第69話「値段の話」
朝は、いつもどおりに来た。
列もいつもどおりだった。番号は四十二まで出ている。
ドルクさんは奥の部屋で寝ていた。起きられるのに、寝かせてある。
シルフィさんがそう決めた。
「一日は、休んでいただきます」
「元気だぞ」
「休んでいただきます」
「腹、なんともねえって」
「休んでいただきます」
「……はい」
三度、同じことを言っていた。ドルクさんは押し返さなかった。
外では、番号を呼ぶ声がしていた。
ミオさんの声だ。声が昨日より通っている。寝ていないのに、通っていた。
ガイルさんは卓のところにいた。夜のあいだ、座らなかったらしい。
外套の肩に、赤い土がついている。乾いて、粉になりかけていた。
椅子は引いたままだ。
その前に、財布が置いてある。置いたのは、昨日のうちだった。
「職人」
「はい」
「いくらだ」
「値段は俺が決めてないです」
「誰が決める」
「あちらの方です」
シルフィさんが番号札を置いた。置いて、卓の前へ来た。
来て、頭を下げた。下げ方が、客に対するときのものだった。
「お代を申し上げます」
「言え」
「銀貨で、六十枚でございます」
「……安いな」
「決まりでございますので」
「命の値段だぞ」
「命に、値はつけません」
「では、何の値だ」
「手間の値でございます」
ガイルさんは財布を開けた。中身を卓へ出した。
銀貨が崩れて広がった。
シルフィさんはそこから六十枚を数えた。数えて、残りを寄せ返した。
寄せ返す音が揃っていた。
「多いです」
「取っておけ」
「頂戴いたしません」
「なぜだ」
「決まりでございますので」
「……そうか」
シルフィさんは六十枚を袋へ入れて、受付へ戻った。戻る途中で、一度も振り向かなかった。
「職人」
「はい」
「戻れ」
ガイルさんはそう言った。声は、平らだった。
帳簿の数字を読み上げる声だ。十年、この声を聞いていた。
「倍の給金を出す」
「お断りします」
「即答か」
「はい」
「聞いてからにしろ」
「聞きました」
「団は、建て直す」
「そうですか」
「お前がいれば、戻せる」
「戻らないです」
「なぜだ」
「もう、ここの仕事が入ってるので」
「ここの仕事」
「はい」
俺は窓のほうを見た。坂に、列が続いている。いちばん下は、見えない。
「待ってる人がいるんです」
「待たせておけ」
「それは、できないです」
「あとで直せばいい」
「番号の順なので」
「順」
「はい。順です」
ガイルさんは黙って、卓を見た。卓には、まだ銀貨が残っている。
「三倍だ」
「同じです」
「四倍」
「同じです」
「……五倍」
ガイルさんは硬貨を積み始めた。
積んでいるのは、さっき寄せ返された銀貨だった。
十枚ずつ、重ねていく。
一つ目は、鈍い音だった。
二つ目は、少し高い。
三つ目は、もっと高くなった。
積むほど、音が上がっていく。高くなるのは、下が硬くなるからだ。
卓の板が、たわまなくなる。金床の上で、鉄が締まるときと同じだ。
そういうことは、耳でわかる。
俺はその音を聞いていた。聞きながら、卓の端を見ていた。
卓の端に、剣が二本ある。
一本は、折れていた。中古の、安いやつだ。折れ口が、白い。根元から、指三本のところだった。あそこは買う前から欠けていたと思う。
もう一本は、抜いていない。鞘の金具に、獅子が彫ってある。口金が縦に割れていた。
吊り紐の垂れ方を見れば、中の寄りがわかる。真ん中で寄っている。あれは、二つになっている。
十年、毎晩、俺が見ていた剣だ。
最後に直したのは、出ていく前の晩だった。あのときは、鏡になるまで戻した。
戻した面も、使えばまた減る。減ったらまた戻す。
その繰り返しが十年ぶんあった。繰り返しが止まるとこうなる。こうなるのは、当たり前のことだ。
誰のせいでもない。
「聞いているのか」
「聞いてます」
「五倍で足りんなら、言え」
「あの」
「なんだ」
「その金額だと、何を直せばいいんでしょう」
ガイルさんの手が止まった。
「なんだと」
「それだけ、いただくとなると」
「……」
「たぶん、門とか、橋とかだと思うんです」
「門」
「はい。町の門です」
「……」
「でも、門は壊れてないですし」
「そういう話ではない」
「そういう話じゃないんですか」
「違う」
「じゃあ、何を直すんでしょう」
俺は本当にわからなかった。
値段は、直すものの手間で決まる。手間が決まらないのに、値段だけが上がっていく。
これでは、どこから手をつけていいのかがわからない。
「あの、すみません」
「なんだ」
「先に、直すものを聞いてもいいですか」
「……」
「そうしたら、値段が出せますので」
ガイルさんは答えなかった。答えずに、積んだ硬貨を見ていた。
積み上がった塔は十まで来ていた。十の塔が、卓の上で影を作っている。
朝の光が坂の側から入っていた。影は、扉のほうへ伸びていた。
「おい」
ダグさんが壁から離れて、卓の横に立った。木の指で、卓を一度だけ叩いた。
「そいつは、金じゃ動かねえ」
「金で動かん者はいない」
「いるんだよ、ここに」
「……」
「あんた、昨日から見てただろ」
「見ていた」
「見て、まだそれか」
ガイルさんはダグさんを見た。見て、それから、俺を見た。
目が、少し動いた。
探している目だった。何を探しているのかは、わからなかった。
ミオさんが俺の袖を引いた。引いて、小さい声で言った。
「ねえ」
「はい」
「あの人、何がしたいニャ」
「わからないです」
「金、置いてくだけじゃん」
「そうですね」
「置いたら、直るの」
「直らないです」
ハーグさんは帳簿を開いたままだった。
開いたまま、何も書いていない。書かずに、口も挟まなかった。挟まないのが、この人の仕事の仕方だ。
人の値段を、人に決めさせる。
決まるまで、待つ。待つのが、いちばん時間がかかる。
俺は硬貨の塔をどけた。どけて、そこへ道具袋を置いた。
「あの、ガイルさん」
「なんだ」
「お金は、しまってください」
「なぜだ」
「置いておくと、無くします」
「……」
「ここ、人が多いので」
ガイルさんは動かなかった。動かないまま、卓に手をついた。ついた手が、少しだけ震えていた。
震えたのは、寒いからだと思った。夜通し、立っていたのだ。
俺は上着を取りに行こうとして、止まった。
奥の部屋の扉が、開いていて、ドルクさんが、そこにいた。
包帯のまま、床に手をついている。
寝台から、這い出してきていた。
そして、額を床につけた。




