第73話「守り神の祠」
朝に門が開く音がした。二枚が揃って鳴る。
揃うと、音は一つに聞こえる。
夜のあいだ、門は閉まっている。閉まる門があるのは、当たり前のことだ。
当たり前が戻るまでに、三年かかったらしい。
坂を下りると、広場に出る。
台が二十ほど並んでいた。布がかかっている台が、十七。
「市が立っておりますね」
「立ってますね」
「二年ぶりだそうでございます」
「値札が出てます」
「出ております」
「書いてあると、聞かなくていいです」
「はい」
「聞かなくていいと、安いほうを選べます」
角に水道の口がある。石の獣の口から、水が落ちていた。
下の桶は伏せていない。伏せていない桶には、水が溜まる。
水が出たのは、下の石組みを直した日からだ。
組み直したのではない。落ちた石を、元の場所へ戻しただけだ。戻すと、水は下から押し上がってきた。
秤も見た。
皿が水平で止まっている。止まるまでに、少し揺れる。
揺れて、真ん中で止まる。それが、正しい秤の止まり方だ。
人が三人来た。いちばん前の人が、紙を巻いて持っている。
「あの、修理屋さん」
「はい」
「広場に、祠を建てさせてください」
「祠ですか」
「はい」
「祠が壊れたら、直しますよ」
「いえ、そうではなく」
「あ、雨漏りしないやつがいいですね」
「そうではなく」
「屋根は、こけらより板がいいです」
「はい」
「板は反りますけど、飛ばないので」
「はい」
「向きは、南がいいと思います」
「南でございますね」
シルフィさんがそう言って、書き板に書いた。
書く必要は、ないと思う。
「あの」
「はい」
紙が開いた。
絵が、描いてある。小さい社と、その前に人が立っていた。人は槌を持っている。
「これ、俺ですか」
「はい」
「槌、持ってます」
「はい」
「あんまり、使わないです」
「……そうなのですか」
「鑢のほうが使います」
「では、鑢に描き直します」
「いえ、そこは、どちらでも」
「あの」
「はい」
「祠には、何を祀るんですか」
「……あなたです」
「俺、生きてますよ」
「はい」
「じゃあ、要らないです」
「そうではなく」
三度目だった。
この人は、そこしか言っていない。
「毎朝、水を替えたいんです」
「水ですか」
「祠の前に、置きます」
「それは、いいと思います」
「よろしいですか」
「置いた水は、傷まないので」
「はい」
「あ、桶が要りますね」
「桶」
「使わないときは、伏せてください」
「……伏せます」
「伏せると、乾きます」
人は頷いて、紙を巻き直した。巻き直して、帰っていった。
「話、噛み合ってないニャ」
「噛み合っております」
「噛み合ってない」
ミオさんがそう言った。
俺には、噛み合っていたと思う。
屋根と、向きと、桶の話をした。建てるなら、必要なことばかりだ。
広場から宿の裏へ回った。
仮の工房は、宿の裏の物置を借りている。土間が、思ったより広い。
棚が三つ、壁に付いていた。付いている棚は、直せば使える。
直したら、使えた。
扉の上に板が下がっていた。昨日までは、何も下がっていなかった。板に字が彫ってある。彫り口が、まだ白い。
「あの、シルフィさん」
「はい、ルーク様」
「これは」
「看板でございます」
「読みますね」
「どうぞ」
「神匠ルーク工房 ミルデ別院」
「さようでございます」
「……彫り直します」
「なぜでございましょう」
「神匠じゃないので」
「神匠でございます」
「修理屋です」
「では、両方を」
「片方でいいです」
「どちらを残されますか」
「短いほうです」
俺は鑿を借りた。借りて、彫り直した。
字は、少ないほうが早い。
修理屋ルーク(出張所)
これで、間違いがない。
シルフィさんは何も言わなかった。言わずに、俺の手元を見ていた。
見ている目が、明るかった。嫌な予感が、少しした。
翌朝、板を見上げた。
字が増えている。
神匠ルーク工房(出張所)
俺はしばらく見ていた。
「ミオさん」
「なに」
「これ」
「直した」
「直しましたか」
「半分こにしたの」
「半分」
「あの人が神匠って言うから、上を戻した」
「はい」
「ルークが出張所って言うから、下は残した」
「……なるほど」
「両方の顔が立つ」
「立ってますか」
「立ってる」
シルフィさんがうしろで頷いていた。頷き方が、深かった。
俺は困った。本気で困った。鑿を持って、置いた。
二人で彫ったものを一人で消すのは、たぶん違う。
「……今日は、このままにします」
「いいのニャ」
「明日、考えます」
「明日も彫るニャ」
「そうですか」
ギルドの卓は五つとも埋まっていた。
埋まっているのは、依頼の紙を書く人だ。書く人が来るのは、久しぶりらしい。
ドルクさんが受付の前に立っていた。
「名は」
「ドルク」
「級は」
「いちばん下だ」
「元の級を申告できる」
「しねえ」
「なぜだ」
「盾しか持ってねえ」
「盾は、あるのだろう」
「留め金が昨日ついた」
「……そうか」
ハーグさんは、それ以上聞かずに、名簿へ書いた。
書く音が遅かった。遅いのは、丁寧だからだ。
名簿の下から二行目に名が入った。
いちばん下の行は、空けてある。空けてあるのは、明日の分だ。
外の空き地で、板を叩く音がしていた。
ダグさんだ。
木の指で、板の同じ場所を叩いている。
叩く音が拍になっていた。
「足だ」
「はい」
「置く前に、見ろ」
「はい」
「もう一度」
三人が板の前に並んでいた。
三人とも、この町の者ではない。
昨日、坂を上ってきた人たちだ。
「あんたら、どこから来た」
「東の町だ」
「なんで来た」
「装備が持たねえ」
「ここなら、持つのか」
「持つと聞いた」
ダグさんは答えなかった。答えずに、板をもう一度叩いた。
「足だ」
「はい」
叩く音は日が傾くまで続いた。止まったのは、板が割れたからだった。
夕方、ハーグさんが奥から出てきた。
紙を一枚持っている。封は切ってあった。蝋の色が赤ではない。
「本部からだ」
「なんですか」
「査察が来る」
「査察」
「格付けの、確かめだ」
「いつですか」
ハーグさんは、日付を見た。見て、もう一度見た。
「……早まっとる」




