↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/112

第4話「廃村オルト」

 三日歩いて、道が終わった。


 道が終わってからも、草を分けて半日進んだ。


 そして、開けた。


「——うわあ」


 思わず、声が出た。


 斜面のふもとに、村があった。


 屋根が落ちている。壁が崩れている。柵は倒れて、蔦に埋もれている。井戸の縁は割れて、畑だったところは白く乾いていた。


 人の気配はない。鳥の声だけがする。


 ひどい有様だ。


「……ここ、全部、直せるのか」


 声が震えた。


 情けない話だが、少し泣きそうだった。


 村ひとつ。屋根も、壁も、柵も、井戸も、畑も、道も。全部が壊れていて、全部が誰のものでもない。


 つまり、誰にも怒られない。


「すごいな」


 俺は坂を下りた。



 まず、村を一周した。


 数えるためだ。


「一軒」


 崩れた小屋。


「二軒」


 壁だけ残った家。


「三軒。これは、屋根がありますね」


「四軒」


「五軒。あ、ここは物置ですか」


「じゃあ、数え直しますね」


 声に出すと、数を間違えない。親方に教わった癖だ。


 十一軒あった。


 それから、井戸がひとつ。水車が半分。物置が二つ。柵は、もう柵の形をしていない。


 広場の真ん中に、石を積んだ台がある。かまどの跡だろうか。祭りのときに火を焚く場所かもしれない。


「立派ですね、これ」


 台に言う。


 台の縁が欠けていた。誰かが荷車をぶつけた跡だ。


「これ、ぶつけましたね」


「痛かったでしょう」


「あとで直します」


「今日じゃなくて、すみません」


 村のいちばん奥に、鍛冶場があった。


 炉が残っている。屋根は落ちているが、炉そのものは煉瓦が崩れただけだ。


「……ここ、いいなあ」


 思わず、しゃがみ込んだ。


「煙突、ここですか」


「うまいですね」


「風が、こう抜けるようにしてある」


「作った人、わかってる人ですよ」


 炉の口に手を入れた。奥まで、灰がぎっしり詰まっている。


「これ、最後まで使いましたね」


 使い切って、それから村を出たのだ。


「あとで、ちゃんと見ますね」


「約束します」


 名残惜しかったが、立ち上がった。


 今日は、寝る場所を作るのが先だ。



 一番手前の小屋から始めることにした。


 理由は簡単で、そこが一番ひどかったからだ。


「こんにちは」


 返事はない。当たり前だ。


「あの、勝手にすみません。ちょっと見ますね」


 屋根はほとんど落ちて、梁が斜めに垂れている。壁板は半分が腐って、指で押すと崩れた。床は苔で緑になっていた。


「うわ、これは」


「柱、二本とも駄目ですね」


「あ、いや、こっちは芯が生きてます」


「よかった」


「壁板は、半分ですか」


「いや、六割ですね」


「床は……全部ですね」


「梁は……あー」


「二十年、雨ざらしですか」


 俺は梁に手を置いた。


「よく持ちましたね」


「偉いですよ、あなた」


 腐った木は、湿って柔らかい。芯まで水を吸って、繊維がほどけている。


 ほどけた繊維の、ほどける前を思う。


 山で立っていたころ。まっすぐ空へ伸びていて、目が詰まっていて、切り口から樹脂の匂いがしていたころを。


 梁が、動いた。


 黒く崩れた表面が、細かい粉になって落ちる。落ちた下から、乾いた木肌が出てくる。


 ほどけていた繊維が、逆へ巻き戻る。


 一本ずつだ。ゆっくりではない。目で追えるくらいの速さで、繊維が縒り合わさっていく。


 垂れていた梁が、下から押し上げられるように水平になった。


 かん、と軽い音がした。


 継ぎ手が、噛み合った音だ。


「はい、そのまま」


 続いて、屋根板。


 苔が浮いて、剥がれ落ちる。板の反りが伸びる。落ちていた一枚が、地面から浮いて、元の位置に戻った。


 釘の錆が薄片になって剥がれ、下から鉄の色が出る。


 壁が閉じていく。


 床の苔が消えて、板目が現れる。


 最後に、樹脂の匂いがした。


 山の匂いだ。切り出したばかりの木の匂い。


「……はい、いいですよ」


 俺は手を離した。


 小屋は、新しかった。


 新しいというか、この小屋が建った日に戻っていた。戸の建て付けまで直っている。押すと、すっと開いた。


 中は、埃ひとつない。


「うん」


「いいですね」


「ここに寝ます」


「よろしくお願いします」


 小屋に頭を下げた。


 悪くない。


 悪くないが、少し引っかかった。


 床の隅に、木彫りの馬が転がっている。子供の玩具だ。首が取れていた。


 拾い上げて、しばらく見た。


「首、取れてますね」


 馬に言う。


「直しましょうか」


 言ってから、手が止まった。


 彫り跡が粗い。線が揃っていない。素人の仕事だ。たぶん、この家の誰かが子供のために彫った。


 これを直したら、どうなるだろう。


 継ぎ目は消える。彫り跡も、彫った日のとおりに揃う。粗いままの、あの日のとおりに。


 ——いや。


 そうではない気がした。


「……これは、いいか」


 そのまま棚に置いた。


 持ち主の物だ。俺が勝手に触るものではない。


「すみません。勝手に触って」


 棚に向かって頭を下げた。



 外へ出て、井戸へ向かった。


「こんにちは」


 井戸に言う。


 縁石が割れて、内側へ落ちている。落ちた石が、下で詰まっていた。


「これ、危ないですね」


 覗き込む。暗い。石を一つ落としてみた。


 音が、遠い。


 それから、乾いた音がした。


「……水、ないですね」


 宿場の主人の言ったとおりだ。井戸が涸れて、村が終わった。


「縁だけ、直しておきます」


「下は、明日にします」


「暗いので」


 割れた石が起き上がり、欠けが埋まって、円が閉じた。石の目が揃って、縁が滑らかになる。


「はい、いいですよ」


「水は、明日ですね。下を見ないと」


 それから、隣の小屋の戸を直した。


 戸だけだ。中には入らなかった。


「今日はここまで」


 声に出して、自分に言う。


 腹が減っていたのと、もうひとつ、うれしすぎて手が雑になりそうだったからだ。


 雑になると、人の物を壊す。親方の言ったとおりだ。


「明日は畑ですね」


 畑に向かって言う。返事はない。


「そのあとが水脈です」


「井戸は縁だけ直しても、下が枯れてたら意味がないので」


「柵は、そのあとで」


「あ、道もありますね」


「道って、直せるんでしょうか」


「石畳なら直せますよね」


「土だと、どうなんでしょう」


「土も、物ですよね」


「じゃあ、いけますか」


 数えているうちに、楽しくなってきた。


 火を熾して、もらったパンを半分だけ食べた。


 残りは明日の分だ。


 道具袋を枕にして、俺は横になった。


 天井がある。


 十年ぶりに、自分の屋根の下で寝る。


「……幸せだな」


 目を閉じかけた、そのときだった。



 森の奥で、悲鳴がした。


 人の声だ。


 続いて、低い唸り。


 獣の、ではない。もっと重くて、湿った音だった。


 俺は跳ね起きた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。