第83話「神匠殿」
鎧の一団は俺たちの前で止まって、道の端へ寄った。寄って、坂の上へ手を向けた。
「お迎えに上がりました」
「早いですね」
「門で、お待ちしておりました」
「寄り道しました」
「……存じております」
「桶を直してました」
「……存じております」
ロッタさんは天秤を担ぎ直して、坂を上っていった。一度も振り返らなかった。
振り返らないほうが、たぶん、ふつうだ。
俺は道具袋を掛け直して、坂を上った。上るほど、石畳の窪みが浅くなった。
浅くなって、途中から無くなった。無くなったところから、城の区画だった。
王城の廊下は長かった。窓が片側にだけ並んでいる。窓のない側の壁に、布が掛かっていた。
布は色が褪せている。褪せ方が、下のほうだけ違った。
床は石だ。石の色が、途中で変わっている。
「ここ、継いでますね」
「継いでおります」
「三度くらいですか」
「……四度でございます」
「上手ですね」
「上手、でございますか」
「継ぎ目が揃ってます」
「……はい」
「あとから継ぐと、たいてい段がつきます」
「段」
「足が、引っかかります」
「……ここは」
「引っかかりません」
「……そこまで、ご覧になりますか」
「歩けば、わかります」
「歩いただけで」
「足が、覚えてます」
侍従の人は少し歩を緩めて、自分の足元を見た。見てから、また前を向いた。
侍従の人が、前で止まって、振り返った。
「神匠殿、こちらへ」
俺も止まった。止まって、後ろを見た。後ろには、ミオさんしかいない。
「……どなたか、いらっしゃいます?」
「は」
「いま、呼びましたよね」
「呼びまして、ございます」
「どなたを」
「……あなた様を」
「俺は、ルークです」
「はい」
「町の修理屋です」
「……はい」
「人違いだと、困りますので」
「困りは、いたしません」
「そうですか」
侍従の人はそれきり黙って、扉の前へ立った。
ミオさんが尻尾をしまった。しまってから、俺の後ろに隠れた。
「立ってていいですよ」
「立ってる」
「隠れてますけど」
「立って、隠れてる」
扉が開いた。
謁見の間は広かった。広いのに、飾りが少ない。いちばん奥に椅子が一つある。
両脇に人が並んでいた。
並んだ人はみんな同じ方向を見ている。
俺だけ、違うほうを見ていた。
扉の蝶番が少し下がっている。重い扉は、上の蝶番から傷む。
下がると、閉めるときに鳴る。鳴ってから直す人が、いちばん多い。
「面を上げよ」
声が低かった。命じる高さの声ではない。人に物を頼むときの高さだった。
「ルークと申したか」
「はい」
「王都の下に、水の道がある」
「図で、見ました」
「あれを、なんと思う」
「石が、多いです」
「それだけか」
「まだ、見てないので」
「見ておらぬものは、語らぬか」
「語れません」
陛下はそこで少しだけ身を起こして、肘を膝に置いた。王の座り方では、なかった。
「千年、誰にも直せなかった」
「はい」
「頼めるか」
部屋が静かになった。誰かが、息を止めた音がした。
「見てみないと、わかりません」
「見れば、わかるか」
「わからないかも、しれません」
「ならば、そう申せ」
「そう申します」
陛下はそこで頷いた。頷いて、椅子の背に寄りかかった。
「よい」
「はい」
「見て、駄目なら帰ってよい」
「帰ります」
「引き止めはせぬ」
「はい」
横で誰かが吹き出した。王弟のジェラルド公だった。苦笑いを隠さない人だった。
シルフィさんはそのあいだ動かなかった。
背がまっすぐに伸びている。この人が黙って立つと、場が一段静かになる。
「陛下」
列の中から、声が上がった。白髪の人だった。背筋がまっすぐだ。
「申せ」
「クレイスにございます」
その人は俺のほうを見なかった。見ずに、陛下だけを見ていた。
「あの水路は、千年もっております」
「もっておるな」
「千年もったものを、いま壊す理由がございましょうか」
「壊すとは、申しておらぬ」
「手を入れるとは、そういうことでございます」
「……そうか」
「三度、手が入りました」
「三度」
「三度とも、悪くなりました」
その人はそこで一度、止まった。止まって、両手を前で組んだ。
指に水の紋の指輪があった。波が、三本。
使いの人が持っていた封の、下と似ていた。似ているだけで、同じではない。
封には、鍵が一本あった。だが、指輪には、鍵がなかった。
「わたくしは、反対でございます」
「理由は」
「史跡にございます」
「それだけか」
「国の骨でございます。折れれば、継げませぬ」
シルフィさんが一歩前へ出かけて、止まった。俺が袖を引いたからだ。
「あの」
「なんだ」
「その方の言うこと、合ってます」
「……は」
「三度で悪くなったなら、四度目も危ないです」
「では、断るか」
「見てから、決めます」
「見て、駄目なら」
「駄目だと言います」
「言えるか」
「言えます」
「もう一つ、いいですか」
「申せ」
「上の町は、樋をひねると水が出るそうですね」
「出る」
「下の町は、出ないそうです」
「……出ぬな」
「あれも、水の道ですか」
「同じ道だ」
「じゃあ、いま、半分だけ動いてるんですね」
部屋の空気が少し動いた。
誰も、何も言わなかった。言わないのが、答えだった。
クレイス伯はそこで初めて俺を見て、何も言わなかった。言わずに、頭を下げた。
下げ方が丁寧だった。
敵意のある下げ方では、なかった。
この人は、たぶん、怒っていない。怖いのだと思う。三度、悪くなるのを見た人の顔だった。
ジェラルド公がこちらへ来て、俺の横に並んだ。
「よく我慢したな」
「何をですか」
「怒るところだ」
「怒りませんよ」
「なぜだ」
「合ってるので」
「……そうか」
ミオさんが、袖を引いた。
「帰っていいって、言われたニャ」
「言われましたね」
「帰るの」
「帰りません」
「なんで」
「まだ、見てないので」
公は一度、天井を見た。見てから、まっすぐに向き直った。
窓の外から、音がしていた。遠くで、桶が鳴っている。
鳴っているのは、坂の下だ。
音は上まで届く。水だけが、届かない。
「では、宮廷技師長に会っていただこう」
「技師長」
「この国で、あれをいちばん知っている男だ」
「会います」
「……彼が首を縦に振れば、の話だが」




