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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第二章 勇者暗殺作戦
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第二十九話 魔王も勇者も消えた世界

 白霧の谷での戦いの結末は、生き残った戦士グレンによって、ほどなくして人の世に伝わった。


 勇者、戦死する──その報せは、瞬く間に各地へと広がり、人々の心は重く沈んだ。

 希望の光を失った王国民は、誰もがその死を悼み、ある者は天を仰ぎ、ある者はただ顔を覆った。


 だが、その衝撃は、単なる敗北の報にとどまらなかった。その死が意味するのは、あまりにも大きく、あまりにも危うきに過ぎるものだった──。


 勇者は、魔王と戦ってすらいない。勇者を討ったのは、魔族ですらないエルフ。


 その事実は、これまで人魔戦争の矢面に立ち、勇者を輩出してきた神殿騎士団にとって、この上ない屈辱となった。

 その彼らと、戦線を共にしてきた魔法評議会と、王国にとっても、極めて受け入れ難いことだった。


 ゆえに三者は、この真実を、そのまま世に知らせることを許さなかった。

 人と魔が戦い続けてきた千年の歴史に生じた亀裂を前に、彼らは沈黙を保つことでしか、秩序を守ることができなかった。


 こうして、歴史は語られる“記録”と、伏せられる“真実”とに分かたれた。

 だが決して、覆い隠されたものが、消えることはない。

 むしろそれは、静かに世界を動かす血脈を巡り、やがて新たな災いを芽吹かせることとなる。



 同じ頃──未だ主なき魔王城には、いくつもの影が行き来していた。


 崩れたままの玉座の間。かつて王の威を示していたその座は、今はただ瓦礫としてそこにある。

 その砕けた玉座に、この城の仮の王は身を預けることなく、ただ静かに瞑目して立っていた。


 やがて、(せわ)しく動く影たちの一人が進み出て、仮初の王の前に跪く。

「ペルガメント様。ご報告いたします──」 低く抑えた声が、空間に落ちる。


「ジレン様、並びにノーリュース様へ、白霧の谷の戦いの顛末をお伝えいたしましたが……いずれも、現時点で動かれる様子はございません」

 それだけの簡潔な報告。それは、彼の予想を裏切るようなものではなかった。


「……だろうな」 ペルガメントは短く応じた。

「エルフは未だ、兵を多く残したままだ。下手に動けばどうなるか、あの方たちも良く分かっているだろう」

 声に感情を乗せぬまま、わずかに視線を落とし、続ける。

「お前たちも、決して軽挙はするな。ただ、監視は怠るなよ」

「はっ、お言葉、承知いたしました」 影は深く頭を垂れ、音もなく退いた。


 ペルガメントは、崩れた玉座へと一瞥をくれた。

 ──こうも鮮やかに勇者たちが殺されるとは……。

 ──だが、何よりもまず、残ったソルヴの軍勢を急ぎ再編せねばならない。

 ──奴らに手を回すのは、それからだ。


 魔王も勇者も消えた世界──それは、先を読むにはあまりにも難しい混沌に満ちている。

 ペルガメントの冷徹な目は、現実を見据え、すでに次なる手を模索していた。


 ふいに──考えを巡らせる彼の頭上高くから、ひらひらと、一枚の白羽が舞い落ちる。


 それが彼の視界に入ると同時に──

「──ひょっとして、私の死を悼んでくれているのかしら?」

 甘く、粘りつくような声が、玉座に溶けた。


 ペルガメントは、その不快な声の持ち主に振り向くことなく、ただ隠すことのない嫌悪を向けた。


 背後で、向けられた嫌悪を振り払うように、銀の翼がゆるやかに揺れる。

「ああ……スペイルも可哀そうに。逃げる間もなく、殺られてしまうなんて……」

 目元を押さえ、嘆く仕草を見せながら彼女は続けた。

「ええ、ただ殺すだけでは足りないわ。私のかわいい子が受けた苦痛の、何十倍もの責め苦を味わわせてあげないと」


 見え透いたその愉悦に塗れた嘘は、ソルヴが何をしたのかを明確に示唆していた。

「貴様……。エルフと繋がっていたのか──!」

 冷徹なペルガメントのその一言からは、抑えきれぬ怒気が滲んだ。


 だが、ソルヴは責められていることすら、愉しむかのように肩をすくめ、くすりと笑う。

「繋がっていた、なんて……人聞きが悪いわ」

 身を乗り出し、囁くように会話を続けた。


「エルフたちの作戦なんて、私は知らない。ただ……邪魔をせず、殺らせてあげただけ」

「まさか、本当に殺ってのけるなんて、私も思ってなかったのよ」

 しっとりと湿った声が、いやらしく玉座にまとわりつく。


 ペルガメントは、ソルヴの声に長い耳を尖らせたまま、露骨に顔を歪めた。

「ああ……いいわ、とっても素敵。貴方は、やっぱりいい男……」

 その顔に、ソルヴはうっとりと目を細め、恍惚とした表情で応えた。



 エルフの森の人影もない深奥で、二人のエルフは、二つの作戦の完遂を密やかに噛みしめていた。


 作戦の撤収は完了し、部隊は再び分散され、すべての措置は終わっている。

 二人の間にはもう、言葉は何も必要ない。


「……本当に、あなたが副官でよかった」 ヒースは、ぽつりと呟いた。

「すべてが上手くいったのは、あなたのおかげ」 リンネの仕事を、心から讃えた。


「私は、状況を整えただけです。勝利の称賛は、戦士たちにこそあるべきです」

 リンネは目を伏したまま、それを受け取ろうとはせず、淡々と返した。


 しかし、ヒースは分かっていた。彼女なしでは、この勝利に辿り着かなかったことを。

 戦場に賭けた命を、策をもって繋ぎ止め、味方の犠牲は最小限となったことを。


「魔王を殺し、勇者を殺し、約束はようやくここまで辿り着いた。ありがとう、リンネ」

 まるで押し付けるような感謝の言葉に、リンネはただ頷いて応えた。


 そして、ヒースはもう一つ分かっていた。彼女が自分に求めている言葉を。

 視線を上げる。緩やかに、しかし確かな意志をもって、ヒースは宣誓する。


「──さあ、次の戦いの準備をしましょう」


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