第7話「こりゃひどく壊れてるね」
ひどい壊れ方だった。
足の先から、順に見ていく。
「爪、抜けてますね」
抜けた跡の皮膚が、乾いて割れている。
「指も固まってます」
関節のところで固まって、動かない。押しても引いても、木の枝と同じだ。
「甲は……あー」
甲の皮膚は黒い。
黒の下に、緑がかった筋が走っている。血の道だ。中で、血が止まって固まっている。
脛。膝。膝の上。太腿の半ば。
黒は、まだらに広がっていた。境目がぼやけている。境目のところは、生きた色と死んだ色が混ざって、灰色になっていた。
「うわあ」
声が出た。
「これ、術で押さえてありましたね」
押さえた跡がある。何重にも、外から縛るような跡だ。
「三人がかりで、十日」
「そりゃ大変でしたね」
「押さえてくれてなかったら、間に合ってません」
眠っている本人に、言った。
「あとで、その人たちにお礼を言ってください」
「無理だと言ったそうですけど」
「無理なのと、何もしなかったのは、違いますから」
「十日、押さえ続けたんですよ」
「それは、仕事です」
毒だ。それも、ただ体を壊すだけの毒ではない。
入り込んだ先で、体に「この形が正しい」と教え直している。
だから治癒の術が効かない。術は正しい形へ戻そうとするが、体のほうが、もう黒い形を正しいと覚えてしまっている。
覚え違いだ。
「こりゃひどく壊れてるね」
俺はつぶやいた。
それから、腕をまくった。
「ちょっと待ってて。すぐ直すから」
やる前に、道具袋を開けた。
鑢が三本と、金槌がひとつ。油の壜。
「……使わないんですけどね」
それでも、出して、並べた。
親方の癖だ。仕事の前に道具を並べる。並べると、腹が決まる。
「はじめます」
眠っているシルフィに、一応言った。
「痛かったら、言ってください」
返事はない。
「痛くないと思いますけど」
「あ、あと」
「治すんじゃなくて、直します」
「そこ、大事なので」
「さっき、うまく言えなかったんですけど」
「壊れる前に戻すだけなんです」
「だから、たぶん、平気です」
返事はない。
「はい。はじめます」
膝の上に、手を置いた。
「まず、ここからいきますね」
まず、境目からいく。
灰色になっているところは、まだ迷っている。生きた形と死んだ形が両方あって、どちらへ倒れるか決まっていない。
だから、押してやる。
この脚が、まだ何ともなかったころ。走って、跳ねて、木の根を蹴っていたころ。血が指の先まで通って、爪の下がうっすら桜色だったころを思う。
灰色が、色を選んだ。
生きたほうへ。
それが合図だった。
黒が、退いていく。
乾いた木のようだった皮膚に、下から色が差した。桜色だ。
血の道が、根を張るように伸びていく。太い筋から細い筋へ、細い筋からもっと細い筋へ。
「はい、そのまま」
「もう少しです」
「ここ、細いところが多いですね」
「足の先って、こんなに道が細いんですか」
初めて知った。
剣の中身は、もっと素直だ。鋼はひと続きで、迷わない。
体は、分かれて、また分かれて、その先でまた分かれる。
「よくできてますね、これ」
「誰が作ったんでしょうね」
「うまいですよ、その人」
指先まで届いた。
届いた瞬間、足の指が、びくりと動いた。
「はい、動いた」
関節がほどける。固まっていた指が、順に曲がって、伸びた。
爪が、生えた。
生えるとき、小さな音がする。かさ、という乾いた音だ。十本ぶん、続けて鳴った。
最後に、皮膚が閉じた。
割れ目が寄って、消える。傷跡も残らない。もともと何もなかったところに戻っただけだから、残るものがない。
「……はい、いいですよ」
俺は手を離した。
脚は、二本とも同じ色をしていた。
念のため、左右を見比べる。
「ふくらはぎ、こっちが少し細いですね」
右のほうが細い。長く使っていなかったからだ。
「まあ、歩けば戻りますか」
そこは直さないことにした。
使って戻るものを、こちらで戻すのは、たぶんやりすぎだ。
額の汗を拭って、立ち上がった。
思ったより時間がかかった。窓の外が、もう薄い。
少女は眠っている。
息が深くなっていた。さっきまでの浅い息ではない。胸が、ゆっくり上がって、下がる。
「よかった」
俺は道具袋を置いて、伸びをした。
それから、はたと気づいた。
何も食べていない。
というより、この子が何も食べていない。あの軽さは、そういう軽さだった。
脚が治っても、中身が空では話にならない。
「ええと」
炉に火を入れた。
「すみません、朝から」
炉に言う。
「昨日、掃除できてないんですけど」
鍋は、井戸の横に転がっていたものを昼のうちに直しておいた。水を汲んで、火にかける。
入れるものが、ほとんどない。
残りのパンを半分。道端で摘んだ野草。塩は少し。それだけだ。
「……薄いな」
薄いが、ないよりはいい。
「明日、山を見ますか」
鍋に言う。
「きのこがあれば、だいぶ違うんですけどね」
「あと、畑ですね」
「土が塩を吹いてました。あれは直せます」
「井戸も、下を見ないと」
「水脈が動いてるだけなら、戻せると思うんですよ」
数えていると、また楽しくなってきた。
悪い癖だ。人が寝ている横で。
「すみません」
と、眠っている背中に謝った。
湯気が立ってきたころ、背中で音がした。
布の擦れる音だ。
振り返る。
少女が、上体を起こしていた。
起きて、自分の右脚を見ている。
見ている、というのが正確ではない。目を見開いて、動かない。手が、触れようとして、途中で止まっている。
触れたら消えるとでも思っているような手つきだった。
指が、震えている。
「……あ」
シルフィの口が、動いた。
声にならなかった。もう一度、動いた。
「……あ、し」
「はい」
「あし、が」
「ああ、はい」
俺はうなずいた。
「直しておきました」
シルフィは、こちらを見なかった。
まだ、自分の脚を見ている。膝を、そっと曲げた。曲がった。伸ばした。伸びた。
指が、一本ずつ動いた。
「動きますよね」
「……」
「あ、ふくらはぎは細いままです。そこは歩けば戻るので」
「……」
「触っていいですよ。消えませんから」
シルフィの手が、ようやく脚に届いた。
触れて、止まった。
肩が、大きく上下した。
「あ、起きましたか」
俺は鍋のほうへ顎を向けた。
「お腹すいてない?」




