第二十六話 慟哭
──もう、声は出ない……。
──でも、最後に……伝えなくちゃ。ああ、でも……
その言葉に辿り着く前に、すべては途切れた。
あまりにもあっけなく、勇者は崩れ落ちた。
リラが振り返った時、その目に飛び込んできた光景は、すべてが終わってしまった世界だった。
この場にあった彼の姿はなく、あるはずの未来も、もうそこにはない。
「ヴィートォッ!!」 その世界の静寂を、グレンの絶叫が引き裂いた。
その腕を倒れ伏したローザに伸ばしたまま、目だけは崩れ落ちるヴィートを捉えていた。
何よりも守らねばならなかった者の板挟みに、グレンはどちらも選べなかった。
それはもう、手遅れであるのに、それさえ分からず立ち尽くす。
「嘘……」 その声は、震えていた。
「なに……これ……」 理解が、追いつかない。
いや、リラの心が理解を拒んでいた。
呆然と立ち尽くし、膝の力が抜けたように、その場に座り込んだ。
その目はヴィートだけを見つめ、この現実を拒むように、ゆっくりと地を這って近づいた。
ようやくして辿り着くと、彼の顔に手を伸ばす。指先が触れ、掌で頬を撫でる。
血の気は失われ、温もりはどこにも残っていない。
それでも、確かめるように頬を寄せる。
だが──もうその命は消えていた。
リラの肩が、大きく震える。声にならない声が、喉の奥で砕ける。
ようやく、堪えきれなくなった涙が、零れ落ちる。
あとは、壊れてしまいそうなほどに、泣き崩れた──。
任務を終えたエルフたちは、用の無い二人を残し、この場から去っていった。
だが、彼女だけは、蛇を食む牡鹿を手にしたまま、背を向けることもなく、その慟哭を聞き続けた。
やがて、その声は途切れた。しかし間を空けず、枯らした涙は憤怒を燃やした──。
「プルサチラァァアッッ!!!」
人の声とは思えない獣の咆哮に似た叫びが、谷に響き渡った。
その声と共に、彼女は力強く立ち上がり、プルサチラに向かって杖を構えた。
これまで聞いたことのない彼女の声に、隣に寄り添っていたグレンすら息を呑む。
それでも、まだ何ひとつ、理解などできていなかった。
この企みが、いつからだったのか、どこから仕組まれていたのか──だが、そんなことはどうでもよかった。
プルサチラが、どこまで関わっていたのか──それすらも、関係ない。
赤く腫れた瞳には、もはやただ一つしか残っていない。
彼女に対する憧れも、畏敬も、感動も。そのすべては焼き尽くされ、その奥には殺意のみが宿っていた。
「あんたは手を出すな」
リラはプルサチラを見据えながら、隣のグレンにそう言葉を吐き捨てた。
「この女だけは、赦さない──!」
止めるべきだった。だが、グレンにはできなかった。ならせめて──
”あのプルサチラを相手にするなら、二人で戦うべきだ”
そう言うべきだった。だが、その言葉すら、グレンは呑み込んだ。
二人を守れなかった負い目が、彼を縛り付けた。
ローザも、ヴィートも、この身を盾として守るのが自分の役目だったのに──それを果たせなかった自分に、リラの勝負に水を差す権利はなかった。
何もできない。リラの横顔は、すでに彼の知る彼女のものではなかった。
この戦いに、意味はなかった。
千の葉の『勇者暗殺作戦』は、すでに完了している。いまさら一人の生き残りと刃を交えることに、戦術的な価値など何ひとつ存在しない。
言われるまでもなく、それは、プルサチラ自身が最もよく理解していた。
しかし、彼女は、この戦いから逃げなかった。
こうなることは、分かっていた。
勇者を殺した後、何が残るのか。生き残った者が、どんな感情を抱き、どのように振る舞うのか。
言われるまでもなく、その帰結を、プルサチラはあらかじめ予測していた。
であるならば、こうして杖を向けられる前に、排除するべきだったのだ。部下と協力し、その痛みに身を震わせている最中に、確実に息の根を止めてしまえばよかった。
だが、彼女はそうしなかった。
それどころか、部下を退け、誰ひとりとして手を出すことを許さなかった。
この戦いに、ひとりで戦う意味はなかった。
いやむしろ、無為にその命を危険に晒す行為は、仲間に対する裏切りとも言えた。
だが、彼女はそうした。
プルサチラは杖を構え、リラの殺意に相まみえる。
今はもう、唯一それだけが、リラとプルサチラを繋ぎとめていた──。




