第65話「落ちた勇者」
灯りは一つのままだった。ミオさんが二つ目を点けた。
点けて、卓の真ん中へ置いた。
ハーグさんは奥から綴りを持ってきた。薄い綴りだった。
紐が一本だけ通してある。
紙は上等ではない。毛羽が縁に残っている。急いで断ったのが、見て分かった。
「本部から、月に一度回ってくる」
「なんの紙ですか」
「等級が動いた者の名簿だ」
「動いた人だけですか」
「動かん者は、書かん」
「合理的ですね」
「紙が高いからだ」
ハーグさんは頁を繰った。繰る指が、途中で止まった。
止まって、そこを開いたままにした。
名の欄に、線が引いてある。引き直した線だ。
下に、前の等級が透けていた。
「あった」
「はい」
「三月で四回も失敗している。装備が保たん」
「四回ですか」
「失敗の欄に、線が四本だ」
「線ですか」
「一つにつき、一本引く」
「わかりやすいです」
「わかりやすくしてある」
俺はその欄を見た。線は四本だった。
一本目がいちばん太い。
四本目は、細かった。
同じ人が、同じ日に引いた線ではない。
「隣の欄は、なんですか」
「連れの名だ」
「一つしかないです」
「一つだ」
「前は」
「五つ書いてある。四つに線が引いてある」
「そうですか」
「残ったのは、ドルクだ」
「ドルクさんですね」
「知っとるのか」
「盾の人です」
「盾が一枚か」
「一枚です」
ダグさんが卓のこちらへ来て、綴りを覗いた。
覗いて、木の指で欄をなぞった。
「失敗の中身は書いてあるか」
「短い」
「読め」
「三度は、途中で退いた」
「四度目は」
「装備が壊れて、退けなかった」
「それだ」
「そうか」
「それが、いちばん悪い」
ダグさんは椅子を引いて、座った。座り方が、重かった。
「あの道は、二人で行く場所じゃない」
「二人ですか」
「二人だ」
「四人でも、俺たちは戻ってきました」
「戻ってきたな」
「途中までです」
「途中までだ」
「二人だと、どうなりますか」
「片方が担ぐ側になる」
「担ぐ側」
「担いだら、もう一人ぶんは戦えん」
「なるほど」
「なるほどで済むか」
「済まないですね」
「済まん」
ダグさんは木の手を卓に置いた。置いて、指を一本ずつ曲げた。
五本、順に曲げた。曲げて、開いた。
二年前に、そこには何もなかった。
何もなくなった日のことを、この人は言っている。
俺はそう思った。
思ったが、聞かなかった。
ハーグさんは綴りを閉じた。閉じて、紐を結び直した。
「装備が保たんのは、金がないからだ」
「そうですね」
「金がないのは、失敗したからだ」
「はい」
「失敗したのは、装備が保たんからだ」
「回りますね」
「回る」
「大変ですね」
ハーグさんが顔を上げた。上げて、俺を見た。
しばらく、見ていた。
「それだけか」
「はい」
「あれは、お前を追い出した男だぞ」
「そうですね」
「腹が立たんのか」
「立たないです」
「一度もか」
「一度もです」
ハーグさんは眼鏡を外して、拭いた。
拭くところは、汚れていなかった。
卓の向こうで、音がした。番号札が卓に落ちた音だった。
シルフィさんがそれを拾わなかった。拾わずに、立っていた。
「ルーク様」
「はい」
「一つ、伺ってよろしいですか」
「はい」
「あの方は、十年、装備を使っておいででした」
「使ってましたね」
「毎晩、直したのはどなたですか」
「俺です」
「毎晩でございますか」
「毎晩です」
「休みは」
「なかったです」
「十年」
「十年です」
シルフィさんは声を上げなかった。上げずに、言葉だけが速くなった。
「あの方は、お礼を言われましたか」
「言われてないです」
「一度もですか」
「一度もです」
「今夜、名を名乗られましたか」
「名乗ってないです」
「頭を、下げられましたか」
「下げてないです」
「ルーク様は、下げられました」
「下げました」
「なぜ」
「久しぶりだったので」
「……」
「そういうときは、下げます」
卓の灯りが一度揺れた。揺れて、戻った。
ハーグさんは眼鏡をかけ直していた。かけ直したまま、口を開かなかった。
ダグさんも、黙っていた。
俺は何を言えばいいのか分からなかった。分からないので、待った。
シルフィさんは目を閉じた。閉じて、息を一つした。
開けたときには、いつもの顔だった。
いつもの顔で、言った。
「……あなたが怒らないから、わたしが怒ります」
「はい」
「よろしいですか」
「いいと思います」
「では、怒ります」
「はい」
シルフィさんは番号札を拾った。拾って、順に並べ直した。
並べる音が、いつもより硬かった。が、硬いだけで、乱れてはいなかった。
ミオさんが、俺の袖を引いた。
「ねえ」
「はい」
「あの人、なんで謝らないニャ」
「……さあ」
「わかんないの」
「わからないです」
「考えたことないの」
「考えたことないです」
「なんで」
「謝られる話だと、思ってなかったので」
ミオさんは俺を見た。
しばらく、見ていた。
「あたしは、三年考えた」
「はい」
「謝らせてって、ずっと思ってた」
「はい」
「あんたのは、なんなの」
「わからないです」
「ずるいニャ」
「そうですか」
「ずるいよ」
ミオさんは袖を離した。離して、箒を持って外へ出た。
出る前に一度だけ振り返った。何も言わなかった。
朝はいつもどおりに来た。列は門の外まで伸びていた。
番号は、四十まで出ていた。
俺は扉を開けて外へ出た。掲示板を、先に見る癖がついている。
板は乾いていた。苔は戻っていない。紙が六枚あった。
昨日は、七枚だった。
いちばん右が、無い。
いちばん古い紙が、あったところだ。
画鋲だけが残っていた。四つとも、刺さったままだ。
紙だけが、抜き取られている。
破れた角が、画鋲の下に残っていた。
俺は受付へ戻った。
「ハーグさん」
「なんだ」
「掲示板の紙、一枚減ってます」
「どれだ」
「いちばん右です」
ハーグさんが立ち上がった。立ち上がるのが、速かった。
台帳を開いて、受注の欄を見た。見て、そこで止まった。
「……受けとる」
「誰がですか」
「名が、二つ書いてある」
「二つですか」
「二人だ」
「危険度は、上から二つ目でしたね」
「二つ目だ」
「報酬は、金貨で六枚です」
「六枚だ」
「割は、いちばんいいです」
「いちばんいい」
「危ないのも、いちばんです」
「……そうだ」
ダグさんが扉から入ってきた。入って、台帳を覗いた。
覗いて、動かなくなった。
ミオさんが箒を落とした。落ちた音が、部屋に残った。
台帳の欄に、名が二つ書いてあった。
一つは、ガイル。
もう一つは、ドルクだった。




