第60話「北の鉱山道」
依頼票は掲示板のいちばん右にあった。紙がいちばん古い。
画鋲の穴が、四つ開いている。
貼り直された数だ。
「危険度は」
「上から二つ目だ」
「報酬は」
「金貨で、六枚」
「高いですね」
「高い」
「なんで残ってるんですか」
「戻った者がおらん」
「そうでしたね」
ダグさんは票を外して、受付に置いた。
「二人で入る」
「四人です」
俺はそう言った。
「お前は戦えん」
「戦いません」
「なら、なぜ来る」
「壊れたものを、直します」
「壊れる前提か」
「壊れます」
「……そうだな」
「シルフィさんも来ます」
「聞いていない」
「わたくしは、参ります」
「怪我をしたら」
「治します」
「治すのか」
「治すのは、わたくしの仕事です」
ダグさんは少し黙った。黙って、木の手を握った。
「離れるな。俺の後ろだ」
「はい」
「ハーグさん」
「なんだ」
「この依頼、受けます」
「四人でか」
「四人です」
「一人は、職人だぞ」
「二人が、職人です」
「……エルフの嬢ちゃんもか」
「わたくしは、受付でございます」
「受付が山へ入るのか」
「受付は荷を持ちます」
「……そうか」
「はい」
「日暮れまでに戻れ」
「戻ります」
「戻らんかったら、わしが行く」
「来ないでください」
「行く」
道の入口は、半日歩いたところにあった。
柵が二重に組んである。組んだ木が白い。十年前の木はこうならない。もっと黒くなって、崩れる。
柵の木に、斧の跡があった。跡の中まで、白い。
札が柵に下がっていた。字が消えていない。十年ぶん、雨に打たれた札のはずだ。
「ミオさん」
「なに」
「この札、新しく見えます」
「新しくない」
「わかりますか」
「あたし、この札に触った」
「いつ」
「二年前」
「……そうですか」
柵の向こうは、ただの道だった。石を敷いた、荷車の通る道だ。
両側に草が伸びている。伸びているというより、そこで止まっている。背丈がみんな同じだった。
奥へ入ると荷車があった。横倒しになっている。
車輪の鉄輪に手を当てた。
冷たい。錆が、ない。十年、雨に当たった鉄がない。
「ダグさん」
「なんだ」
「この鉄、錆びてないです」
「見ればわかる」
「油も塗ってないです」
「わかる」
「じゃあ、なんでですかね」
「知らん」
「ミオさん」
「なに」
「この荷車、二年前もありましたか」
「あった」
「同じ向きですか」
「同じ」
「輪の位置は」
「……同じ」
「そうですか」
「動いてない」
「二年で、ですか」
「二年で」
荷を縛った縄が垂れていた。
朽ちていない。朽ちていないが、新しくもない。
撚りがそのまま止まっている。
俺は縄へ手を伸ばした。伸ばして、止まった。
「ここ、変ですね」
「変か」
「壊れてるのに、壊れてる感じがしないです」
「どういう意味だ」
「どういう意味でしょう」
俺は縄をつまんで、目を閉じた。閉じて、この縄の前の姿を思った。
何も、出てこなかった。壊れた縄なら、前の姿がある。この縄には前がない。
俺は手を離した。
「ルーク様」
「はい」
「お手が、止まっております」
「止まりました」
「戻しますか」
「戻す先が、見つからないです」
「では、置いてまいりましょう」
「はい」
「ルーク様」
「はい」
「この道は、匂いがいたしません」
「匂いですか」
「腐るものが、ないので」
「あ、そうですね」
「森にも、こういう場所がございました」
「そうですか」
シルフィさんはそれきり黙った。
空は、明るかった。明るいのに、鳥の声がしない。虫も、飛んでいない。音は自分たちの足音だけだった。
草も、同じだった。枯れていない。伸びてもいない。
踏むと、折れずに寝た。寝たまま、起き上がってこない。
「右、三つ」
ミオさんの声が前から飛んだ。
「上にもいるニャ」
「下がれ」
ダグさんが前へ出た。木の手で、盾の握りを掴んでいる。掴んだまま、腕が下がらない。
出てきたのものは、人の形をしていて、顔がなかった。
ダグさんが斬った。血は出なかった。湿った霧になって、崩れた。崩れた霧が、地面に落ちる前に消えた。
「三つ目、左へ回ったニャ」
「見えている」
シルフィさんが灯りを高く投げた。投げた先が、明るくなった。
明るいところで、二つが止まった。止まったところへ、ダグさんが入った。
「剣」
「はい」
「刃が飛んだ」
「貸してください」
「時間は」
「三十数えたら返します」
俺は剣を受け取った。根元から、指二本ぶん欠けている。欠けた口が白い。
俺はそこへ指を当てた。
欠けた面から、結晶が寄っていった。寄って、互いを探して噛み合う。
鈍い灰色が内から締まって色を変えた。刃の線がまっすぐ戻る。十七まで数えたところで、鏡になった。
「はい、いいですよ」
ダグさんが右手を出した。出した手に、柄を返した。
二十三だった。
あとは、見ていた。見ているだけで、何もしなかった。
それが、俺の持ち場だ。
「ダグさん」
「なんだ」
「その盾、縁が反ってます」
「使える」
「使えますけど、次で割れます」
「なら、直せ」
「はい」
「何秒だ」
「十です」
「短いな」
「鉄なので」
三度、剣を受け取った。二度、盾の縁を直した。
最後の一つが崩れたとき、霧が谷のほうへ流れた。
流れた霧は途中で薄くならなかった。薄くならないまま、木の間へ入っていった。
道はそこから下っていた。下った先に坑口があるらしい。
石が、乾いている。水の跡があるのに、乾いている。
坂の石に轍が残っていた。轍の底に、土が溜まっていない。
十年、風も吹かなかったように見えた。
「ダグさん」
「なんだ」
「戻りますか」
「まだだ」
「暗くなります」
「わかっている」
ミオさんが前を歩いていた。歩き方が途中から変わった。足の置き方が静かになった。静かになって、止まった。
道の脇だった。石を積んだ、低いところだ。積んだのは、人だ。
俺は少し離れて立った。近づくのは、俺の役ではない。
ダグさんが先に歩いた。ミオさんが、しゃがんだ。
石の間から、何かが出ていた。布に包まれた、細長いものだ。
布の端に、灰色の蜂が刺してある。
灰蜂の、仲間のものだった。




