第二十一話 通告書
かつて、人間は魔法を扱うことができなかった。
その力は、人ならざる者たちの奇跡であり、畏れの対象ですらあった。
だが、エルテ、ヨールバル、プルサチラ――この三人が成し遂げた偉業によって、人はついにその手に魔法を掴んだ。
その力を広めるため、王国は『魔法評議会』を設立し、多くの魔法使いを世に送り出した。
すべては、迫りくる魔族の脅威に抗うためだった。
長らくその矢面に立ち続けてきた神殿騎士団と、力を得た魔法使いたちは協力し、人間たちは幾度となく魔族の侵攻を退けた。
けれど、戦いの終わりを告げる福音は、誰の元にも届くことはなかった。
魔族もまた、人間が手にした新たな力に対抗すべく進化し、さらなる脅威となって立ちはだかった。
こうして人魔戦争は、ただひたすらに、血と怨嗟だけを積み重ね、底のない泥沼の争いへと沈んでいった──。
勝者なき争いの中で、疲弊していったのは戦場の戦士だけではない。
盤石に思われた人間たちの協力体制にもまた、少しずつ、綻びが生まれ始めていた。
その綻びは、ある日届けられた一通の書状によって、明確な亀裂となって現れる。
差出人は『神殿騎士団』。宛先は『魔法評議会』。それは、彼らの運命を狂わせる幕開けとなった──
”通告書
魔法評議会 議長 ヨールバル
神殿騎士団は長きにわたり、人類の守護者として魔族と戦い続けてきた。
その誉れは、全人類が認め、その歴史は、何人も覆せぬ。その使命は、神の御名のもとにあり、我らは人の世を守るための剣であり続ける。
しかしながら、我らが得た確証は、その大義を根底から揺るがすものであった。
貴評議会の創設者の一人であり、現評議員のエルテなる者は、本来の人ではない。かの者はかつて魔族の手に落ち、その身を穢され、魔族の術によって作り替えられた存在である。
そしてあろうことか、人間が魔法を扱いうるに至ったのは、まさにその穢れた血によるものであると、我らは把握した。
魔族と戦い、その脅威を退けることを宿命としてきた神殿騎士団にとって、この事実は看過し得ぬ。魔族の手によって生み出された力を、人の守護の名のもとに受け入れることは、我らの信義に反する。
とはいえ、すでに魔法は広く人の世に浸透しており、魔法使いのすべてを断罪するなど、王国と人類そのものに深き混乱を招くであろう。
神は慈悲深く、赦しを与える。我らもまた、そのような事態を望むものではない。
ゆえに神殿騎士団は、事態の収拾のため、以下を要求する。
評議員エルテの身柄を、明後日までに神殿騎士団に引き渡すこと。
かの者こそ、この穢れの源であり、我らの信義と秩序を守るために裁かれねばならぬ存在である。
この要求が速やかに受け入れられるならば、神殿騎士団は本件をもって魔法評議会の罪を問うことはない。
しかしながら、この通告が拒絶される場合、魔法評議会を人類の秩序に対する重大な脅威と見なすほかない。
その時は、神の御名のもとに、神殿騎士団は人の世を守る剣となるだろう。
神殿騎士団総長 メルク”
……──「それで、どうするつもりなの?」
この通告書に目を通し終えたプルサチラは、静かに顔を上げ、ヨールバルを問い詰めた。
「────」 しかし、返事は返らず、二人きりの議長室に、重い沈黙だけが落ちた。
プルサチラは書状を机に置いたまま、彼を見据える。その表情は穏やかだったが、胸の奥では確かに怒りの炎が燃えていた。
それは、ヨールバルも同じだった。
やがて、沈黙に耐えかねたようにヨールバルが口を開く。
「……あなたは、どうするべきだと思われますか?」
ようやく零れた言葉は、彼女を余計に苛立たせた。
「こんな馬鹿げた話に、従う理由があるの? 返事を迷うことすら馬鹿馬鹿しい」
普段は温厚なプルサチラの声に、隠そうともしない嫌悪が噴き出る。この通告書の内容は、彼女にとって明らかに忍耐の限界を越えていた。
だが──それは、ヨールバルも同じだった。
「エルテは絶対に渡さない。そんなことできる訳がない。貴方もそうでしょう? 違うの?」
再度、プルサチラはヨールバルを問い詰める。しかしその瞳には、先ほどのように逃げることを許さない鋭さが宿っている。
「……人間というものは、不思議な生き物でして──この評議会の設立にあたり、私は王国の方々とも何度も折衝を重ねましたが、その時、つくづく思い知りました」
