↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
98/107

第98話「二十年前の記録」

 上るのに、下りの倍かかった。段は同じ百二十七だ。同じなのに長い。


 長いのは、途中で誰も喋らないからだと思う。


 石蓋を閉めるとき、風がまた出た。出た風は行きと同じ匂いだった。閉めてしまうと、匂いは消えた。


 オズワルドさんは鍵を掛けずに、鍵束を握っていた。握ったまま、しばらく立っていた。


「掛けないんですか」


「掛ける」


「掛けてないですよ」


「……掛ける」


 その人はそこでやっと屈んで、鍵を差した。


 差してから、二度回さずに一度で止めた。止めたことに、気づいていない顔だった。


 記録庫は一階のいちばん奥にあった。


 窓が、無い。棚が、天井まである。


 梯子が棚に立てかけてあった。梯子の足に、布が巻いてある。


 床を傷めないためだ。


 綴じの紐の色が、段ごとに違っていた。上の段は白い。下の段は茶色い。


「これ、年ですか」


「年だ」


「紐で分かるんですね」


「分かる」


「便利ですね」


「便利ではない」


「なんでですか」


「紐を替えると、年が飛ぶ」


「飛ぶんですか」


「替えた者がおる」


「困りますね」


「困った」


 オズワルドさんが梯子に登って、一冊抜いた。


 埃は落ちてこなかった。落ちないのは、誰かが拭いているからだ。拭いている人は、たぶんこの人だ。


「その帳、何ですか」


「出入りの帳だ」


「何を書くんですか」


「日と、名と、用だ」


「三つですね」


「三つだ」


「書かないと、どうなりますか」


「入れん」


「厳しいですね」


「厳しくした」


「誰がですか」


「わしだ」


 その人は別の帳も一冊抜いた。抜いて、開いて、こちらへ向けた。


 名が縦に並んでいる。数えると、二十七あった。


 どの名も、下に日付が二つ付いている。


 入った日と、出た日だ。


 出た日のあとに、線が引いてある。線の先に、何も書いていない。


「これ、みなさんですか」


「二十七人だ」


「全員、名前がありますね」


「ある」


「書かせたんですね」


「書かせた」


「線は、なんですか」


「もう来ん、という線だ」


「引いたのは」


「わしだ」



 その人は卓に帳を置いて、頁を繰りはじめた。繰る速さが一定だった。探しているのではない。場所を、知っている手だ。


 途中で手が止まった。止めた頁を、こちらへ向けた。


 日付が、三つ並んでいる。三日、続けて入っている。


 用の欄に、同じ字が三度書いてあった。名の欄だけが、空いていた。


「名前が無いですね」


「無い」


「書き忘れですか」


「書いておらん」


「三日ともですか」


「三日ともだ」


「誰が書かなかったんですか」


「……わしだ」


 俺はその頁をもう一度見た。


 空いた欄の下に、線が引いてある。


 線はあとから足したものだった。インクの色が、少し違う。


 書けるように、線だけ引いてある。引いてから、二十年そのままだ。


「二十年前に、三日だけ入った男がおる」


「三日」


「無登録だ」


「登録、いるんですよね」


「いる」


「無いと、入れないんですよね」


「入れん」


「入れたんですね」


「入れた」


「なんでですか」


「見ると言われた」


「見せてくれ、じゃなくてですか」


「見せろ、でもない」


「どっちですか」


「見るぞ、と言われた」


「断らなかったんですね」


「断れなんだ」


「怖かったですか」


「怖くはない」


「じゃあ、なんですか」


「断る理由が、無かった」


 その人はそこで一度息を吸った。吸って、ゆっくり吐いた。


「当時の担当は、わしだ」


「はい」


「名は、書いておらん」


「はい」


「書かせなかったのは、わしだ」


「怒られませんでしたか」


「誰も、見とらん」


「二十年ですか」


「二十年だ」



 その人は卓の抽斗を開けた。いちばん下の抽斗だった。


 鍵は掛かっていない。掛けていないのに、誰も開けなかった抽斗だ。


 中に布が畳んであった。布の下に、紙が一枚ある。


 紙は四つに折った跡がついていた。


 折り目が、擦り切れかけている。


 擦り切れるのは、開いた回数のぶんだ。


 その人は紙片を持ち上げた。持ち上げて、一度手を止めた。


 止めた時間が、長かった。それから、卓の上を滑らせて寄越した。


「あの男が置いていった」


「置いていったんですか」


「机の上にあった」


「渡されたんじゃないんですね」


「渡されておらん」


「何も言わずにですか」


「三日目の朝に、おらんかった」


「帰ったんですね」


「帰ったのだろう」


「どこへですか」


「知らん」


「何のために置いたんですか」


「わからん」


「二十年、わからないんですか」


「わからん」


「見せた人は」


「おらん」


「一人もですか」


「一人もだ」


「奥さんにもですか」


「妻は、おらん」


「すみません」


「謝るな」


 紙を灯りの下に置いた。図面が描いてあった。門の断面だ。


 線が、細い。


 定規を当てていない線だった。当てていないのに、まっすぐだ。


 枠の内側に歯が描いてある。歯の数が、合っていた。


 余白に、寸法が並んでいる。


 数字は小さかった。小さいのに、迷いがない。書き直した跡が、一つも無い。


「これ、下書きですか」


「下書きだろう」


「下書きで、これですか」


「そうだ」


「本番は、どこですか」


「無い」


「無いんですか」


「これ一枚だ」


 図面の下の隅に、印が無かった。名も、屋号も、入っていない。


 紙の端は切り放しだった。鋏ではなく、爪で裂いてある。


 裂いた縁が、繊維のまま残っていた。


 この紙は、渡すつもりで書いたものではない。置いていくつもりで、書いてある。


 シルフィさんが横から覗いた。覗いて、そのまま止まった。


 顔を、上げなかった。上げないまま、紙の端に指を置いた。


 置いただけで、動かさない。


「シルフィさん」


「……」


「灯り、そっちに寄せますね」


「……はい」


「見えますか」


「見えております」


「読めますか」


「数だけは」


「数だけですか」


「はい」


 ミオさんが卓の下から顔を出した。出して、紙をひと目見た。


「字が小さいニャ」


「小さいですね」


「読まないのか」


「読みます」


「読めるのか」


「寸法なら、読めます」


「じゃあ、読め」


「はい」


 ミオさんは卓の縁に肘をついて、待つ構えになった。


 この人は、待つのがうまい。斥候だったころの癖だと思う。


 ダグさんが扉のところに立っていた。立って、廊下を見ている。誰も来ないのに、見ている。


 俺は紙片を覗き込んだ。


 覗き込んで、動きを止めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。