第80話「王都から、迎えが来る」
その石は俺の背より高かった。幅は、両腕を広げても足りない。
面が六つある。六つとも、平らだった。
「これ、要の石ですね」
「かなめ」
「はい。これが抜けると、上がぜんぶ落ちます」
「では、触れぬほうが」
「触っても、抜けません」
「なぜ、わかるのですか」
「重さが下へ行ってるので」
刻みは指の先ほどの大きさだった。錆と土に隠れて、面の下の隅にある。
俺はそこだけ土を払った。払うと、線が出た。線は四本ある。
四本のうち、二本の端が同じ向きにはねていた。
「あ、これ」
声が出た。
「……見たことがあります」
どこで見たかはすぐに出てきた。錆びた鉄くずが、聖銀になった夜だ。それから、石ころで直した短剣の刃元。
二度とも、刃元にあった。二度とも、俺は彫っていない。
「同じですよね、これ」
「……」
「線の数も、はねの向きも」
「……」
灯りが揺れた。揺れたのは、風ではない。シルフィさんの手が、動いたからだ。
「シルフィさん」
「……はい」
「灯り、こっちに」
「……はい」
灯りが寄った。寄って、刻みの底まで見えた。底に土は残っていない。
彫って、そのまま置き忘れられた、という感じではなかった。
新しくも、古くもない。
ただ、そこにある。
「三度目です」
シルフィさんがそう言った。
「……三度目ですね」
「はい」
「数えてたんですか」
「……数えては、おりません」
「でも、三度目って」
「……」
「知ってるんですか」
俺はそう聞いてから、聞き方が悪かったと思った。これは、この人の物かもしれない。
間があった。長い間だった。灯りの芯が、一度跳ねた。
「……いいえ」
シルフィさんが、そう言った。
「そうですか」
俺はうなずいた。
「知らないなら、しかたないですね」
「……はい」
「じゃあ、そのままにします」
「ルーク様は直さないのですか」
「壊れてないので」
「……はい」
「土だけ、払っておきます」
払って、手を離した。
刻みは灯りの中に残った。
俺は石段のほうへ歩いた。歩いて、途中で振り返った。
シルフィさんがまだ立っていた。灯りを持ったまま、動いていない。驚いている顔だった。
何に驚いているのかは、わからなかった。わからないので、聞かなかった。
朝、ギルドの前に人が出ていた。
番号札を配る時間なのに、誰も並んでいない。
「持ち物は」
「これだけです」
「袋一つか」
「はい」
「増えとらんな」
「増えません」
ハーグさんが卓に何かを置いた。徽章だった。この前もらったものとは、色が違う。
「もう、うちの登録者だ」
「はい」
「等級だけは上げておいた」
「あの」
「なんだ」
「実績がないんですけど」
「壁が立っとる」
「あれは、門です」
「門でいい」
「はい」
ハーグさんはそれ以上は言わなかった。
ダグさんが荷を担いだ。
「あんたも来るんですか」
「木の手の手入れがいる」
「したばかりですけど」
「もう一度、いる」
「そうですか」
「そうだ」
手入れは三日前にした。三日で狂う手ではない。でも、来てくれるならありがたい。
「あたしも行く」
ミオさんが、そう言った。
「ミオさんは」
「見習い」
「見習いって、何のですか」
「両方」
「両方」
「斥候と、修理」
「修理は、見て覚えるものじゃないですよ」
「じゃあ、やらせて」
「やらせます」
「じゃあ、見習いニャ」
ドルクさんは扉のところに立っていた。番号札の束を持っている。
「行くのか」
「行きます」
「戻るのか」
「戻ります」
「いつだ」
「わかりません」
「……そうか」
「札、頼みます」
「おう」
「呼ぶ順を間違えないでください」
「間違えねえよ」
「はい」
この人は番号を呼ぶ人になった。それだけのことが、うまくいっている。
シルフィさんは朝から口数が少なかった。荷は、いつもより丁寧に括ってある。括り直した跡が、二つあった。
「シルフィさん」
「はい」
「体調、悪いですか」
「いいえ」
「そうですか」
「はい」
「じゃあ、いいです」
「……はい」
この人が短く答えるのは、珍しい。
珍しいが、たまにはある。
坂を下りると、人が立っていた。道の両側に、立っている。
誰も、何も言わずに、頭を下げた。
俺も下げた。
下げ返すのが、いちばん困る。
門が鳴った。二枚が、揃って鳴る。
この町へ来たとき、この門は開いたままだった。
閉まる音は、この前聞いた。
今朝は、開く音だった。開く音のほうが、長い。
街道に馬車が止まっていた。
二頭立てだ。
車体に、獅子の紋が入っている。
供が四人。
四人とも、こちらへ向いて立っていた。俺たちが来るのを、待っていたことになる。
「オルトの、修繕の方でいらっしゃいますか」
「町の修理屋です」
「……はい」
男の人はそこで少しだけ黙った。
「陛下より、使いに参りました」
「陛下」
「王都の地下に、ご覧に入れたいものがございます」
「地下ですか」
「はい」
「何があるんですか」
「……図で、ご覧いただきます」
「図」
「言葉にいたしますと、みな、信じませんので」
「そんなにですか」
「そんなにでございます」
「千年、誰にも直せなかったものです」
「千年」
「はい」
「長いですね」
「長うございます」
「錆びてますか」
「……錆びては、おりません」
「じゃあ、たぶん、壊れてます」
「壊れて、おりますか」
「錆びない物が壊れないなら、直す仕事は要りません」
「……は」
「錆びるのは、まだ動いてるからです」
「動かないものは」
「動き方を忘れてます」
男の人は俺を見た。見て、何も言わずに筒を出した。
封が二重になっている。表に獅子。下端に波が三本と、鍵が一本。
シルフィさんはそれを見なかった。見ないようにしているのが、わかった。
男の人は筒の紐を解いた。解いて、馬車の板へ紙を広げた。
紙は、大きかった。
両端を、供が二人で押さえた。押さえないと、風で飛ぶ大きさだ。
紙の上に線が引いてある。線は、水の道だった。
水の道の下に、四角が並んでいる。
一つ一つが石だ。
昨日、灯りで見た石と同じ形をしている。
同じ形が、右へ、左へ、上へ、下へ続いていた。
端まで行っても、終わらない。
数え切れなかった。




