↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/107

第7話「こりゃひどく壊れてるね」

 ひどい壊れ方だった。


 足の先から、順に見ていく。


「爪、抜けてますね」


 抜けた跡の皮膚が、乾いて割れている。


「指も固まってます」


 関節のところで固まって、動かない。押しても引いても、木の枝と同じだ。


「甲は……あー」


 甲の皮膚は黒い。


 黒の下に、緑がかった筋が走っている。血の道だ。中で、血が止まって固まっている。


 脛。膝。膝の上。太腿の半ば。


 黒は、まだらに広がっていた。境目がぼやけている。境目のところは、生きた色と死んだ色が混ざって、灰色になっていた。


「うわあ」


 声が出た。


「これ、術で押さえてありましたね」


 押さえた跡がある。何重にも、外から縛るような跡だ。


「三人がかりで、十日」


「そりゃ大変でしたね」


「押さえてくれてなかったら、間に合ってません」


 眠っている本人に、言った。


「あとで、その人たちにお礼を言ってください」


「無理だと言ったそうですけど」


「無理なのと、何もしなかったのは、違いますから」


「十日、押さえ続けたんですよ」


「それは、仕事です」


 毒だ。それも、ただ体を壊すだけの毒ではない。


 入り込んだ先で、体に「この形が正しい」と教え直している。


 だから治癒の術が効かない。術は正しい形へ戻そうとするが、体のほうが、もう黒い形を正しいと覚えてしまっている。


 覚え違いだ。


「こりゃひどく壊れてるね」


 俺はつぶやいた。


 それから、腕をまくった。


「ちょっと待ってて。すぐ直すから」



 やる前に、道具袋を開けた。


 鑢が三本と、金槌がひとつ。油の壜。


「……使わないんですけどね」


 それでも、出して、並べた。


 親方の癖だ。仕事の前に道具を並べる。並べると、腹が決まる。


「はじめます」


 眠っているシルフィに、一応言った。


「痛かったら、言ってください」


 返事はない。


「痛くないと思いますけど」


「あ、あと」


「治すんじゃなくて、直します」


「そこ、大事なので」


「さっき、うまく言えなかったんですけど」


「壊れる前に戻すだけなんです」


「だから、たぶん、平気です」


 返事はない。


「はい。はじめます」



 膝の上に、手を置いた。


「まず、ここからいきますね」


 まず、境目からいく。


 灰色になっているところは、まだ迷っている。生きた形と死んだ形が両方あって、どちらへ倒れるか決まっていない。


 だから、押してやる。


 この脚が、まだ何ともなかったころ。走って、跳ねて、木の根を蹴っていたころ。血が指の先まで通って、爪の下がうっすら桜色だったころを思う。


 灰色が、色を選んだ。


 生きたほうへ。


 それが合図だった。


 黒が、退いていく。


 乾いた木のようだった皮膚に、下から色が差した。桜色だ。


 血の道が、根を張るように伸びていく。太い筋から細い筋へ、細い筋からもっと細い筋へ。


「はい、そのまま」


「もう少しです」


「ここ、細いところが多いですね」


「足の先って、こんなに道が細いんですか」


 初めて知った。


 剣の中身は、もっと素直だ。鋼はひと続きで、迷わない。


 体は、分かれて、また分かれて、その先でまた分かれる。


「よくできてますね、これ」


「誰が作ったんでしょうね」


「うまいですよ、その人」


 指先まで届いた。


 届いた瞬間、足の指が、びくりと動いた。


「はい、動いた」


 関節がほどける。固まっていた指が、順に曲がって、伸びた。


 爪が、生えた。


 生えるとき、小さな音がする。かさ、という乾いた音だ。十本ぶん、続けて鳴った。


 最後に、皮膚が閉じた。


 割れ目が寄って、消える。傷跡も残らない。もともと何もなかったところに戻っただけだから、残るものがない。


「……はい、いいですよ」


 俺は手を離した。


 脚は、二本とも同じ色をしていた。


 念のため、左右を見比べる。


「ふくらはぎ、こっちが少し細いですね」


 右のほうが細い。長く使っていなかったからだ。


「まあ、歩けば戻りますか」


 そこは直さないことにした。


 使って戻るものを、こちらで戻すのは、たぶんやりすぎだ。



 額の汗を拭って、立ち上がった。


 思ったより時間がかかった。窓の外が、もう薄い。


 少女は眠っている。


 息が深くなっていた。さっきまでの浅い息ではない。胸が、ゆっくり上がって、下がる。


「よかった」


 俺は道具袋を置いて、伸びをした。


 それから、はたと気づいた。


 何も食べていない。


 というより、この子が何も食べていない。あの軽さは、そういう軽さだった。


 脚が治っても、中身が空では話にならない。


「ええと」


 炉に火を入れた。


「すみません、朝から」


 炉に言う。


「昨日、掃除できてないんですけど」


 鍋は、井戸の横に転がっていたものを昼のうちに直しておいた。水を汲んで、火にかける。


 入れるものが、ほとんどない。


 残りのパンを半分。道端で摘んだ野草。塩は少し。それだけだ。


「……薄いな」


 薄いが、ないよりはいい。


「明日、山を見ますか」


 鍋に言う。


「きのこがあれば、だいぶ違うんですけどね」


「あと、畑ですね」


「土が塩を吹いてました。あれは直せます」


「井戸も、下を見ないと」


「水脈が動いてるだけなら、戻せると思うんですよ」


 数えていると、また楽しくなってきた。


 悪い癖だ。人が寝ている横で。


「すみません」


 と、眠っている背中に謝った。


 湯気が立ってきたころ、背中で音がした。


 布の擦れる音だ。


 振り返る。


 少女が、上体を起こしていた。


 起きて、自分の右脚を見ている。


 見ている、というのが正確ではない。目を見開いて、動かない。手が、触れようとして、途中で止まっている。


 触れたら消えるとでも思っているような手つきだった。


 指が、震えている。


「……あ」


 シルフィの口が、動いた。


 声にならなかった。もう一度、動いた。


「……あ、し」


「はい」


「あし、が」


「ああ、はい」


 俺はうなずいた。


「直しておきました」


 シルフィは、こちらを見なかった。


 まだ、自分の脚を見ている。膝を、そっと曲げた。曲がった。伸ばした。伸びた。


 指が、一本ずつ動いた。


「動きますよね」


「……」


「あ、ふくらはぎは細いままです。そこは歩けば戻るので」


「……」


「触っていいですよ。消えませんから」


 シルフィの手が、ようやく脚に届いた。


 触れて、止まった。


 肩が、大きく上下した。


「あ、起きましたか」


 俺は鍋のほうへ顎を向けた。


「お腹すいてない?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。