第十三話 白雷のドリアス
プルサチラが森を去ってから数十年後──
魔法評議会の設立とともに、人間はついに魔族に対抗しうる力を獲得し、各地で反撃を開始した。
数多の戦いと犠牲を経て、人間は劣勢を跳ね返し、魔族に奪われた土地を取り戻していった。
だが、その事態をみた魔王ラーベンもまた、人間に対抗するための研究を重ねた。
魔族が新たな進化を手にすれば、人間もそれに対抗し進歩する。他方より優位に立つため、両陣営は、魔法という戦闘技術の開発競争を際限なく繰り広げた。
しかし、その果てに残されたのは、勝者ではなく、より多くの死と疲弊であった。
そうして拮抗した力は双方に決定打を与えず、戦はやがて、終わりの見えぬ消耗戦へと姿を変えていった。
その後238年間にわたり、第二次人魔戦争は、泥沼の膠着状態が続いたとされる──。
その一方で、ドリアスはエルフの剣士として、立派な成長を遂げていた。
森で磨かれた静謐な剣は、しなやかにして、鋭く伸びる冴えを備え、彼女の剣に敵う者は、森にはもう誰一人いなくなっていた。
対等に刃を交えることのなくなった稽古は、彼女を周囲から遠ざけた。
以前よりも長くなった森の静寂は、忘れかけていた憧れへの想いを近づけさせた。
そして、己の剣に揺るぎない自信を得たとき、ドリアスは森を離れる決心をした。
──エルフにとって、生まれ育った森を離れることには、特別な意味がある。
故郷を離れ、外界の穢れに染まったエルフは、その長寿を終えたのち、その魂は森の精霊へと還ることはできず、永遠に彷徨うと信じられている。
森は、彼らにとって単なる生息域ではない。今生の揺り籠であり、来世に還るべき魂の聖域であった。
プルサチラは、その聖域を守るために、皆のために森を出た。
対してドリアスは、プルサチラの後を追い、自分のために森を出た。
結果としての行いは同じでも、その意味は大きく異なる。
自らの意志で、己の歩む道を森の外に求めたドリアスは、森と共に生き、森と共に還るエルフの宿命に逆らった異端者だった──
それからしばらくの旅を経て、ドリアスはようやく王国の魔法評議会に辿り着くことができたが、その時にはすでに、プルサチラも、あの時一緒にいた二人も、姿を消した後だった。
しかし、ドリアスは何も諦めなかった。
彼女は森に帰ることはなく、ひとり戦場を渡り歩きながら、世界を巡ることにした。
それは、プルサチラの影を追いつつ、自らの道を極めんとする旅の始まりだった。
だが、ドリアスの覚悟など、戦場では何の価値も持たなかった。
か細いエルフの女剣士など、兵たちは誰も本気で相手にしない。その身同様の細身の剣を、侮りの目で見る者も少なくなかった。
だから、ドリアスは言葉ではなく力で示した。
その異邦の剣士の刃を、一度でも目にした者は、決して彼女の名を忘れなかった。
気配もなく、軽やかに間合いを詰める身のこなしは、水面を滑る水鳥を思わせる。
そして、その翼から放たれる、音のない雷光のような突きは、正確無比に敵の急所を貫いた。
剣技に優美ささえ映す彼女の剣は、讃えられ、そして恐れられた。
白雷のドリアス──その名は、戦場の噂とともに広がっていった。
だが、自分の名を耳にすることは増えても、プルサチラの名を聞くことは、どの戦場でも叶わなかった。
それからさらに幾年もの歳月が流れ、渡り歩いた戦場の数を数えることさえやめた頃、ドリアスは故郷より遠く離れた東の地へと辿り着いていた──。
ドリアスがその地に足を踏み入れたのは、ただの偶然に過ぎなかった。
プルサチラの手がかりが無いまま、それでもその名を追うのなら、ドリアスには、名も知らぬ地へ向かうしか術がなかった。
だが──それがその土地で、必ずしも歓迎されるとは限らない。
──「貴様、どこの手の者だっ!」
ドリアスは、その地に入って間もなく、兵士たちに囲まれた。
この地に、まだ自分の名が届いていないことは、むしろ新鮮だった。だが彼女の興味をそれよりも強く引いたのは、彼らが手にしている剣だった。
兵たちは半円を描くように間合いを取り、じりじりと距離を詰めてくる。
多人数に囲まれながらも、ドリアスは冷静だった。少なくとも、話し合いが通用する相手──その安心感に、彼女の視線は自然と彼らの構えへ向けられた。
王国の重装な騎士鎧とは一線を画す、無駄を削ぎ落とした袖のない一枚銅。その他には、脛と頭部の急所を守る風変わりな鉄防具。
だが、防具の無骨な造りに対して、手にする得物は真逆だった。
緩やかな曲線を描いて伸びる鉄剣は、片側のみが鋭く研がれ、刃に白い紋様を浮かべる。それは、彼らの手元の動きに合わせ、ゆらゆらと水面のような輝きを返した。
見たことのない剣だった。その美しさに──気づけば、ドリアスは己の剣を抜いていた。
それを見て、兵たちの重心が、一斉に沈む。場の空気が、一瞬で張り詰める。
だが、ドリアスに戦う意思はなかった。
──あの刃が振るわれる様を、この目で見てみたい。
そんな戦士としての純粋な興味が、彼女の手を動かしたに過ぎなかった。
互いの意に反し、今まさに火花が散りそうな、その時だった──
「待て、待て、待てっ!」 鋭い制止の声が場を裂き、邪魔をした。
馬を駆って現れた男が、兵たちの間へ割り込む。
「刀を収めよ! この者は魔族ではない。戦いを止めよ!」
男は馬上から、ドリアスへも向き直った。
「我々に戦意はありません。どうか、あなたも剣を収めていただきたい」
兵たちは、その男の命令に従い、視線は外さぬまま刃先を下げた。
それを見て、ドリアスは残念そうに剣を収める。
馬上の男は、両者の様子を確かめると、馬から降りて、ドリアスの前に歩み寄った。
「その白肌と長い耳……私も実際に見るのは初めてですが、あなたはあの“森の仙人”と呼ばれるエルフ──」
男は、まじまじとドリアスの横顔を見つめた。
「そうでしょう?」 そして、一通り視線を巡らせて、最後に笑顔を向けた。
ドリアスは、この男の笑顔も、失礼な態度も、”森の仙人”と呼ばれることも、気に入らなかった。
これまで、奇異な視線を送られることは幾度もあったが、まるで珍しい獣でも眺めるかのような露骨な視線は、特に癪に障った。
だが、不思議なことに、この男の目は驚くほど澄んでいた。
ただそれだけのことが、彼女が剣を抜かない理由だった。




