第6話「錆びた鉄くずが」
錆が、剥がれた。
一枚ずつだ。
赤茶けた層が薄片になって、掌の中で浮き上がる。浮いて、風に散る。その下から、次の層が出てくる。それも剥がれる。
二十年分を、順番に。
剥がれ終わった芯は、細く、頼りない棒だった。
そこから先が、本番だ。
この鉄が、まだ炉から出たばかりだったころ。打った職人が水に沈めて、湯気を上げていたころ。あのときの形を思う。
棒が、太くなった。
散った錆が戻ってくるのではない。抜けていた鉄そのものが、内側から満ちてくる。
刃の面が広がって、峰が立って、鎬の線が引かれる。
鋼の目が、揃った。
最後に、刃の縁へ細かい波が走った。焼き入れのときの模様だ。
灯りもないのに、その線だけが白く見えた。
「はい、いいですよ」
俺は柄になった部分を握って、少女に差し出した。
「使えますか。これ」
少女は、それを見ていた。
黒い塊が、もう小屋の壁に届いている。土くれが飛んで、頬に当たった。
それでも、少女は刃を見ていた。
「……聖銀」
「え」
「これは、聖銀の刃よ」
「ああ、いえ。そのへんの鉄くずです」
「そんなわけが」
「錆びてただけですよ。もとが良かったんです」
「もとが良かった、ですって」
「はい」
少女の手が、動いた。
柄を掴む。
掴んだ瞬間、目の色が変わった。
そこからは、速かった。
少女は、右脚が動かないまま、左脚だけで身を起こした。
壊れた脚を引きずって、前へ出る。塊が腕のようなものを振り下ろす。少女はそれを避けなかった。
擦れ違いざま、一度だけ振った。
音は、しなかった。
黒い塊が、真ん中から分かれた。分かれた断面から湿った霧のようなものが噴き出して、それきり動かなくなった。
血は流れなかった。
そういう魔物なのか、そういう斬り方なのか、俺にはわからない。
ただ、きれいだった。
剣を使う人を近くで見たのは、初めてではない。ガイルも、ドルクも、毎日見ていた。
それとは、違った。
「……見事ですね」
俺は言った。
「一回で、終わりましたね」
「……」
「あの、怪我は」
「……ない」
「よかった」
少女は答えない。
刃を下ろしたまま、立っている。肩が上下している。長い耳の先が、震えていた。
「あの」
「……ありえない」
「はい?」
「この刃。手に、重さがない」
少女がつぶやいた。
「振ったのではないわ。振ろうと思った先に、もう届いていた」
「そうですか」
「こんな武器を、わたしは知らない」
「よかったです」
「よくない」
「よくないですか」
「よくない」
「でも、勝ちましたよね」
「勝った。それが問題なのよ」
「はあ」
「わたしは、片脚で立っていたの」
「はい」
「片脚で、あれを、一度で」
「すごいですね」
「すごくない。おかしいのよ」
「そうですか」
「そうですか、って」
少女が、こちらを向いた。
青い目が、大きく開いている。
「あなた、何をしたの」
「直しました」
「何を」
「その、鉄くずを」
「直した」
「はい」
「錆を落としたのではなく」
「落としましたけど、そのあとです」
「そのあと、何をしたの」
「錆びる前に戻しました」
「戻す」
「はい」
「鉄くずから、聖銀は生まれない」
「もとから聖銀だったんだと思いますよ」
「そんな話は聞いたことがない」
「錆びてると、わからないものですから」
本当にそう思っていた。
使えそうな鉄が落ちていて、錆びていたから、錆びる前に戻した。それだけのことだ。
「人間」
「ルークです」
「……ルーク」
「はい」
「わたしは、シルフィ」
「シルフィさん」
「さんは、いらない」
「はい。シルフィさん」
少女は、何か言うのをあきらめたようだった。
「ルーク」
「はい」
「聞くわ。あなたは何を生業にしているの」
「町の修理屋です」
「町の」
「はい」
「修理屋」
「はい」
シルフィは、手の中の刃を見た。白い波が、月明かりを返している。
「町の修理屋が、聖銀を打つの」
「打ってません。直しただけです」
「同じことよ」
「違いますよ。打つのは鍛冶屋の仕事です。俺のは、直すだけなので」
「……そう」
「はい」
「ルーク」
「はい」
「この刃を、もう一度、見せて」
「どうぞ」
シルフィは刃を灯りのほうへ傾けた。傾けて、しばらく黙った。
「銘がある」
「え」
「刃元。ここに」
覗き込んだ。
たしかに、小さな刻みがある。錆の下にあったものが、出てきたのだろう。
「読めますか」
「読める。……古い字よ」
「どのくらい古いんですか」
「わたしが生まれる前」
「へえ」
「へえ、で済ませないで」
「すみません」
「なんて書いてあるんですか」
シルフィは答えなかった。
指で、その刻みを一度だけなぞった。
「なんでもないわ」
「そうですか」
なんでもなくはなさそうだったが、聞かないことにした。
持ち主の物だ。
「あなたは、いま、自分が何をしたか、わかっていないのね」
「鉄を直しました」
「そう」
シルフィは、短く息を吐いた。
「そう、なのね」
それから、何か言いかけた。
言いかけて、そのまま、前へ倒れた。
「あっ」
俺は駆け寄って、抱き止めた。
軽かった。
思っていたよりずっと軽い。骨の上に、あまり肉がない。ずいぶん長く、まともに食べていない体だ。
そして、冷たかった。
右脚の黒が、さっきより上がっている。膝の上。太腿の半ばまで。
明日には心臓へ届く、と本人は言っていた。
明日ではないな、と思った。
「……あの。起きてますか」
返事はない。
息はある。浅いが、ある。
「シルフィさん」
「……」
「起きてください」
「……」
返事はない。
腕の中の重さが、さっきより重くなった気がした。力が抜けたからだ。
「あ、これは、まずいですね」
急に、実感が来た。
鉄なら、錆びていても待ってくれる。二十年でも待ってくれた。
この人は、待ってくれない。
「聞こえてます? 運びますね」
俺はシルフィを抱えて、直したばかりの小屋へ運んだ。
床に寝かせて、灯りを近づける。
それから、右脚を、もう一度、よく見た。




