第64話「フードの男」
男は入ってこなかった。扉のところに、立ったままだった。
背が高い。鴨居に頭が近い。
外套はいい布だった。いい布が、裾のところで擦り切れている。
繕った跡が二箇所ある。縫い目が粗い。自分で縫った縫い目だ。
靴は、右だけ底が減っていた。左は、まだ厚い。
踏み出す足が、決まっている人の減り方だった。
俺はそういうところから見る癖がある。道具でも、人でも、同じだ。
「入れ」
ハーグさんが、そう言った。
男は一歩だけ入って、扉を閉めた。
閉め方が静かだった。
「もう閉める時刻だ」
「……」
「用件を言え」
「仕事を、探している」
声は低く、部屋の隅までよく届く声だった。
「登録は」
「ある」
「札を出せ」
男は外套の内へ手を入れて、札を出した。卓に置くとき、音がした。
札は、赤銅の色をしている。
ハーグさんがそれを引き寄せた。
「上から三つ目か」
「……」
「悪くない」
「……落とされた」
「落とされたのか」
「ああ」
「いくつからだ」
「……上から二つ目」
「一つか」
「一つだ」
「一つで済んだのは、運がいい」
「そうか」
ハーグさんは帳簿を開いて、羽根ペンを取った。
取ってから、顔を上げた。
「名は」
「……」
「名を書く欄がある」
「札に書いてある」
「札を読み上げようか」
「やめてくれ」
「なら、書け」
男は羽根ペンを取らずに、掲示板のほうを見た。
窓越しに、外の板が見えている。夜だから、紙は読めない。
「掲示は、明日でいい」
「……」
「今夜出るような依頼は、ここには無い」
「割のいいのを、聞きたい」
「明日だ」
「今夜、決めたい」
「決めても、朝まで動かん」
「……」
「座れ」
男は座らなかった。立ったまま、部屋を見ていた。
卓を数えている目だった。
卓は五つある。
三日前まで、埋まるのは一つだった。
いまは、朝から五つとも埋まる。
男は壁の高いところも見た。四角い跡のあるところだ。
見て、そこで目を止めた。止めて、何も言わなかった。
ミオさんが目を覚ました。箒を抱えたまま、椅子から下りた。
下りて男を見た。尻尾が、低いところで止まっている。
シルフィさんは番号札を並べたままだった。並べる手だけが、少し遅くなった。
俺は卓の端にいた。
剣が目の高さにあった。
男が腰に提げている鞘の口金が、割れていた。
縦に、指の幅ぶんだ。
割れた口から、鞘の内側が見えている。
内は木だ。
木が毛羽立っている。抜き差しのたびに、刃が当たる。
当たると、刃の側も傷む。
「あの」
「……」
「その鞘、口金が割れてます」
「……」
「そのままだと、刃も痛みます」
「……」
「直しましょうか」
「いらない」
「はい」
「金がない」
「お代は、いらないです」
「いらないものは、いらない」
「はい」
俺は下がって、卓の端に座った。
押しつけるのは、俺の仕事ではない。
男はそこから動かなかった。フードは脱がなかった。
下の顎だけが、灯りに入っている。
無精髭が伸びていた。
伸びたのを、剃った跡がある。
剃って、また伸びたのだ。
姿勢だけが、まっすぐだった。肩の線が落ちていない。
立ち方に、癖がなかった。
「宿は」
「決めていない」
「宿代は」
「……」
「前借りは、うちではやらん」
「頼んでいない」
「そうか」
「明日、来る」
「来い」
「……」
「明日は、朝から人が並ぶ」
「並ぶのか」
「並ぶ」
「この町のギルドがか」
「そうだ」
「……変わったな」
ハーグさんが羽根ペンを置いた。
「知っていたのか」
「通ったことがある」
「いつだ」
「十年前だ」
「そうか」
「札が、七枚しか出ていなかった」
「出とらんかった」
「今は」
「今は、足りん」
男はそこで黙って、卓の札を取り戻した。
取って、外套の内へ入れた。入れるとき、袖が上がった。
手首に、革の紐が巻いてある。
巻き方が二重だ。籠手を留めていた紐だと思ったが、籠手は無かった。
「もう一つ聞く」
「なんだ」
「北の鉱山道は、まだ出ているか」
部屋の音が消えた。ミオさんの箒が、床に当たった。
「出ている」
「割は」
「いちばんいい」
「危険度は」
「上から二つ目だ」
「戻った者は」
「おらん」
「……そうか」
男は扉のほうへ体を向けた。向けて、一度だけ止まった。
「明日、見に来る」
「来い」
俺は立ち上がった。立って、いつもの高さで、頭を下げた。
「お久しぶりです」
男は答えなかった。振り向きもしなかった。
肩が一度だけ止まって、また動いた。
扉が開いた。外の風が入ってきた。入って、灯りが揺れた。
扉が閉まった。閉まる音は、静かだった。
シルフィさんが立ちかけていた。立ちかけて、座り直した。
座り直して、番号札を揃えた。揃える音が少し大きかった。
「ねえ」
「はい」
「知り合いニャ?」
「前の職場の人です」
「前の職場」
「はい」
「なんの仕事してたの」
「装備を直す仕事です」
「その人は」
「使う人です」
「ふうん」
「はい」
ミオさんは箒を拾って、扉の前を掃いた。
外套の裾から、土が落ちていた。赤い土だった。
この辺りの土ではない。
ミオさんはそれを掃かなかった。箒の先で、脇へ寄せただけだった。
寄せて、しゃがんで見ていた。
見て、指で触った。触って、匂いを嗅いだ。
「乾いてる」
「そうですか」
「山の土だニャ」
「詳しいですね」
「斥候だから」
「はい」
「ルーク様」
「はい」
「お茶を、淹れます」
「もう夜ですよ」
「淹れます」
「じゃあ、いただきます」
シルフィさんは奥へ立った。立つとき、椅子を戻さなかった。
戻さない人ではない。
ハーグさんは帳簿を見ていた。名の欄が空のままだ。
空の欄に、線を引いた。引いて、閉じた。
「札を見たぞ」
「はい」
「読み上げなかった」
「はい」
「読み上げたほうが、よかったか」
「どちらでもいいです」
「……そうか」
「ハーグさん」
「なんだ」
「札は鉄ですか」
「銅と、錫だ」
「割れやすいやつですね」
「割れたのを見たことがある」
「直せますよ」
「直す話は、していない」
「はい」
「お前は、いつもそれだな」
「はい」
ダグさんが剣を鞘へ収めた。収めて、卓に置いた。
置いて、扉のほうを見ていた。ずっと、そこを見ていた。
その人は低く言った。
「あいつ、勇者ガイルだろ」




