第61話「灰蜂の笛」
布は二重だった。外が油布で、内が麻。
結び目は三つあった。
ミオさんがそこへ手を伸ばした。伸ばして、止めた。
「開けていいの」
「持ち主のものです」
「持ち主、いないよ」
「じゃあ、置いた人のものです」
「意味わかんない」
「はい」
「ルーク様」
「はい」
「わたくしは、下がっております」
「近くにいてください」
「近くの、後ろにおります」
「お願いします」
ミオさんは一つ目をほどいた。二つ目もほどいた。三つ目で、指が止まった。
ダグさんが隣にしゃがんだ。しゃがんで、木の手を出した。
木の指が、布の端を押さえた。
押さえただけだった。
ミオさんが三つ目をほどいた。中から笛が出てきた。掌より少しだけ長い。
歌口のところが骨で、下が木だった。
継ぎ目に、細い輪金が巻いてある。
笛は縦に割れていた。
割れ目が、下から上まで通っている。
中に、土が詰まっていた。
「ダグさん」
「なんだ」
「これ、笛ですね」
「笛だ」
「骨は鹿ですか」
「鹿だ」
「いい継ぎ方です」
「そうか」
「テオのだ」
ダグさんが、そう言った。
「知ってる」
「吹き口を、削り直してあるだろう」
「知ってる」
「唇が厚かったからな」
「知ってるニャ」
ミオさんは笛を受け取らなかった。受け取らずに、石を見ていた。
石は、七つ積んであった。角の合わないものが、三つある。
急いで積んだ人の、積み方だった。それでも、倒れてはいなかった。
「ミオ」
ダグさんが名前を呼んだ。その呼び方を、俺は初めて聞いた。
「なに」
「二年、言わなかったことがある」
「……なに」
「お前は見落としてない」
ミオさんの耳が動かなくなった。
「柱は腐ってた」
「腐ってた」
「お前はそれを見て、戻ってきた」
「戻ってない」
「戻った」
「戻ってない!」
「坑口の三つ手前だ」
「……」
「支えが白い、とお前は言った」
風が、道の下から上がってきた。
草は揺れなかった。
「白いのは乾いてるからだと、俺は言った」
「……」
「腐って白くなる木があるのを、俺は知ってた」
「……嘘ニャ」
「嘘じゃない」
「嘘だって言ってよ」
「言わん」
「なんで」
「言ったら、お前がまた三年彫る」
「彫るよ」
「彫らせるわけにいかん」
「あたしが決めることだよ」
「そうだな」
「そうだよ」
「だから、言った」
ミオさんは後ろへ下がった。下がって、石に背中が当たった。
石は動かなかった。
「俺がお前の報せを無視した」
「……」
「三本の手を突き返したのも、それだ」
「なんで」
「受け取ったら、これを言わにゃならん」
「言えばよかった」
「言えなかった」
「二年もニャ」
「二年だ」
ダグさんは右手で膝を掴んだ。掴んだまま、動かなかった。
「テオが最後に吹いたのは、退けの合図だ」
「……」
「あれはお前が吹かせた」
「あたしは吹いてない」
「お前が報せたから、あいつが吹いた」
「……」
「三人、戻ってる」
「……三人」
「お前と、俺と、もう一人だ」
ミオさんは、何も言わなかった。十年ぶんくらいの顔で、黙っていた。
俺は少し離れて立っていた。立って、笛を見ていた。
土は湿っていない。十年、湿らなかった土だ。
俺は一歩だけ出た。
「あの」
「なんだ」
「これ、直していいですか」
「俺に聞くのか」
俺はそこで止まった。
持ち主に聞く。それが決まりだ。
その人はいない。いない人の許可は、もらえない。もらえないときのことを、俺は決めていなかった。
俺は笛を見た。それから、ダグさんを見た。
「持ち主が、いないので……あなたに聞きます。直していいですか」
「俺は持ち主じゃない」
「はい」
「それでも聞くのか」
「はい」
「……直せ」
俺は、笛を持ち上げた。
骨は冷たかった。木のほうがもっと冷たい。
俺は、割れる前の形を思った。
割れ目の縁が内へ寄った。寄って、噛み合った。噛み合った線が、消えていく。
中の土が粉になった。粉が、下の口から落ちた。落ちて、石の上に細い山を作った。
輪金の錆が、薄片になって剥がれた。剥がれた下から、白い金が出た。
管の内側が形を思い出した。思い出したところで、一度だけ鳴った。息を入れていないのに、鳴った。
「……鳴ったぞ」
「鳴りましたね」
「息を入れてない」
「管が通ったので」
「通ると、鳴るのか」
「風が入れば、鳴ります」
「ここは無風だ」
「持ち上げたぶんが、入りました」
「そうか」
「はい、いいですよ」
俺は吹かなかった。吹くのは、俺の役ではない。
俺は、笛をミオさんへ差し出した。
「どうぞ」
「……いらない」
「持ち主が、決めることです」
「あたし、持ち主じゃない」
「今日は、そうです」
ミオさんは両手を出した。出して、受け取った。受け取って、しばらく見ていた。それから、口へ持っていった。
短い音が、二つ鳴った。高いのと、低いのだ。低いほうが、長かった。
音は道の下まで届いた。届いて、返ってこなかった。
「……退けの合図だ」
ダグさんが、そう言った。
ミオさんの手から、笛が落ちた。落ちて、草の上で跳ねた。跳ねて、割れなかった。
ミオさんはそこへ座り込んだ。声を出さずに、泣いた。
ダグさんは、立ったままだった。
動かなかった。
シルフィさんが顔を背けた。背けて、道の反対を見ていた。
見るものは、何もなかった。
俺は笛を拾って、布で包んだ。結び目は三つにした。
帰り道で、誰も喋らなかった。
ミオさんは包みを胸に抱えていた。抱え方が、木の手のときと同じだった。
柵まで戻ったころ、日が落ちた。
坂の下に、ミルデの灯りが見えた。
「ダグさん」
「なんだ」
「依頼は、どうしますか」
「戻す」
「はい」
「今日は、そこまでだ」
「はい」
「ルーク様」
「はい」
「あの子の分の荷は、わたくしが持ちます」
「重くないですか」
「重うございます」
「じゃあ、半分ください」
「半分だけ、差し上げます」
「ありがとうございます」
門は開いていた。開いているのに、番の人がいない。
通りの先が、明るかった。ギルドの前に、人が集まっている。
声が外まで出ていた。夜のギルドは、静かなはずだ。
扉は、開いたままになっていた。
中で、ハーグさんが立っていた。棚の前だった。鍵は壊れていない。棚の戸だけが、開いている。
中は、空だった。
帳簿と権利書が、そこから消えていた。




