第97話「途中でやめた人」
「なおしかけ」
「はい」
「壊れとるのではないのか」
「壊れてないです」
「直っとるのでもないと」
「直ってもないです」
「では、なんだ」
「途中で、やめた人がいます」
言ってから、自分で言い直そうとしたが、言い直す言葉が無かった。ほかに、言いようがない。
オズワルドさんは動かずに、門を見ていた。
見たまま、口だけが少し動いた。声にはならなかった。
俺はもう一度手を当てて、壊れる前を思おうとした。
壊れた物なら簡単だ。思えば、そこへ行く。これは、そうならない。
像が二つ出た。
二つとも、はっきりしている。どちらも、退かない。
手が石の上で滑る。滑るのは、面のせいではなかった。面倒だなと思った。
「ルーク様」
「はい」
「手が、止まっております」
「止まってます」
「動きませんか」
「動かないです」
「どうしてでしょう」
「二つあるんです」
「二つ」
「どっちにするか、決まらないんです」
「わかるように、言え」
「はい」
「壊れた物は、どうする」
「壊れる前を思えばいいんです」
「思うだけか」
「思って、触ってるだけです」
「それで戻るのか」
「戻ります」
「では、これはなぜ戻らん」
「途中の形を、本当の形だと覚えてます」
オズワルドさんの目が動いた。動いて、俺の手のところで止まった。
「石がか」
「石がです」
「石は、覚えん」
「覚えてます」
「なぜ、そう言える」
「戻ろうとしないので」
「……」
「壊れた物は、戻りたがるんです」
「戻りたがる」
「はい。押すと、そっちへ行きます」
「これは」
「押しても、動かないです」
「動かんのか」
「半分だけ、動きます」
「半分」
「動いた半分がまた戻ります」
試しに、少しだけ触った。
右の歯の緑青が薄く浮いて、端から剥がれかけた。
剥がれかけて、止まった。止まったまま、また張りついた。
張りつく音はしなかった。もとの厚さに、戻っている。
やったことが無くなった。
「戻りましたね」
「戻ったとは、何がだ」
「今、少し剥がれたんです」
「見えんかった」
「一瞬です」
「それから、どうなった」
「くっつきました」
「もとにか」
「もとにです」
「厚さも、か」
「同じ厚さです」
「……そんなことがあるか」
「ありますね」
シルフィさんが息を詰めた。詰めて、そのまま止めていた。
止めたのが、長かった。この人は、驚くときに音を立てない。
「シルフィさん」
「はい」
「息、してますか」
「……しております」
「そうですか」
「ルーク様」
「はい」
「わたくしの脚と、同じでございますか」
「違います」
「違いますか」
「脚は壊れてました」
「はい」
「これは、壊れてないです」
「……はい」
「壊れてないのに、直ってもないんです」
ミオさんが二人の顔を見比べていた。見比べて、首を傾げた。
この人は、分からないと黙る。黙って、耳だけを片方こちらへ向けた。
ダグさんは門から一歩下がっていた。下がったまま、腕を組んでいる。
組んだ腕が、動かない。この人が黙るときは、良くないときだ。
俺は手を離した。離してから、掌を見た。掌に粉がついていた。
石の粉だ。
こすると、消えた。消えたのではない。石へ、戻ったのだと思う。
灯りを門の下へ回した。床に、石の粉が落ちていた。
粉は、細かい。
鑿で出る粉ではなかった。もっと細かい、磨いたときの粉だ。
粉は乾いている。乾いた粉が、長いあいだの埃の下にあった。
下にあるのに、埃と混ざっていない。混ざらないのは、動いていないからだ。
「……誰が、やった」
その声は震えていた。四十年、同じ場所に通った人の声だ。
「わかりません」
「わからんのか」
「わからないです」
「では、なぜ人だと言う」
「石は、途中でやめないので」
「……」
「崩れるなら、最後まで崩れます」
「うむ」
「ここは、途中で止まってます」
「止めた者がおる、と」
「はい」
俺は境目をなぞった。指の腹で、右から左へ動かした。
途中で、面の手触りが変わった。変わり目は、なだらかだった。
削って止めたのではない。
力を、抜いて止めてある。
抜けていく幅が、指の幅だけあった。その幅の中で、色が入れ替わっている。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「でも、うまい人です」
「うまい」
「はい」
「壊しかけた者がうまいと申すか」
「壊してないです」
「では、なんと言う」
「直しかけです」
「同じことだ」
「違います」
「どう違う」
「壊した跡が無いんです」
「跡が」
「一つも無いです」
俺は左の歯をもう一度見た。光っている側だ。
光り方に癖があった。磨いた向きが、揃っている。
揃っているのは、一人で磨いたからだ。
二人でやると、向きが割れる。
右の歯には、その揃いが無い。無いのではなく、まだ届いていない。
届く前に、手が離れている。
その人は門に近づいて、初めて手を伸ばした。伸ばして、途中で止めた。止めた手が宙にあった。
四十年、触るなと言ってきた人の手だ。言ってきた本人が、いちばん触れない。
「触ってもいいですよ」
「よくない」
「そうですか」
「触れば、わしも同じになる」
「同じですか」
「途中でやめた者に、なる」
「ならないです」
「なぜだ」
「やめられるほど、始めてないので」
「……」
「すみません」
「謝るな」
「はい」
「そのとおりだ」
「怒りませんね」
「怒る相手がおらん」
「そうですね」
「二十七人には、怒れた」
「はい」
「あれは、二十七人ではない」
その人は手を下ろした。下ろして、袖で口を押さえた。
押さえた指の節が、太い。図面を引く人の指ではなかった。
昔は、掘る側にいた人の指だ。
「一つ、聞く」
「はい」
「うまい、と言うたな」
「言いました」
「どのくらい、うまい」
「俺より、うまいです」
誰も、何も言わなかった。言わないまま、灯りの音だけがしていた。油が芯を上がる音だ。
シルフィさんが灯りを一つ持ち上げて、門の境目に近づけた。
近づけても、影の濃さが変わらない。変わらないので、また下ろした。
下ろす手がゆっくりだった。
ダグさんはまだ腕を組んでいる。組んだまま、俺のほうを見なかった。
「なぜ、そう思う」
「やめ方が、きれいなので」




