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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第二章 勇者暗殺作戦
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第二十二話 火種の血エルテ

 通告書に記された期日の日、神殿騎士団はエルテの引き渡しを求め、魔法評議会を訪れた。

 だが、その姿はすでにどこにもなく、彼らの目的が達成されることはなかった。

 当然、騎士団は議長のヨールバルを厳しく尋問した。しかし、いかなる問いにも彼は口を閉ざし、ついに何一つ有用な情報を引き出すことはできなかった。


 とはいえ、神殿騎士団もまた、事をこれ以上大きくするわけにはいかなかった。

 魔族との戦いが続く中で、魔法評議会と完全に敵対することは、自らの首を絞めるに等しい行為だった。


 一方で王国もまた、神殿騎士団との衝突は避けたかった。

 同時に、人間が手にした魔法の力を、容易く手放すことなどできるわけもなかった。


 この危機を収めるため、両者は幾度もの折衝を重ね、やがて一つの妥結に至る。


 魔法評議会は、議長ヨールバルと、行方不明となった二名を評議会より追放した。しかし表向きには、これは組織の刷新による新体制への移行とされ、すぐさま新たな議長が据えられた。

 評議会は何事もなく存続し、創設者である三賢者の名は、その権威と共に残された。

 以降、魔法評議会は、人間の手によって管理、運用されていくことになる。


 こうして、すべての真実は覆い隠されたまま、幕は静かに下ろされた。

 あるいは、この結末こそが、最初から描かれていたものだったのかもしれない。だがその真相は、今となっては誰にも分からない──。



 森の奥深く、木々の梢が幾重にも重なり合い、外界の光をやわらかく遮る場所があった。

 風は穏やかにそよぎ、木の葉を優しく揺らす。そのリズムは枝に溶け、そしてまた、風に薫る。

 朝になれば鳥の声が満ち、夜になれば虫の音が広がる。

 そこには、争いの音は一つも届かない。


 小さな小屋が一つ、木立に寄り添うように建っている。

 その小屋の周りだけ、少しの手入れがされていて、人の温度が感じられた。


「ちょっと取り過ぎてしまったかしら」

 エルテは、庭先のテーブルに森で取れた果実を並べた。

「ええ。でも、もうすぐ冬が来るわ。余ったものは保存しておきましょう」

 プルサチラは笑いながら、その果実を手に取った。


 涼やかな風が吹いた。小屋の脇に置かれた水桶に波紋が浮かぶ。水面には、木漏れ日が揺れていた。


 神殿騎士団は、エルテの捜索をしなかった。

 戦いの最中、彼らに人ひとりを探すために割く余計な兵などいなかった。それに、魔法評議会との関係を断ち、何者でもなくなったエルテは、彼らには何の価値も無かった。

 むしろ、今となっては、エルテを見つけてしまう方が、彼らには都合が悪いことだった。


 プルサチラはエルテに何も話さなかった。そして、エルテもプルサチラに何も聞かなかった。


 ──エルテは、小さな村に生まれた。

 両親は貧しい農民で、暮らしは決して豊かではなかった。彼女自身も、特別に秀でた才を持っていたわけではない。それでも彼女は、日々の営みの中に確かな幸せを感じていた。

 だが、そのささやかな幸福は、ある日、何の前触れもなく奪われる。


 村は魔族による襲撃を受け、抵抗する術を持たぬ村人たちは、為す術もなく蹂躙され、そのほとんどが命を落とした。生き残ったわずかな者たちも、魔王城へと連行された。

 その目的は、魔王ラーベンの魔法研究の実験体とすることだった。そこで繰り返された実験は、彼女の身体と精神を弄び、死することが生温いと感じるほどの苦痛を与え続けた。


 だが──彼女は、失敗作だった。

 その他の者たちと同じように、無価値な(ゴミ)として廃棄される運命をたどった。

 多くは、死してから捨てられる。だが、彼女だけは、まだ息のあるまま外へと放り出された。

