第96話「第七閘門」
技師局の裏に、石の蓋があった。蓋は床と同じ高さに嵌まっている。
縁に鉄の環が付いていた。環は擦れて細くなっている。同じ指が、何十年も掛かった跡だ。
オズワルドさんが鍵束を出した。鍵は六本あった。
「六本ですか」
「六本だ」
「どれを使いますか」
「一本だ」
「あとの五本は」
「使わん」
「なんでですか」
「使う場所がもう無い」
「無くなったんですか」
「無くしたのだ」
その人はいちばん短い鍵を差して、二度回した。
蓋が指の幅だけ浮いた。浮いた隙間から、風が出た。風は冷たかった。冷たいのに、乾いている。
「におうニャ」
「今度は、何の匂いですか」
「石だ」
「石ですか」
「濡れてない石」
「濡れてないんですね」
「水の道なのに」
「そうですね」
蓋を四人で持ち上げた。思ったより、軽かった。
軽いのは、蓋の裏に窪みがあるからだ。持つ場所が決めてある。
誰かが、持つ人のことを考えて作っている。
俺は段を数えながら降りた。数える癖は、昔からある。
十四段目で、外の光が届かなくなった。そこから先は、灯りだけだった。
灯りは四つあるが、四つでも足りない。
百二十七で、床に着いた。
「百二十七ですか」
「そうだ」
「数えたんですね」
「四十年、数えとる」
「減りませんね」
「減らん」
「増えもしないですね」
「増えたら困る」
シルフィさんが上を見て、灯りを少しだけ下げた。
「ルーク様」
「はい」
「ここは、古うございます」
「古いですね」
「森より、古うございます」
「そうなんですか」
「石の据わり方が違います」
「据わり方」
「置いたのではなく、置き直しておりません」
「動かしてないってことですか」
「一度も、動かしておりません」
灯りを上へ向けた。天井は、遠かった。腕を十八本ぶん積んだくらいある。幅は二十二本ぶんだ。
石は切り出したものだった。継ぎ目が、細い。爪も入らない。
千年、その細さのままだ。
「これ、全部こうですか」
「十二の区画、全部だ」
「掘ったんですか」
「掘って、積んだ」
「誰がですか」
「知らん」
「わからないんですね」
「わからん」
「聞いたことは」
「四十年、聞いておる」
「答えは出ましたか」
「無い」
ダグさんが足を止めて、天井を見上げた。
「音がしない」
「しませんね」
「水の道だろう」
「水の道です」
「なら、おかしい」
「動いてるのは四つだけなので」
「ここは」
「止まってるほうです」
通路が途中で広くなった。広くなった先に、壁があった。いや、壁ではなかった。
門だ。
石の枠に青銅が嵌まっている。青銅は、歯の形をしていた。
上と下で、噛み合うようにできている。噛み合っているのは、片側だけだった。
「これが七番ですか」
「七番だ」
「閘門ですね」
「そうだ」
「水を、切るところですね」
「切って、溜める」
「溜めて、送るんですね」
「送れれば、な」
門の脇に、石の柱が立っていた。柱の上に輪がある。輪から鎖が下りていた。
鎖は、途中で切れている。切れた先は、床に落ちていた。落ちた鎖に、埃が積もっていない。
「これ、動かすやつですか」
「巻き上げる鎖だ」
「切れてますね」
「切れておらん」
「切れてますよ」
「切ったのだ」
「誰がですか」
「わしだ」
「なんでですか」
「動かされると、困るゆえ」
灯りを近づけた。石の色が途中で変わっている。
右は灰色だった。左は灰色ではない。もっと、深い色だ。
濡れているように見えたが、触ると乾いていた。
境目はまっすぐではない。刷毛を、途中で止めたような輪郭だった。
止めた側だけが、少し滲んでいる。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「これ、半分ですね」
「……半分だ」
「石の色が、半分だけ本当です」
「本当、とは」
「もとの色です」
「もとを、見たのか」
「見てないです」
「では、なぜわかる」
「そっちだけ、新しいので」
青銅の歯に手を掛けた。左の歯は、光っていた。鏡のように、灯りを返す。
右の歯には緑青が乗っていた。厚く乗って、粉を吹いている。
左右を同じ手で触った。
温度が違った。左が、冷たい。右は、ぬるい。同じ門の、同じ石だ。
「ダグさん」
「なんだ」
「ここ、触ってみてください」
「……触った」
「どうですか」
「気味が悪い」
「そうですか」
「はっきり言うぞ」
「はい」
「俺はこういうのが嫌いだ」
「わかります」
「わかるのか」
「わからないです」
「どっちだ」
ミオさんは近づかなかった。三歩、離れたところで止まっている。
耳が寝ていた。尻尾がいつもより太い。
「気持ち悪いニャ」
「そうですか」
「うん」
「どこがですか」
「途中みたいだ」
「途中」
「うん。途中」
シルフィさんは何も言わずに、灯りを持ち替えた。持ち替えただけで、動かない。
「オズワルドさん」
「なんだ」
「壊れてる四つに、七番は入ってませんでしたね」
「入っておらん」
「上から水が来ないだけの三つにも」
「入っておらん」
「動いてる四つでもないですね」
「違う」
「じゃあ、どれでもないやつです」
「……そうだ」
その人は壁に手をついた。ついた手が震えていた。
顔の色が、灯りの下でも分かった。
白いのではない。灰色に、近い。
「四十年、触るなと言ってきた」
「触るな、ですか」
「二十七人に言った」
「全員にですか」
「全員にだ」
「なんでですか」
「壊れとるなら、直せる」
「はい」
「直っとるなら、触らん」
「はい」
「あれは、どちらでもない」
「どちらでもないですね」
「触らせるわけには、いかんかった」
灯りが、四つある。
四つあるのに、影が薄かった。
薄いのは、光が足りているからではない。どちらから当てても、同じ濃さになる。
埃が落ちていた。落ちる速さが遅い。
舞い上がったまま、なかなか下りてこない。
ここは、そういう場所だった。
俺は門の前にしゃがんで、石の面に手を当てて、目を閉じた。
手が石の上で滑ったが、滑るような面ではない。
もう一度、置き直した。置き直しても同じだった。
「ルーク様」
「はい」
「……いかがなさいました」
「少し、待ってください」
「はい」
三度目に置いた。置いたまま、しばらく動かなかった。
分かったのは、そのときだ。分かったが、言い方が見つからなかった。
見つからないまま、口を開けた。
「……これ、直しかけです」




