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第71話「あの朝の盾」

 盾を膝に載せた。十年前と、同じ載せ方になった。


 重さも、同じだった。


 革紐が左の側で垂れている。


 二重に回して、端を内へ折り込んである。


 結んだ人の手は丁寧だった。


「これ、結んだのはどなたですか」


「俺だ」


 ドルクさんが寝台から言った。


 首だけを、こちらへ伸ばしている。


「三月、それでもたせた」


「もちましたね」


「もったのか」


「三月ならもったほうです」


「そうかい」


「二重に回してあるので」


「そこは考えた」


「わかります」


「わかるのか」


「端の折り込みが内側です」


「……そうだ」


「外へ折ると、擦れて切れます」


「切れるのか」


「一月で切れます」


 ドルクさんは黙って、天井を見た。


 俺は結び目に爪を入れた。折り込んだ端を、先に起こす。起こしてから、輪をゆるめる。


 順番を間違えると、革が伸びる。伸びた革はもう縮まない。


 紐はするりとほどけて、ほどけた下から、金具の座が出てきた。


 座は二つある。右の座には、留め金が付いていた。


 付いてはいるが、噛んでいない。舌の先が、内へ曲がっている。


 曲がりは古いものだった。錆が、曲がりの内側まで回っている。


 左の座には何もなかった。穴が二つ、空いているだけだ。


 俺は縁を指でなぞった。へこみが、一つある。丸い形をしていた。


 柱は、丸い。


 なぞって、指を離した。


「職人」


「はい」


「何をしている」


「直します」


「頼んでいない」


「昨日、頼まれました」


「俺は言っていない」


「ドルクさんが言いました」


「あれは、俺の盾ではない」


「はい」


「持ち主が頼んでいない」


「持ち主は、ドルクさんですよ」


「……」


「違いますか」


「違わん」


「じゃあ、いいです」


「よくはない」


「五分で終わりますので」


 ガイルさんの顔が動いて、止まった。


「ミオさん」


「なに」


「番号、少し待ってもらえますか」


「五分ニャ?」


「五分です」


「わかった」


 ミオさんは扉から出ていった。


 外の声が一度大きくなって、また下がった。


 シルフィさんが受付の砂を返した。返して、そのまま立っていた。



 俺は道具袋を開けた。鑢が三本、金槌が一つ、油の壜。


 今日はどれも使わないが、並べる。並べると、手をつける順番が決まる。


 右の留め金に手を置いた。


 錆が先に浮いた。浮いて、薄い片になって落ちた。落ちた片が膝の布に溜まっていく。


 赤が抜けたところから、鉄の地が出た。地が出ると、内側が動く。


 欠けた粒が隣の粒を探している。探して、見つけて、噛み合う。


 噛み合った列が、また隣を呼ぶ。


 呼ばれた列は、舌の形へ戻っていった。


「おい」


「はい」


「今、剥がれてるのは」


「錆です」


「削ってねえよな」


「削ってないです」


「勝手に落ちてんのか」


「落ちる場所へ、戻ってるだけです」


「……わかんねえ」


「はい」


 曲がりが抜けた。抜けるとき、音はしない。鉄が戻るときは、鳴らないのだ。


 左の座へ指を移した。


「そっちは、無えぞ」


「はい」


「無えものは、どうすんだ」


「無かった場所が残ってます」


「場所」


「穴の縁が内へ潰れてます」


「潰れてたら、駄目だろ」


「潰れ方に、形があるので」


 穴の底から、鉄が上がってきた。


 根が先に立った。立った根の上へ、粒が積まれていく。


 積まれて、軸になった。軸の先に、舌が生えた。


 生えた面が、締まっていく。締まって、細い鏡になった。


 俺は留め金を倒した。倒して、受けの溝へ入れた。


 かちり、と鳴った。十年前に鳴らなかった音だ。


 最後に縁へ手を戻した。


 丸いへこみが、外へ押し返された。押し返されて、縁の線が続いた。


 線が続くと、盾は丸く見える。


「はい、いいですよ」


「……五分でございます」


 シルフィさんがそう言った。


 ガイルさんは見ていた。最初から、終わりまで見ていた。十年、この人は見なかった。


 地下の工房には、階段が十四段ある。降りてきたことは、一度もない。


 その人が、五分だけ見た。


 ダグさんが壁から離れた。離れて、盾の縁を覗いた。


「留め金だけか」


「はい」


「そいつは、うちの班にもあった」


「同じ形ですか」


「同じだ。抜けて、一人が腕を折った」


「そうですか」


「縛って、もたせた」


「もちますよ。三月は」


「三月で、班が解けた」


「……はい」


 ダグさんは、それだけ言った。言って、また壁へ戻った。



 ガイルさんが卓へ来た。


 来て、財布を出した。


 出して、銀貨を一枚置いた。置いて、背を向けた。


「あ、多いです」


 背中が、止まった。


「留め金は、銅貨で五十枚です」


「取っておけ」


「取れないです」


「なぜだ」


「決まりなので」


「誰の決まりだ」


「ここの決まりです」


「……」


「昨日も、そう申し上げました」


 シルフィさんが受付から言った。言って、頭を下げた。


 俺は銅貨を数えた。五十枚を、卓へ並べた。


 並べる音が、揃わなかった。シルフィさんなら、揃う。俺はそこまで上手くない。


「釣りです」


「……」


「持っていってください」


 ガイルさんは銅貨を見た。


 見て、片手で寄せて、財布へ入れた。


 入れる音が長かった。五十枚はそういう音がする。


 ミオさんが戻ってきて、卓の上を見た。


「終わったニャ」


「終わりました」


「早い」


「五分ですので」


「じゃ、番号呼ぶ」


「お願いします」


 俺は盾を持ち上げた。持ち上げて、寝台のほうへ運んだ。


「腕、通せますか」


「通す」


 通った。


 その人は、位置を直そうとした。いつも、そうしていたのだと思う。


 手が途中で止まった。直すところが、なかった。


「……軽いな」


「同じ重さですよ」


「軽いって」


「留め金が噛むと、そう感じます」


「そんだけかよ」


「そんだけです」


「十年、こうじゃなかった」


「そうですか」


「そうだ」


 ガイルさんは扉のほうへ歩いた。


 途中で、一度止まった。止まって、口を開けて、閉じた。


 閉じたまま、また歩いた。


 扉が開いた。坂の光が床まで入ってきた。列の音も、一緒に入ってきた。


 番号を呼ぶ声が、外でしている。


 ドルクさんが、その背中に言った。


「なあ」


「……」


「俺たち、どうすればよかったんだ」


 ガイルさんは答えなかった。

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