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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第二章 勇者暗殺作戦
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第二十五話 勇者死す

 彼女の弓は、(しん)に血のように赤みがかった深い色を宿し、(へん)はその肌のように滑らかに白く輝いている。

 それはイチイの木から削り出された長弓だった。

 イチイは森の中でも特別な木だ。成長は非常に遅く、毒を含む。長い年月を耐え抜いたイチイは、強固な心と、しなやかな辺、名弓に求められる二つを兼ね備える。

 よく手入れされたその弓は、未だ生き続けているように瑞々しく、底知れぬ強さを秘めていた。


 白霧の谷の翼魔が一掃されたのを見届けたのち、シレネはわずかな部下を伴い、峰を下りていった。

 カシオペと合流したとき、彼女は自分が負った傷など気にも留めず、生き残った仲間の手当てに尽力していた。

 失った命の方が多かった。それでも、血に濡れた手で、目の前の命を繋ぎ止める。

 それが、この戦いを生き残った彼女の贖罪だった。


 シレネたちが近づき、その役目を引き継ぐと、カシオペはようやく手を止めた。

 そこでやっと、自分自身もまた、満身創痍であることに気づいたようだった。


「……まだ、死ぬ運命(さだめ)にはなかったみたいね」

 ようやく視界に捉えたシレネへと、彼女は笑みを向ける。それは、安心がもたらした強がりだった。


「分かってた」 シレネは、いつものように短く、ただそれだけを返した。


 これが戦いの終わりであるなら、そんな彼女を、カシオペは抱きしめるぐらいはしたかもしれない。

 だが──シレネの仕事は、まだ終わっていない。

 カシオペは、自らの傷に応急処置を施しながら、彼女に告げる。


「……できることなら、殺さないこと」

「瀕死の重傷を負わせて、望みを繋がせること。できる──?」


 シレネは何も応えず、静かに背に負った弓を解いた。矢筒から一本の矢を抜き取る。

 羽根が空気を撫で、指がそっと弦に触れる。矢を番える。

 その瞬間、谷全体が息を止めたように停止した。


 そのまま弦を引くと、弓は軋まず、ただ深く、しなる。

 まるでこの白霧の谷が、新たな主を認め、その力を差し出しているかのように──限界まで引き絞られた弓には、力が満ちていく。

 揺らがず、迷わず、シレネの呼吸は、弓と重なり、ひとつになる。

 ただ──約束された次の瞬間を待っていた。



 勇者たちは、プルサチラのもとへと駆け寄った。感謝と、勝利の祝福を伝えるために。

 誰より早く駆けだしたリラは、抑えきれぬ感情のまま、今にも抱きつかんばかりの勢いで声を弾ませる。

 彼女の精霊魔法への驚嘆と、憧れと、感動を、子供のようにはしゃいで、そのまま言葉にしていた。


 そのときだった──


ᛁᚴ(エク) : ᛒᛁᛦ(ベル) : ᚢᛦᚦ(ウルズ)(運命の矢)”


 ──その一瞬は、あまりに唐突に訪れた。


 音はなく、風も揺れず、殺気すら存在しない。込めた魔法の気配すら隠した、完璧なる一射だった。

 それがローザを貫いた。プルサチラを囲む勇者たちの背後から、不可避の運命を巡り──ローザの胸を、正確に射抜いた。


 誰にも、その瞬間を捉えることなど不可能だった。

 ローザの身体が、わずかに揺れる。次いで、糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。

 そのすべては、もう既に終わっていた。


「────!! ローザ……?」

 その異変に、誰よりも早く動いたのはグレンだった。考えるより早く、身体が反応していた。

 勇者を守護する盾である彼の任務も、この状況の確認も、すべて後回しにされた。

 ただ、倒れた彼女のもとへ。彼の視界はその姿だけを映し、駆け寄った。


 次いで、ヴィートもまた、異変に気付いた。

 だが──

 その一歩を踏み出すより早く、彼の行動を止める者が、目の前に立っていた。


 そのエルフの剣士は、先に剣を抜き構えた。

 その剣は、異様だった。エルフの細剣(さいけん)とは明らかに異なる、分厚く、わずかに反りを持つ片刃の刀身。見たことのない形状でありながら、刃に浮かぶ刃文に目を吸い寄せられる。

 エルフは剣を両手で取り、中段に構える。切先に気負いはなく、ヴィートの心臓を指したまま微動だにしない。


 瞬間──勇者も聖剣グラムを抜き構える。

 状況の判断も追いつかぬまま、未知の武器を構える敵を前に、ヴィートは迷いを捨てた。


 この一瞬、勇者はその力を解放せず、ただ剣技のみに委ねた。

 加護も、奇跡も、何ひとつ──そうせねば、この一瞬を掴むことはできなかった。

 それをさせぬ刹那──それを許さぬ間合い──それができぬ心の在り様──。

 すべてが──この一瞬へと収束する。


 無限の静寂。そののち、両者は踏み込む。


 ──”そは、人を斬るには非ず、魔を斬るにも非ず”──


 剣と剣は交差し、火花を散らした。


 ──”神を殺す也”──


 神剣伊須受霧山(いすずきりやま)は、聖剣グラムを断ち斬った──


 両断された刀身が、キィン、キィンと、乾いた音を立て、谷の岩肌に転がった。

 手元から、有るべきはずの重みを奪われ、ヴィートは自然と、その音の行方を追った。

 もうすでに勝負は決している。勝者と敗者が、もう覆ることはない。

 なのに──その敗者が見せた空白への振り向きざま、無防備に晒された喉元に、白雷(びゃくらい)のドリアスの剣は突き込まれる。


 もう誰からも、その二つ名を呼ばれなくなったその剣は、深く、速く、正確に、その命を散らした。


 ──かくして、千の葉(トゥーセンフリュド)の『勇者暗殺作戦』は、一切の滞りなく、ここに完遂された。

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