 そこに特別な意味はない。彼らにとっては、どちらでも同じことだった。不手際でもなければ、手違いでもない。無価値な塵として打ち捨てられた。

 その他のものたちと同じように、死した塵として、その命は消える運命にあった。


 だが──彼女は、救われた。


 騎士団が、彼女を救い出したのではない。勇者が、助けに現れたのでもない。

 残されたわずかな力で地を這い、血に濡れた体を引きずりながら水辺へと辿り着き、そのまま流れに身を任せた。

 どこへ行くのかも分からぬまま、ただ遠くへと流されて、見知らぬ土地に流れ着いたのだった。


 しかし、その地でも、エルテに幸せは戻らなかった。

 身寄りのない彼女に、手を差し伸べる者もいた。だが、魔に侵されたその身体は、人々にとって恐怖の対象となり、忌み嫌われ『魔女』と呼ばれた。

 救われたはずの命は、人から拒まれ、エルテはただ独り、哀れみと蔑みの目から耐えていた。


 ある時、その『魔女』の噂を聞きつけて、一人の男が彼女の前に現れた。

 その小人族(ハルグリム)は、ヨールバルと名乗った。彼は、エルテの内に宿るものに、強い関心を示した。


 だが──彼女は、失敗作だった。

 魔女と呼ばれながらも、エルテは魔法など扱うことはできない。その身体は魔族にもなりきれず、人へと戻ることも叶わない。何の役にも立たない無価値な塵だった。


 それは、ヨールバルの求めるものではなかった。それでも、彼は、エルテに手を差し伸べた。

「一緒に旅をしませんか──?」

 ただそれだけの誘いに、エルテは迷わなかった。

 理由は、ひとつで十分だった。自分がまだ、誰かに必要とされている──ただそれだけのことが、嬉しかった。


 その旅は、決して平坦なものではなかった。

 ヨールバルは、魔王ラーベンの巨大な力に対抗する(すべ)を求めていた。

 確かなあてもないまま、異種族の地を渡り歩き、断片的な伝承を拾い集め、危険な遺跡を巡った。幾度も命を落とすような目に遭いながら、それでも歩みを止めることはなかった。


 そうした旅の途中、二人はエルフの地でプルサチラと出会う。

 彼女の精霊魔法の力に魅せられたヨールバルは、エルフの長を説得し、彼女を旅に加えた。


 三人となった旅は、さらに苦難の連続だった。

 日に日に強まる魔族の脅威。思うように進まない探索。積み重なっていく失敗と、報われない成果。どうにもならない現実を前に、手に入れたものなど、ほとんど無いに等しかった。


 だが──彼女は、救われていた──


 やがて、森に冬が訪れた。木々は雪に覆われた。

 森の静寂はより深く、雪の白色にすべて吸い込まれたように静まり返っていた。

 小屋の煙突からは、細い煙がまっすぐに立ち上る。中では、炉にくべられた薪が、静かに火を揺らしている。


 ぱちり、と小さく弾ける音だけが鳴った。


 プルサチラは何も言わず、エルテの額にそっと手をかざす。伝わる熱を感じる。エルテは横になったまま、静かに目を開き、かすかに微笑んだ。

「おやすみなさい、エルテ──」 その笑顔に、彼女は母親のような愛情で応えた。


 魔王ラーベンによる無理な施術は、エルテの身体を深く蝕んでいた。

 その身で旅を続け、あげく人間に魔法を授けるために、彼女は自らの血を差し出した。とうに体は限界を超え、残された時間はもうわずかだった。

 どんな術を尽くしても、手の施しようがない、エルテの灯火は尽きようとしていた。


 外の景色は、白く停止していた。時間さえも凍りついてしまえばいいと、プルサチラは祈った。


 やがて、エルテの呼吸は、わずかに揺らいで、静かに途切れた。

 それはあまりにも穏やかで、終わりであることにすら気づかぬほどだった。


 冬の終わりを待つことなく、エルテは逝った。


 プルサチラは、しばらくのあいだ、その手を握ったまま動けなかった。

 やがて、ゆっくりとその手を胸の上に戻すと、そっと目を伏せた。


 ぱちり、と小さく弾ける音だけが鳴った。


 そして、プルサチラのもとには、一振りの杖だけが残された。


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