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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第二章 勇者暗殺作戦
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第二十話 エルフの目

 『白霧の谷攻略作戦』の要となる、シレネ率いる部隊は、白霧の谷を迂回して進んでいた。

 魔族に察知されるのを防ぐため、人数を絞った隊員のみで、険しい岩壁をよじ登る。足を踏み外せば、そのまま谷底へ落ちる危険を乗り越え、谷の外縁を回り込んでいたのである。


 その部隊には、シレネの弓兵だけでなく、魔法兵も含まれていた。だが、彼らの役割は戦闘ではなかった。

 カシオペたちが谷の内部に侵入を始めたと同時に、魔法兵たちは術式を展開する。


 彼らが唱えた魔法によって、重力が一瞬だけ逆転したかのように光が曲がり、景色が歪んだ。その歪んだ空間に亀裂が入り、円弧を描き裂け広がると、転送ゲートが開いた。

 自陣と繋がったその門を通って、シレネの部隊の残る弓兵が次々と現れる。

 こうして、エルフの弓兵たちは白霧の谷の上に集結した。


 本来であれば、敵地の只中に弓兵部隊だけを転送するなど、自殺行為に等しい。

 どれほど優れた弓術を持とうとも、矢を寄せ付けぬ頑丈な体、重厚な装備や、魔法障壁で、守りを固める手段はいくらでもある。

 防御を固めた敵に囲まれれば、弓兵は脆い──それは戦場の常識であり、覆しようのない道理だった。


 しかし、この戦場に限っては、その道理は成り立たない。


(つが)え」 「引け」 「全隊、一斉射!」

 峡谷の縁、切り立った崖の上から、シレネの号令が飛ぶ。並んだエルフの弓兵たちは、一糸乱れぬ動作で矢を放つ。

 遠距離から放たれたその一斉射撃は、霧の中の味方を巻き込むことなく、翼魔たちだけを次々と撃ち堕としていった。


 それを可能にしているのは、一つに、エルフの目。

 霧の中に息づく岩や草木の精霊が、光となって輪郭を描く。白霧に覆われた谷の姿を、色彩を付けて伝える。

 その色の世界の中では、空を裂いて飛ぶ黒い翼を見分けるのは、容易いことだった。


 そして、もう一つは、カシオペたちの命懸けの戦いの戦果だった。


 翼魔たちを、風の弾丸が襲う。霧の中を、一陣の風が走る。

 次の瞬間、その軌道に触れた翼魔が、見えない刃に切り裂かれ墜ちていく。

 何が起きたのか──翼魔たちの目には、捉えることすらできない。ただ霧だけが、その風の通り道を揺らし、淡くその痕跡を残した。

 翼が裂け、体を撃ち抜かれた翼魔たちは、たとえその正体を知ったところで、もう抗う術を失っていた。


 それでも、残った翼魔の一団は、攻撃の手を緩めなかった。

 満身創痍のカシオペの元へ、止めを刺さんとなおも殺到する。

 だが、その獲物を仕留める彼らの執念こそが、弓兵部隊の格好の的となった。


「2番隊、3番隊、狙え」 「──射て!」

 カシオペという餌に群がった一団の動きは、弓兵たちの目に、容易に捕捉された。

 その的にむけ、矢の雨が降り注ぐ。絶え間なく放たれる矢が、密集した翼魔の群れを貫き、撃ち堕としていく。空に舞っていた影は、悉く力を失い、谷の底へと沈んでいった。


 それだけの犠牲を払い、この攻撃の正体にやっと気付いた別の一団が、谷の上へ向かって突撃した。

 だが──それは、もっと酷い悪手だった。


 この谷の白霧は、翼魔族を守ると同時に、谷と外界を遮断する。翼魔は谷の中で起こることはすべて把握できても、逆に白霧が邪魔をして、中から外を観測できない。

 外からくる攻撃の正体は掴めても、その規模や布陣、敵の実態までは、外に出なければ分からなかった。


 翼魔族は確かに速い。地を這う兵に彼らを追う術はない。しかし──相手が悪かった。

 峡谷の崖に並ぶのは、エルフの名うての弓兵部隊。

「10から16番隊、構え」 「──射て!」

 谷の上から見下ろす彼らは、地の利を最大限利用して、慌てることなく淡々とした動きで弦を引く。そして、霧を抜けて飛来する翼魔を、確実に射抜いていった。

 突撃してきた翼魔たちは、弓兵の元へ辿り着く前に、そのすべては撃ち堕とされた。


 どうすることも出来なくなった翼魔の残党は、攻撃を諦めて身を隠した。

 恐ろしく速く、音を立てぬ魔矢であっても、その威力はあくまで弓矢の範疇にある。天然の岩壁を貫くほどの力は持ち合わせていない。

 翼魔たちのその分析は、決して間違ってはいなかった。確かに、シレネの矢には岩を貫く力などない。


 だが──それは彼らの安全まで保証するものではなかった。


 岩陰に身を潜めた翼魔たちは、動きを止め、息を殺した。

 やがて、標的を失った矢の嵐は収まった。谷は再び、白い霧に閉ざされた静寂の中へ沈む。


 だが、それは単に、次の攻撃へ移るための準備を整えていただけだった。すでに、静かに攻撃は始まっていた。

 風の弓矢が、翼魔たちの隠れる岩肌へと衝突して弾ける。音も無く始まった異変に、誰も気づかなかった。

 谷の上からその岩壁までは射線が通らず、弓矢がそこに当たるはずがないのに──。


 次の瞬間、岩陰に潜んでいた一匹の翼魔が、力なく崩れ落ちた。

 そして、その後を追うように、次々と翼魔が倒れていく。

 もはや意味が分からなかった。攻撃を受けているのは間違いない。だが、どこから、どうやって、何が起こっているのか、翼魔たちには理解できなかった。


 シレネたち弓兵部隊が行ったのは──曲射撃ち。

 谷の上から放たれた矢は、弧を描き、霧の中を切り裂いて、岩壁の陰へ吸い込まれていく。仕組みだけを見れば、単純な技術に過ぎない。

 だが、今この状況では、それはこの上なく効果的な戦術として機能した。何より、翼魔たちを震え上がらせたのは、その神がかった精度だった。


 この正確な曲射を可能にしたのは、エルフの目。そして、もう一つは、カシオペたちの命懸けの戦いの戦果だった。

 その戦果とは、翼魔たちの飛行ルート、それは、この谷を巡る風の流れそのものだった。

 それを伝えるためにカシオペは戦い、そして、その戦いから、シレネは全てを読み取っていた。


”見えないはずの場所へ、矢が落ちてくる。岩陰に潜んでいても、逃れられない……”


 今、翼魔たちは気づき始めていた。

 この谷には、もはや安全な場所など残っていないことを。

 霧の中には、もうどこにも逃げ場など存在しないことを。


「……さあ、逃げろ」 シレネは最後に珍しく、戦いの中で私語を呟いた。

 そんな言葉が零れるほどに、矢が谷を支配していた。もはやこの白霧の谷の主は、翼魔族ではなくなっていた。

  

 白霧の谷に留まり続けることは、翼魔たちにはもう、弓兵を前にして空に身を晒すことと何も変わらなかった。

 いや、状況はそれより悪かった。谷の風の流れが見透かされ、岩壁が盾とならない今となっては、空を自由に飛行することすら奪われていた。

 障害物に囲まれたこの谷から、一刻も早く抜け出さなければならない──翼魔たちが生き残るには、もうその選択しか残っていなかった。


 そう──翼魔たちには、もう選択肢は残っていなかった。たとえ、逃げた先に何が待っていようとも……


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