第76話「崩れる」
坂の途中で、二度目が来た。
一度目より長かった。
石垣の上の土がさらさらと落ちた。落ちた先で、犬が鳴いた。
「さっきより、近い」
ミオさんが言った。
「音の頭が近い」
「頭ですか」
「揺れのはじまり」
「わかるんですか」
「わかる」
ダグさんが坂を上りはじめた。俺たちも上った。
ギルドの前にもう人が立っていた。誰も、灯りを持っていない。持たずに出てきた顔だった。
「ハーグさん」
「聞いた」
「まだ何も言ってません」
「足の裏で聞いた」
ハーグさんは、外套も着ていなかった。
「あれは崩落だ」
「山がですか」
「道だ。鉱山道の奥が落ちた」
「落ちると、どうなるんですか」
「……わからん」
「わからないんですか」
「あの道は、二十年閉めてある」
「閉めた道が落ちると」
「中にあったものが外へ出る」
「出るんですか」
「出た例がある」
「いつですか」
「二十年前だ」
「そのとき、どうしました」
「門を閉めた」
「閉まりましたか」
「閉まらなかった」
ハーグさんはそれきり言わなかった。言わずに、鐘の綱へ手をかけた。鐘は、二年鳴っていないと聞いていた。
鳴った。
三つ鳴らして、間を置いて、また三つ鳴らした。
坂の下の窓が、順に明るくなった。
「ミオさん」
「行く」
「まだ何も言ってません」
「見てこいって言うんでしょ」
「……はい」
「二人つける」
ダグさんが、そう言った。
「いらない」
「つける」
「遅いのは、いや」
「遅いのを置いてくるな」
「わかった」
ミオさんは、坂を跳ぶように下りていった。
途中で一度だけ振り返って、耳を動かして、また走った。
戻ってきたのは、夜明けの前だった。
二人は、まだ後ろにいる。ミオさんだけが、先に着いた。
息が上がっていた。上がっているのに、声は落ち着いている。
「坑口が開いてる」
「崩れたんじゃないんですか」
「崩れて、開いた」
「中は」
「乾いてた」
「乾いて」
「濡れてたはずの石が乾いたまま」
俺はあの道を思い出した。轍の底に、土が溜まっていなかった。十年、風も吹かなかったように見えた道だ。
「動いてるニャ」
「何がですか」
「ぜんぶ」
「ぜんぶ」
「置いてあったものが、ぜんぶ」
ミオさんは指を折りはじめた。折って、途中でやめた。
「数、数えきれないニャ。二十……もっといるニャ」
「二十より多いんですか」
「多い」
「どのくらいですか」
「三十まで数えて、やめた」
「やめたんですか」
「同じ形がいない」
同じ形がいない、というのがしばらくわからなかった。
「荷車の輪が立って動いてる」
「輪がですか」
「縄が束のまま動いてる」
「縄」
「草も」
「草が動くんですか」
「枯れてない草」
枯れなかった草、と俺は口の中で言った。
二十年、閉じていた道だ。閉じた道で、鉄が錆びていない。縄が朽ちていない。草が枯れていない。
止まっていたものが、まとめて動きだした。
それだけのことだと思った。思ったが、口には出さなかった。
「足は」
ダグさんが聞いた。
「遅い」
「遅いか」
「でも、止まらない」
「止まらんのがいちばん困る」
「昼までには、来る」
ダグさんは空を見た。見て、指を三本立てた。昼までの、残りの数だと思った。
ギルドの一階に、人が入りきらなかった。
二階があって、助かった。昨日直したばかりの二階だ。
卓は、まだ三つしか置いていない。置いていない床に、人が座っていた。
「聞け」
ハーグさんが階段の途中に立った。立って、下と上の両方へ声を届けた。
「年寄りと子供から、地下へ」
「地下ってどこだ」
「酒蔵と、石切り場の跡だ」
「入るのか」
「二百は入る」
「水は」
「井戸が中にある」
「誰が連れてく」
「番号を呼べる者だ」
ドルクさんが、手を挙げた。挙げてから、少し困った顔をした。
「俺、声はでかい」
「それでいい」
「道は」
「壁沿いだ。曲がるな」
「わかった」
ドルクさんは階段を下りていった。下りながら、もう名前を呼んでいる。
「前は俺が持つ」
ダグさんが言った。
「何人だ」
「十二」
「少ないな」
「多いと、下がれない」
「下がる気か」
「下がる場所を決めてから、前に出る」
ハーグさんはうなずいた。
「わたしが立ちます」
シルフィさんが、そう言った。
「聖女殿は後ろでいい」
「後ろでは、見えません」
「見えなくていい」
「見えないと、届きません」
誰も、それ以上は言わなかった。
シルフィさんは外套の留めを外して、白い衣の袖を出した。
この人が聖女として立つのを、久しぶりに見た。
「修理屋」
冒険者の一人が、俺を呼んだ。
「はい」
「お前、まとめて直せねえのか」
「まとめて、ですか」
「そこの山、ぜんぶ」
卓の上に、欠けた武器が積んである。
「一度に一つなんです」
「一つ」
「はい。一つ終わってから、次です」
「早くやれば、どうにかなるか」
「早くはできます」
「じゃあ、早くやれ」
「はい」
その人は、それで納得した。
俺も、それでいいと思った。
卓の山は、腰の高さまである。一つ直せば、一つ減る。減った数だけしか減らない。
外が白みはじめた。朝だからではない。北の空だけが白い。
霧だった。
霧は、山の裾を舐めるように寄っていた。寄る速さは、歩く人と変わらない。変わらないのに、途中で薄くならない。
「ハーグさん」
「なんだ」
「一つ、いいですか」
「言え」
「門を閉めましょう」
誰かが笑いかけて、やめた。
「閉めるのは、当たり前だ」
「はい」
「それだけか」
「それだけです」
「ほかには」
「ありません」
俺は戦い方を知らない。知らないので、思いつくのは門しかなかった。
二年、開けたままだった門だ。蝶番を直したのは、この前のことになる。
「閉めろ」
ハーグさんが言った。
「二枚とも、閉めろ」
門番が二人、走った。俺も走った。走りながら、道の脇の荷車を数えた。
九台あった。九台とも、門の内へ入れた。
「重いぞ」
「押します」
「あんたが押すのか」
「押します」
扉が動いた。
軋まなかった。軋まないのは、直してあるからだ。
二枚が真ん中で合わさった。合わさって、音が一つになった。
閂を二人で担いだ。担いで、受けへ落とした。鉄が石へ落ちる音がした。
低い音は、遠くまで行く。
「閉まりましたね」
「閉まった」
「よかったです」
門番が、扉の内側を撫でていた。撫でて、止まった。
「おい」
「はい」
「内の受けが無え」
「内の」
「外に一組、内に一組ある門だ」
「はい」
「押されたときに効くのは、内だ」
俺はその面を見た。石に、四角い穴が二つ空いている。穴の縁だけが新しい。
「いつからですか」
「二年前だ」
「二年前」
「商会が持っていった」
「持っていって、どうしたんですか」
「売った」
「何としてですか」
「鉄として」