ヨールバルは、彼女の怒気をはぐらかすように、関係がないような前置きを語り出した。
それに対し、プルサチラが声を荒げるより早く、彼は言葉を繋ぐ。
「もし──彼らがエルテに対し、この文面通りの憤りを抱いているのなら、この様な書状を送り届けて来る前に、この場所に踏み込んでくることでしょう」
ヨールバルは目を逸らし、卑屈に笑みを浮かべる。
「人間にとって何より重要なのは『面子』です。信じ難いことですが、彼らにとって面子は命より重い。自らの権威を穢す者は、たとえ身内であっても許さない」
しかし、その笑みはすぐに消えた。
「神殿騎士団にとって、エルテの存在は到底許されるものではないのでしょう。ですが、我々がそれに反抗し、仮にエルテを守り抜いたとしても──それでは、彼らの面子を潰すことになる」
そして最後に、プルサチラを見つめた。 「それは残念ながら、問題の解決にはならないのです」
しかし、その返答は、プルサチラの怒りを鎮めることなど到底できなかった。
「下らない。そんな下らない理由で、エルテを引き渡すというの?」
その言葉には、怒気を塗り替え、殺気すら滲む。
ヨールバルは、再び目を逸らし、書状に目を向ける。そして、意を決したように言葉を紡いだ。
「……彼らが尊ぶのは面子です。これはもう、人間の性、習性なのです。事の正否でもなければ、善悪でもない。我々はそういう生き物として、人間を理解する必要がある」
そう言って、彼は再び笑みを浮かべた。しかし、そこに卑屈さは消えていた。
「彼らは、彼らの面子を尊ぶのなら、相手の面子も重んじる。だから、このような書状を送って来たのです。我らと、王国の面子を立てるために」
「────」 二人きりの議長室に、重い沈黙だけが落ちた。
プルサチラは机の書状に目を向ける。胸の奥では確かに怒りの炎が燃えていたが、その表情は穏やかだった。
やがて、沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「……エルテには、もう見せたの?」
「いえ、そのつもりはありません。どちらの選択も、あの子には残酷でしょうから」
ヨールバルは即答した。その答えは、エルテのことを第一に考えていた。
それは、プルサチラも同じだった。
「────」 三度目の沈黙。それは短い静寂だったが、二人にとっては最も長い沈黙だった。
「……あのエルフの森から始まった三人の旅は、楽しかった、ですね」
「ええ、そうね」
「あれから、随分と遠くに来たものです」
「ええ……、そうね」
「最近、ふと思うのです。自分の行いは本当に正しかったのか、と」
「……間違っていたわけないじゃない」
「はい。私もそう信じたい。ですので、その証明に協力してくれませんか?」
ヨールバルはそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に置かれていた小人族である彼の背丈ほどの大きな木箱に手を伸ばした。
その木箱を机に置き、蓋を開けると、中には一振りの杖が納められていた。
樹皮を残したままの木の柄は、螺旋状のねじりが刻まれている。杖の頭部には四叉に分かれた牡鹿の角が、外へ向かうように突き合わされ、その根元には、ちょうど鹿の目であるかのように、八つの宝石がはめ込まれていた。
それは杖というより、むしろ槍に近い姿をしていた。
「一本のトネリコの枝に、四匹の牡鹿の角。そして八つの曹灰長石をはめ込んで仕上げた杖です」
ヨールバルは杖を見つめながら、両手を広げ続けた。
「銘は、『蛇を食む牡鹿』。……私の最高傑作です」
その言葉には、隠しようのない誇りが滲んでいた。
だが、プルサチラは戸惑った。
なぜ彼は今、このようなものを見せるのか──その意図が分からなかった。
ヨールバルは、そんな彼女に姿勢を正し向き直る。
「貴女から、これをエルテに渡していただけませんか?」
その言葉は、プルサチラにとても重く響く。同時に、戸惑いを解きほぐし、一つの決意に導いた。
──なぜ、私に頼むのか。 ──なぜ、エルテに渡すのか。 ──なぜ、彼自身が渡さないのか。
プルサチラは何も言わなかった。ただ静かに、ヨールバルの依頼を受け入れた。
その日──プルサチラとエルテは、魔法評議会から姿を消した。




