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elf:1000 ─千年戦記─  作者: 世葉
第二章 勇者暗殺作戦
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第十五話 笑う具方

 ドリアスの警戒をよそに、人影のない屋敷の奥から、聞こえ慣れた声音によく似た声がひとつ響いた。

「――遠路はるばる、よく参られた」

 反射的にその声の方を向く。すると、屋敷の影から一人の男がゆっくりと降りてくるところだった。


 その足取りはずっしりと重く、揺るぎない。だが戦に備えた鎧姿ではなく、身に纏うのはゆったりとした衣のみ。城に籠もる武将というより、山狩りにでも来たかのような出で立ちだった。


 男が近づくと、晴具(はるとも)は即座に頭を下げ、目を伏せる。男はそれに言葉を返すことなく、ただ無造作に、その背を力強く叩いた。

「はっ、はっ、はっ! これほどの美女であるなら、儂自ら迎えに出るべきであったわ!」


 豪胆に笑い声を響かせながら、男は遠慮なくドリアスを眺め回す。その視線は、晴具が最初に向けたものと同様に癪に障った。

 そんな彼女の心理を覗くように、男は一歩だけ距離を詰める。そして、不快な視線のまま、声だけがわずかに低くした。


「さて――おぬしは、このクナトに何用で参られた?」

 男の手は、腰の大小二振りの得物に、彼女を測るように添えられていた。

 その問いではなく、詰められた一歩の間合いが、ドリアスの肌を刺す。


「……人を探しに来ただけだ。──迷惑なら、出て行くよ」

 ドリアスは、それだけ言うと、男を真っ直ぐに睨み返した。

 ようやく開かれた彼女の口から零れた声に、驚きを見せたのは隣にいる晴具の方だった。


 しばしの沈黙──双方に、緊迫した空気が漂う。

 その緊張を破ったのは、男の豪快な笑いだった。

「はっ、はっ、はっ! ──いやいや。遠路より遥々参られた客人に、何のもてなしもせんとあっては、儂の面目が立たぬ。どうぞ、ゆるりとされて行くがいい」


 口元の緩みとは裏腹に、その手はなお、腰の刀の傍らに置かれたままだった。

 歓迎の言葉と、消えぬ警戒。そのどちらもが共存するおかしな姿が、隠しもせずそこにある。

「見たところ、相当な使い手と見受けるが……名を聞いてもよろしいか?」

 そのおかしな姿のまま、男は再びドリアスに尋ねた。


「ドリアス──」 迷いなく答える。

「ドリアス。よい名だ」 男は満足げに頷いた。

「儂は当主の具方(ともかた)と申す。この地を預かる守護である」


 名乗りが交わされると、具方は刀から手を離した。

「手勢が無礼を働いた。だが、ドリアス殿は、兵たちを前に剣を抜かれたそうな──」

 そう言いながら、視線を外し、身体をひねり、数歩彼女から距離を取る。

 その言葉は、こちらが来るより早く、報せが伝わっていたことを暴露していた。


「ドリアス殿がお望みならば……。一手、儂に付き合ってはくれぬか」 具方は、ぬるりと刀を抜き構えた。


 それは明らかな挑発だった。だが、その行いの意味は分からなかった。

 殺すつもりなら、いつでも、いくらでも、どうにでもできただろう。なのに、それをせず当主自らが名乗りを上げる。

 その理由は全く分からなかった。


 だが、ドリアスにはそんなことはどうでもよかった。

 具方の、誰よりも美しい刀。ただそれだけが、ドリアスが剣を抜く理由になった──。


 空気が変わる。これまで積み重なった違和感が、二人の剣が向き合った瞬間、すべて解け落ちた。


 晴具は二人を止めることなく、ただ邪魔にならぬよう離れた。だが、その(まなこ)だけは、この勝負から一瞬たりとも逸らさず、大きく見開かれていた。

 それは、さらに遠巻きに見守る番衆たちも同じだった。


 具方は刀を両手で取り、中段に構える。切先に気負いはなく、ドリアスの心臓を指したまま微動だにしない。

 対してドリアスは、細身の剣を片手に半身で構えた。その剣先は対照的に、ゆらゆらと揺れている。


 これまでの戦場で、対峙したことのない得物と構え──それ自体は、珍しいことではない。

 洞察し、攻めと受けを見極め、さらにそれを上回る──いつもの戦場と、同じことの繰り返し。

 具方とて、例外ではなかった。彼女がこれまで斬り結んできた敵と、何も変わりはしなかった。


 ──得物の重量、構え、体格、剣が交われば、利は相手にある。

 ──だが、問題ない。私の方が速い。


 剣速に絶対の自信を持つドリアスに、迷いはなかった。

 もっとも、具方を殺すつもりもない──あの刀の向こうに、剣を通す。それだけの勝負。

 それは決して、侮りではなかった。

 ただ、不動の具方からは、それ以上を読み取ることもできなかったのだ。


 剣先の揺れに隠した、わずかな軸足の相違。その重心移動を起点として、ドリアスの剣は加速する。

 森の獣より速く、矢よりも速く、戦場の誰より早く、その剣は突き抜ける。

 その初動を許した時点で、勝負は決していた──はずだった。


 具方は、その稲妻のごとき突きの速さに、確かに反応した。

 突きに対し、切先はそのままに、一歩踏み込む。当然、その一歩が完了する時間など無い。

 だが、具方の踏み込みによって生じた間合いの狂いが、ドリアスの剣と具方の刀の接触を許した。


 (しのぎ)をかすめ、剣先は肩に突き刺さる。同時に、切先は喉を押さえる。

 そして、具方の一歩が過ぎて、決着を聞いた。

 

 数瞬の静止と静寂。それを突然破る豪快な笑い声。

「はっ、はっ、はっ! 速い、速い。白雷(びゃくらい)のドリアス──その名に恥じぬ、見事な突きである」

 肩から流れる血はそのままに、具方は刀を鞘に戻した。


 笑う具方に対し、ドリアスは呆然としていた。

 言い訳などあるはずもない。紛れもない敗北だった。その事実に、わずかに遅れて理解が追い付いた。


 具方が口走った名乗っていない二つ名は、彼女に全てを教えた。

 ──具方は知っていた。何も知らなかったのは、私だけか。

 ──それが卑怯であるはずもない。ここが戦場であったなら、命すら取られていたのだから。


 剣の勝負以前に、情報戦という戦いで、ドリアスはすでに負けていた。敵の情報は完全に遮断され、こちらはすべて盗み取られていた。立ち合いは、単なる答え合わせに過ぎなかった。

 こちらの不殺すら読んだ上での戦術──いや、違う。そう考えることすら、誘導されていた。

 晴具に案内させ、ぺらぺらと何でも口にしたことすらも、おそらくは手の内だったのだ。


 しかし、ドリアスには、悔しさも、恨みも湧いてこなかった。ただ、彼らの底知れぬ強かさに、彼女は笑った。

 そして、このただ一度の敗北は、ドリアスをこの地に留まらせる理由となった。


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