第63話「目方」
秤は店先にあった。商会の、いちばん目立つところだ。
台が、石でできている。
皿は、二枚とも真鍮だった。
磨いてある。
磨きすぎて、縁が薄い。
「これ、なんですか」
「町の基準です」
「基準」
「ミルデ中の秤は、これに合わせます」
「みんなで合わせるんですか」
「年に一度、持ち寄っていただきます」
「便利ですね」
「便利でございます」
レンツさんは、そう言った。言いながら、皿の縁を布で拭いた。拭く必要はなかった。
俺は、分銅の箱を見た。木の箱に、六つ並んでいる。
いちばん大きいのを、持ち上げた。
「触らないでいただけますか」
「はい」
俺は手を離さなかった。底を返して見た。
鑢の目が渦を巻いている。中心から外へ薄く削り、削った上から磨いてあった。
「これ、削ってありますね。もとの重さに戻します」
「お待ちください」
「はい」
もう、終わっていた。
削られた面から、地金が寄っていった。結晶が互いを探して噛み合う。
渦の目が内側から埋まった。埋まって、面が平らになった。鏡になった。
俺はそれを台へ戻した。
台がわずかに沈んだ。
石の台が、音を立てて沈んだ。
「はい、いいですよ」
「……何をなさいました」
「もとに戻しました」
「もとが、どれかお分かりですか」
「分かります」
「なぜ」
「削る前の形が、ありますので」
レンツさんは答えずに、皿を見た。皿は釣り合っていなかった。
「一つだけですか」
「はい」
「ほかは」
「ほかは壊れてません」
「壊れて、おりませんか」
「削ってあるのは、これだけです」
「……なるほど」
「はい」
翌朝、町のあちこちで音がした。
皿の傾く音だ。
どこの店も、同じ時刻に開ける。開けて、最初にやるのが目方の確かめだった。
パン屋の前を通った。主人が、粉の袋を秤に載せている。
載せて、下ろして、また載せた。
三度やって、手を止めた。
「合わない」
「合いませんか」
「多い」
「多いんですか」
「うちの皿が多く出る」
「そうですか」
「ずっと、こうじゃなかった」
「はい」
主人は隣の店へ行った。隣も、同じことを言っていた。
鍛冶屋も、言っていた。
農家の荷車が、三台止まっていた。止まって、みんな秤を覗いている。
昼までに、通りの半分が数えていた。数えていたのは、損だった。
一日に、どれだけ足りなかったか。それが誰にでも出せる形になっていた。
「二割だ」
パン屋の主人が、そう言った。
「二割ですか」
「うちの粉、毎回二割足りなかったのか」
「そうなるみたいです」
「十年だぞ」
「十年ですね」
「……十年だ」
主人は袋を置いた。置いて、そこへ座った。
座ったまま、指を折り始めた。
一日、二袋。十年で、七千三百袋。その二割だ。
折る指が、途中で足りなくなった。足りなくなって、板に書き始めた。
書いたのは、炭だった。
「あんた」
「はい」
「これ、返してもらえるのか」
「わかりません」
「誰に聞けばいい」
「数えられる人に、聞いてください」
「数えられる人ってのは、誰だ」
「一人、知ってます」
ベルタさんが来たのは、その日の昼だった。
荷車を、門の外に置いてきていた。置いてくる人ではない。
「話は聞いた」
「早いですね」
「街道で三人に聞いた」
「三人ですか」
「三人が三人とも、秤の話をしてた」
「そうですか」
「ルーク、あんた何をした」
「秤を直しただけですよ」
「……あんたね」
「はい」
ベルタさんは商会の前に立って、帳面を開いた。
筆は持っていない。持たずに、指で押さえた。
「支配人代理を出しな」
レンツさんは出てきた。出てきて、頭を下げた。
「一つ、伺います」
「どうぞ」
「基準の分銅は、いつからあれだった」
「わたくしの着任前でございます」
「着任は」
「十年前でございます」
「じゃあ十年だ」
「証しはございません」
「削り跡が証しだよ」
「削り跡は、消えております」
「消したのは誰だい」
「……」
「消える前に、六十人が見てる」
通りに人が立っていた。
数えていないが、数えなくても、多かった。
「十年ぶんだ。一日一枚として、いくらになる」
「……銅貨で、三千六百五十枚」
「一軒ぶんだね」
「一軒ぶんでございます」
「早いじゃないか」
「商いでございますので」
「じゃあ、店の数を掛けな」
「……」
「掛けられるだろう」
「掛けられます」
「言いな」
「……計算を、やり直させてください」
「やり直しな」
ベルタさんは帳面を閉じた。閉じて、それきり何も言わなかった。
殴らなかった。怒鳴りもしなかった。数えただけだった。
「ベルタさん」
「なんだい」
「怒らないんですね」
「数が怒ってる」
「はい」
「あたしは、数えるだけだよ」
三日で、片がついた。代官所へは、誰も行かなかった。
行かなくても、王都から人が来た。
王家の監察だという。
ザイデルという代官は、その日のうちに任を解かれた。
俺は、その人を一度も見ていない。
商会は潰れなかった。潰さないことで、話がついた。払う側になっただけだ。
ギルドの借財は消えた。消えたうえで、商会が毎月払う側になった。
紙はレンツさんが自分で書いた。
自分の帳簿が、そのまま縄になっていた。
「職人殿」
「はい」
「あなたは、何をなさったのですか」
「秤を直しました」
「それだけですか」
「それだけです」
「……そうでしょうね」
「はい」
「わたくしは、あなたを恨みません」
「よかったです」
「恨む先が、こちらにありますので」
レンツさんは頭を下げた。下げて、馬車へ乗った。
馬車の扉に、埃がついていた。
その夜、ギルドの卓に灯りが一つ点いていた。
ハーグさんが元帳を閉じて、紐を結んだ。
「これで査察は通る」
「通りますか」
「通る」
「よかったです」
「礼を言う」
「秤を直しただけですよ」
「……そうか」
「はい」
ミオさんが椅子で寝ていた。箒を、抱えたままだ。
ダグさんは剣を拭いていた。
シルフィさんが、番号札を並べ直している。
扉が鳴った。叩く音だった。
三度、間を置いて三度。
ハーグさんが顔を上げた。
「開いてる」
扉が開いた。外は暗い。男が、一人立っていた。背が高い。
フードを、目深にかぶっている。雨も降っていないのに、かぶったままだった。




