第74話「【幕間】格付け」
本部の建物は王都の川沿いにある。石の三階建てで、階ごとに扱う紙が違う。
一階が届け、二階が金、三階が格付けだ。上へ行くほど、人の声が小さくなる。
会議室の窓は北を向いている。北向きの部屋は、書類の色が変わらない。
長机に七人が座っていた。座っているのは、支部を畳むかどうかを決める側の人間だ。
イレーヌはいちばん端にいた。査察官は、決める側ではない。
机の中央に綴りが二冊ある。半年前のものと、今月のものだった。
「読み上げます」
「頼む」
「地方都市の、坂の町。依頼の達成率——半年前、国内で最も低い」
「知っている」
「今月、国内で最も高い」
誰も、何も言わなかった。
「もう一度」
「今月、国内で最も高い」
「順位ではなく、数を言え」
「受注が四倍、達成が九倍でございます」
「達成が受注より伸びているのか」
「持ち越しの依頼が片づいております」
紙をめくる音だけが、しばらく続いた。
「数字を作っているのでは」
いちばん奥の男がそう言った。
イレーヌは顔を上げた。
「作るなら、もっと下手に作ります」
「どういう意味だ」
「上手すぎます」
「上手いのが、まずいのか」
「作った数字は、伸びる欄が偏ります」
「偏っていないと」
「二十三の欄が、全部同じ向きに動いています」
「全部か」
「全部です」
男は黙った。
格付けの盤は廊下に掛かっている。町の名を書いた木札を、縦に並べたものだ。
札は月に一度だけ動く。動いても、たいていは一つか二つだった。
その町の札は、いちばん下から、いちばん上まで動いた。
動いた跡に、釘の穴が残っている。穴は、途中の段には無い。
途中を通らずに、上がったということだ。
「事故は」
「二件でございます」
「半年で二件か」
「はい」
「前は」
「四十一件」
それも、誰も言葉にしなかった。
「査察官」
「はい」
「行けるか」
「行きます」
「何日で戻る」
「戻る日は、申し上げません」
「なぜだ」
「見てから決めます」
「上は、月内の報告を望んでいる」
「望みは、承りました」
七人のうち二人が笑った。この女を長く知っている、二人だった。
自分の机に戻ってから、イレーヌは綴りを開き直した。
欄は二十三ある。受注、達成、放棄、事故、負傷、そして装備の項目が四つ。
装備の欄はいちばん下にある。ここを読む者は、まずいない。
依頼の放棄には、理由を書かせる決まりがある。天候、道の崩れ、依頼主の都合。
それから、装備の損耗。
装備の損耗による依頼放棄——なし。
イレーヌはその一行を三度読んだ。
三度読んで、ペン先を紙の上で止めた。止めたまま、しばらく動かさない。
この欄が空になる町は、無い。
一年に一度も剣が欠けない者はいない。盾は割れ、靴底は減り、弓の弦は伸びる。
伸びれば、依頼は途中で止まる。止まれば、放棄として数える。
なしと書ける町は、道具の壊れない町ということになる。そんな町は無い。
死亡の欄も見た。
半年前の綴りには名前が三つ並んでいる。今月の綴りには、線が一本引いてあるだけだ。
線は、書くことが無いときに引く。書記の手癖である。
その線をイレーヌは指でなぞった。なぞっても、何も出てこない。
欄は起きたことしか写さない。起きなかったことの理由は、どこにも書かれない。
イレーヌは辞令をもう一度読んだ。
最初に受け取ったときの文言は、廃止の確認だった。二年、最下位で動かない支部を畳む。よくある仕事だ。
書き換えられた辞令には、調査、とだけある。
書き換えたのは上だった。理由は、書いていない。
この女は感情を書かない。報告書の余白は、いつも白いままだ。
その日は、一つだけ書いた。
要・現地確認。
書いてから、その一行を見た。
余白に字を入れたのは、十四年で二度目である。一度目に何を書いたかは、覚えていない。覚えていない程度のことだった。
書記が聞き取りの写しを持ってきた。
「移籍の届けが四十一件でございます」
「先月は」
「六件でございます」
「どこからだ」
「西が十二、東が十七、北が九、王都が三」
「王都から、地方へ移るのか」
「はい」
「理由の欄は」
「ほとんど、空でございます」
「空か」
「書かない者が多うございます」
「聞き取りは」
「三十人にいたしました」
「読め」
書記は写しを開いた。開いて、少し困った顔をした。
「みな、同じことを申します」
「同じでいい」
「はい」
「読め」
「——あの町では、死なない」
イレーヌは聞き返さなかった。
「以上か」
「以上でございます」
「三十人、全員か」
「言い方は違いますが、意味は一つでございます」
「たとえば」
「腕が落ちても、帰れると」
「ほかには」
「装備の心配を、しなくていいと」
「それは、宿の話ではないのか」
「装備でございます」
「誰が直している」
「そこまでは、書かせておりません」
「聞かなかったのか」
「聞きましたが、届けの欄にない項目でございますので」
欄にないものは、残らない。
この機構は欄にあるものだけを数えてきた。半年前まで、それで足りていた。
「支部の廃止は、取り下げますか」
「決めるのは、わたしではない」
「では、何をなさいます」
「見てくる」
「何をでございますか」
「数字の、下にあるものを」
「馬車は朝の六番でございます」
「一番に変えろ」
「席が埋まっております」
「屋根でいい」
「……手配いたします」
書記は頭を下げた。下げて、それきり何も聞かなかった。
北向きの窓から、朝の光が入っていた。北の光は、色が変わらない。
変わらない光の下で、その一行だけが、いつまでも同じ形をしていた。
鞄には綴りの写しと、白紙の帳面を入れた。
白紙は二冊ある。査察官は、書く紙を多めに持つ。足りなくなるほうが困るからだ。
十四年、二冊目に手をつけたことは一度もない。
イレーヌは綴りを鞄へ入れた。入れて、留め金を落とした。留め金は、かちりと鳴った。
馬車は南へ向かう。坂の町までは、三日だった。
道中でやることは決まっている。綴りを読み返し、聞くことを組み立てる。
組み立てたものが一度も役に立たなかったことは、まだない。




