは……。
そんな俺の心配をよそに、ドワーフはそそくさと荷物をまとめている。
うーん、困った。……ん? あれ? でも、まてよ。
困るか? むしろ、このドワーフと一緒なら、山登りはだいぶ楽にならないか?
へばったときは、担いでくれるかもしれない。頼もしい風の防壁にもなりそうだ。
よくよく考えたら、俺に悪いことは何一つなかった。うん、間違いない。
「よーし、こんなもんじゃろ。それでは行くとしようか、勇者殿」
その呼び名に煽てられたわけじゃないが、俺は、すっかりその気になっていた。
◆
ドワーフに先導されて、地下の道をしばらく歩いた。
その道は立派ってほどじゃないが、歩きやすく整っていた。ちゃんとドワーフたちが使ってた道だってのは、なんとなくわかる。
そのまま進むと、水の音が聞こえてきた。
やがて細い水路に出て、その流れに沿って歩いていくと、地下道は、そのまま外に抜けた。目の前には、水路とつながった湖が広がる。
……こんな場所、まったく見た覚えがない。ってことは、たぶん山の向かい側に出たってことか。
俺は、知らず知らずのうちに山越えをしていたんだ。下からだけど。
まあ、それはいいとして、実は大きな問題があった。――湖に、まったく見た覚えがないものが、もう一つあったんだ。
湖のほとりで、女がひとりで沐浴をしていた。
とても美しい女性だった。銀色の長い髪は、水を反射してキラキラと、美しい肌を引き立てる。
とても綺麗だった。こんな美しい女性を、俺はこれまで見たことはなかった。
俺はなんでかそのとき、あの時のことを思い出していた。
岩橇で突き出た岩にぶつかったあの瞬間を──。
──ああそうだ。この最高の瞬間は、きっと、次の最悪の瞬間に繋がってる。
俺が得た人生の教訓は、裏切ることなく、日も変わらないうちに実証された──。
美女に見惚れていた俺の前の湖面が、不自然に盛り上がる。
邪魔すんな! って文句を言う暇もなく、湖の中から巨大な蛇が立ち上がる。
いや、そう見えただけで、それは蛇じゃなくて、ただの水の塊だった。でも、それは本物の蛇みたいに、体をくねらせてこっちに突っ込んできた。
あ、終わったわ──避けるとか、防ぐとか、そういうのができる相手じゃない。
成す術なく、水に呑まれた。しかも、呑まれた中で、蛇みたいに水が体を締め付ける。息なんて、できるわけがない。
……これは、今度は本当にヤバそうだ。
……ああ、そうか。神に祈らなかったから。まだ間に合うか──?
俺は性懲りもなく、また神に祈った。
──どうか、苦しみなくあなたの御許にお召ください。 って。
──で、どういうわけだが、神は性懲りもなく、俺の願いを聞き入れて下さった。
水が弾ける。さっきまで絡みついてた水の蛇は、ただの水に戻って、ばらばらに崩れる。
「っ、は……げほっ……!」 俺とドワーフは、思い切りその場でむせた。
そりゃちょっとは苦しみはあったが、でも、思ってたほどじゃない。神様だって慌てたんだろう。
その場でむせかえる俺たちのすぐそばに、いつの間にか、さっきの美女が立っていた。もちろん──服を着て。
……めちゃくちゃ怒ってる。それはわかる。うん、まあ当然だ。
せめて謝罪と言い訳をしたかったが、水を飲みすぎて、それどころじゃない。
そんな俺より、いち早く持ち直したドワーフが先に口を開いた。
「……お嬢さん、すまなんだ。悪気はなかったが、見てしまったことに変わりはない」
ああ、そうそう。俺が言いたいことを、いい感じにまとめてくれてる。
「とはいえ、おぬしの怒りも収まらぬじゃろう。致し方ない。儂らふたり、潔くここで討たれよう」
──は? いやいやいや。ちょっと待て。話が、おかしい方向に進んでいる。
「ごほっ、げほっ、ごぼっ!」 思わず余計にむせる。止まらない。
「ああ、勇者殿。分かっておる。乙女を穢したのじゃ。万死をもって償わねば、ヴァルハラで笑われるのじゃろ」
──なんでそうなる。潔すぎるぞ。諦めんの早すぎだろ。
──こんなことで死んだら、ヴァルハラでも大爆笑とれるだろうよ。
──だめだ、このドワーフ。なんとかしないと。
そう思うのに、まだ声が出ない。すると、女の方から近づいてきた。
そして、俺の前で立ち止まる。 「……アンタが勇者?」
その声に釣られて見上げた女の耳は、とても長く、尖っていた。




