↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/107

第5話「銀の髪と、壊れた脚」

 外に出た瞬間、それが草を分けて転がり出てきた。


 人だった。


 月明かりで、髪が白く光った。銀色だ。長い耳が、髪の間から覗いている。


 エルフだ、と思うより先に、俺は駆け寄っていた。


「大丈夫ですか」


「……」


「聞こえますか」


「……」


「動けます?」


 少女は答えない。


 というより、こちらを見ていない。息が浅い。地面に爪を立てて、前へ這おうとしている。


「待って、動かないで」


「……に、げて」


「え」


「にげ、て。くる」


 少女が言った。


 そのとき、森が鳴った。


 木が押し倒される音だ。二本、三本。太い幹が、紙のようにたわんで折れる。


 出てきたものは、大きかった。


 黒い。輪郭が湿っている。四つ足のようで、足の数が合わない。ひとつの塊が、いくつも脚を生やしているように見えた。


「……あれは」


「澱み、から、生まれたもの」


「なんですか、それ」


「知らないの」


「すみません、魔物には詳しくなくて」


「……人間」


 少女が、かすれた声で笑った。笑ったのだと思う。


「この距離で、まだ立っていられるのね」


「はい」


「普通は、腰が抜ける」


「そうなんですか」


「そういうものを、あれは撒く」


「へえ」


「へえ、ではないわ」


「すみません」


「……変な人間ね」


「よく言われます」


 少女の目が、わずかに動いた。呆れたのだと思う。


 呆れる元気があるなら、まだいい。


「逃げなさい」


「あの、その前に」


 俺は少女の腕を取った。


 そこで、初めて脚を見た。



 右脚だった。


 膝から下が、黒い。


 黒いというのは、汚れているという意味ではない。皮膚の色が、内側から死んでいた。指の先まで、乾いた木のような色をしている。


 毒だ。それも、ずいぶん前の。


 触れると、冷たかった。


 生きている人の体温ではない。冷えた石を触っているのと同じだ。


「……あー」


 俺は思わず声を出した。


「こりゃひどく壊れてるね」


 少女が、初めてこちらを見た。


 青い目だった。


 その目に、怒りとも呆れともつかないものが浮かんだ。それから、ゆっくりと諦めに変わった。


「……そう。壊れているの」


 声が、少しだけ整った。


「森の高位の術者が、三人がかりで、十日かけた」


「はい」


「それでも止まらなかった。もう膝の上まで来ている」


「そうですか」


「そうですか、って」


「いえ、大変だったなと」


「……あなた、怖くないの」


「脚がですか」


「わたしが。エルフが。こんな姿で」


「見慣れてはいないですけど」


「なら」


「壊れてるものは、怖くないので」


「明日には心臓へ届く。だから」


 少女は俺の手を、ふりほどこうとした。


「あなたは逃げなさい。人間。わたしを庇う理由がない」


「いえ、あの」


「わたしは死ぬ。決まったことよ」


「あ、はい」


 俺はうなずいた。


「決まってるんですか」


「決まっている」


「誰が決めたんですか」


 少女が、目を細めた。


「……毒が」


「毒は決めないと思いますけど」


「言葉遊びをする気」


「いえ、そういうつもりでは」


「わたしは、森でいちばん深く癒す者たちに診てもらったのよ」


 少女の声が、少しだけ高くなった。


「その三人が、無理だと言った。その意味がわかる?」


「わかります」


「わかっていない」


「治す方法がない、ということですよね」


「そうよ」


「はい」


 俺はうなずいた。


 それは、たぶん、そのとおりなのだろう。


「あの、でも」


「まだ何か」


「治すのと、直すのは、違いませんか」


 少女は、答えなかった。


 何を言われたのか、わからないという顔だった。


「治すのは、お医者さんの仕事です」


「……ええ」


「俺は、お医者さんじゃないので」


「だから、何」


「だから、たぶん、話が別なんです」


「意味がわからないわ」


「すみません。うまく言えなくて」


 本当に、うまく言えなかった。


 親方なら一言で言えたかもしれない。俺には無理だ。


 うなずいてから、あたりを見回した。


 黒い塊は、もう畑のあたりまで来ている。土を押しつぶす音がする。あと十を数えるほどだろう。


 少女を抱えて逃げても、追いつかれる。


 戦う手はない。剣を握ったこともない。


「困ったな」


「だから逃げなさいと」


「いや、そうじゃなくて」


「……そうじゃない?」


「はい。困ったのは、そこじゃないです」


 少女が、わずかに眉を寄せた。


 俺は足元を見た。


 畑だったところの縁に、金属が落ちている。昼間に見つけて、そのままにしていたものだ。


 拾い上げた。


 鉄くずだった。


 農具の刃だったのだろう。二十年ぶんの錆で、もう形も定かではない。指で押すと、端が粉になって落ちた。


「これ、もとは良い鉄ですね」


「……何を言っているの」


「打った人が丁寧です。目が揃ってる」


「人間」


「はい」


「あなた、いま、何をしているの」


「材料を探してました」


「材料」


「はい」


「あれが来ているのよ」


「はい」


「あと、五つ数えるほどで、ここに来る」


「そうですね」


「あなた、聞こえている?」


「聞こえてます」


「なら、なぜ」


「急いだほうがいいですよね」


 俺は錆に指をかけた。


「急ぎます」


 俺は錆の下を指でなぞった。


 錆の層の、さらに下。この鉄が、まだ焼き入れの直後だったころの形が、そこにある。


 そこまで戻せばいい。


「あの、ひとつ聞いていいですか」


「……なに」


「お名前は」


「……いま?」


「あ、あとでいいです」


「……」


「すみません、続けます」


「もうひとつ聞いていいですか」


「……どうぞ」


「剣、使えますか」


「……は」


「使えますか。剣」


「使えるけれど」


「よかった」


「よかった、って」


「俺、使えないので」


 少女が、俺を見た。


 それから、こちらの手の中の鉄くずを見た。


「まさか、それで戦えと」


「いえ、これはまだ鉄くずなので」


「……まだ?」


 答えなかった。


 答えるより、手を動かすほうが早い。


 黒い塊が、柵を越えた。


 柵は、ばらばらになって飛んだ。


 俺はしゃがんで、少女の目の高さに合わせた。それから、鉄くずを両手で握った。


「ちょっと待ってね」


 息を吸う。


「これ、直すから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。