第99話「数字の癖」
「ルーク様」
「はい」
「いかがなさいました」
「いえ」
「動いておられません」
「動いてます」
「動いておられません」
「……そうですね」
記録庫の灯りは一つしかない。卓の上だけが明るかった。棚の側は暗いままだ。
暗いところに、人が三人立っていて、動かない。
俺は紙片をもう少し寄せて、上の行から順に見た。
寸法が十七ある。どれも、二つの数で書いてあった。外の寸法と、内の寸法だ。
書く順が揃っている。外を先に、内をあとに書く人だ。俺もそう書く。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「これ、順が決まってますね」
「順」
「外を先に書いてます」
「そうか」
「技師局は、どっちですか」
「内が先だ」
「逆ですね」
「逆だ」
「よそから習った人ですね」
「……そうなるな」
数の脇に、細い矢印が添えてあった。
矢印は下へ向いている。
下は、上流ではない。水の落ちる側だ。落ちる側から見て、寸法を取っている。
立って見た人の書き方ではなかった。しゃがんで、下から見上げた人の書き方だ。
俺は七のところを見た。七が四つある。四つとも同じだった。
上の横棒が、短い。払いのほうが、長い。だから、字が右へ倒れて見える。
「……似てますね」
「何がだ」
「字です」
「字が、どうした」
「七の棒が短いです」
「短い」
「上の棒です」
「うむ」
「あと、八の払いが、内に入ってます」
「内に」
「はい。内へ入って、止まってます」
「それが、どうした」
「見たことがあります」
「どこで」
「うちのです」
「うち、とは」
「工房です」
「王都の外か」
「外です」
「その工房は、古いのか」
「古くないです」
「では、なぜある」
「持ってきたので」
「何を」
「袋です」
俺は道具袋を下ろして、口を開いた。中身はいつもと同じだ。鑢が三本、金槌が一つ、油の壜。
袋の内側に焼き印がある。寸法の表だ。覚えられない数を、焼いてある。
俺のために、焼いたものではない。焼いた人が、自分で見るために焼いた。
俺は袋を裏返した。裏返して、卓に広げた。
焼き印は黒く光っていた。十五年、指が触ってきた場所だ。油を吸って、革のほうが先に艶になっている。
焼き印の中は表になっている。縦に七つの行がある。行ごとに、数が二つ並んでいた。
外の寸法が先で、内の寸法が後だ。
俺はこの並びで覚えた。覚えたので、いまも同じ順で書く。
紙片をその横に並べた。並べて、灯りを近づけた。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「見えますか」
「見える」
「七です」
「……七だ」
「棒が短いです」
「短い」
「どっちもですか」
「どちらもだ」
「傾きも、同じですね」
「同じだ」
八も、並べて見た。払いが内へ入っている。入って、途中で止まっている。
止まる位置が同じ高さだった。
紙と革で、書いた道具が違う。片方は、細い筆で書いてある。片方は、焼き鏝で押してある。
道具も、力の掛かり方も違う。
違うのに、止まる場所が同じだ。
止まる場所は、教えて揃うものではない。
揃うのは、手のほうが覚えているからだ。
俺の手も、そこで止まる。止まってから、いつも少し戻す。戻すのは、見た目が悪いからだ。
紙片の八は戻していなかった。
戻さずに、そのまま置いてある。
「似てますね」
「……」
「これ、似てます」
「それだけか」
「それだけです」
「それだけ、か」
「はい」
「ほかに、何も無いのか」
「無いです」
「……そうか」
シルフィさんが卓に手をついた。ついた手が滑った。滑って、そのまま膝が落ちた。
俺は腕を取った。軽かった。
「大丈夫ですか」
「……はい」
「座りますか」
「はい」
「ここ、埃っぽいですね」
「はい」
「疲れましたね」
「……はい」
「ルーク様」
「はい」
その先が続かなかった。続かないまま、俺の袖を持っていた。
持ったのは、たぶん立つためだ。
立ったあとも、離さなかった。
この人の手は、いつも冷たい。
冷たいのに、今日はもっと冷たかった。
俺は椅子を引いて座らせた。座らせて、灯りを少し遠ざけた。
遠ざけたのは、紙が焼けるからだ。焼けると、もう戻せない。
燃えたものは灰の側になる。
灰は、紙の壊れる前ではない。
ダグさんは扉のところで黙っていた。黙って、廊下を見ている。この人は、困ると出口を見る。
オズワルドさんは紙片を掴んでいた。
掴んだ指が白かった。紙が皺になりかけて、止まった。
その人は指を開いて、紙を平らに戻した。戻す手つきが丁寧だった。
「ルークとやら」
「はい」
「この字を、知っとるのか」
「知りません」
「知らんのか」
「見たことがあるだけです」
「どこで見た」
「うちの袋です」
「誰が焼いた」
「親方です」
「名は」
「ヴァルトといいます」
「……聞かん名だ」
「そうですか」
「その者が書いたのか」
「わかりません」
「似とるのだろう」
「似てるだけです」
「同じではないのか」
「字は、似ます」
「似るか」
「習った人が同じだと、似ます」
「習った人」
「はい」
「その者は、誰に習った」
「聞いてないです」
「聞かなんだのか」
「聞くことじゃないので」
「なぜだ」
「聞いても、答えない人でした」
「そうか」
「聞かないほうが、機嫌がよかったです」
「……そうか」
オズワルドさんはそこで黙って、紙片を卓に置いた。置いて、両手を膝に乗せた。
乗せた手がまた震えていた。
震えているのに、顔は動かない。
この人は、四十年こうしてきたのだと思う。
ミオさんが卓の端に来て、紙片を覗いた。
覗いて、俺を見た。それから、シルフィさんを見た。最後に、オズワルドさんを見た。
三人とも黙っていた。
黙っている理由が、俺には分からなかった。
「ルーク」
「はい」
「みんな、変だ」
「そうですか」
「うん。誰も喋らない」
「そうですね」
「なんでだ」
「わからないです」
「ルークも、変だ」
「そうですか」
「うん」
「普通ですけど」
「普通じゃない」
ミオさんは少し考えた。考えるとき、この人は耳を横に倒す。倒して、尻尾を一度だけ振った。
それから、卓の縁を指でなぞった。
なぞりながら、口を開いた。
「ねえ、ルーク」
「はい」
「……親方って、どんな人だったニャ」




