第57話「謝れない人」
朝の一番は、昨日の義足だった。七つ目の留め具に半日かかった。
革は鹿ではなく、山羊だった。持ち主が帰ったのは、昼過ぎだ。
外の列は、坂の下まで伸びていた。
ハーグさんが、朝から番号を配っている。
紙は、帳簿の裏を裂いたものだ。昨日より細い。細いのは、人が増えたからだった。
ダグさんは扉の外に立っている。立って、何もしていない。
「ミオさん」
「なに」
「次の人、お願いします」
「二番」
「はい」
「二番のひとー」
外で椅子の動く音がした。
扉が開いた。
入ってきたのは、女の人だった。
フードを目深にかぶっている。杖を抱えていた。
昨日、列に立っていた人だ。
「どうぞ、座ってください」
返事がなかった。
「あの、お預かりするものは、それですか」
女の人はフードに手をかけて、外した。
「あ。メルヴィさん」
俺はそう言った。言ってから、椅子を勧め直した。
「立ったままだと、疲れますよ」
「……」
「歩いてきたんですか」
「……三週間」
「三週間ですか」
「オルトへ、行った」
「あ、村のほうですか」
「ええ」
「遠回りでしたね」
「……ええ」
「二日、損しましたね」
「……ええ」
部屋は狭い。卓が一つと椅子が二つ。
窓は坂に向いている。窓の下から、話し声が上がってきた。
メルヴィさんはまだ立っていた。立ったまま、手を腰の横で握っている。
「……ルーク、わたしは」
「はい」
「わたしは、あの日」
「はい」
「……謝りに、来たの」
「何を謝るんですか」
メルヴィさんが顔を上げて、俺を見た。目は合わなかった。
「あの日のことなら、ガイルさんの言ってたことは合ってましたよ」
「……合ってた」
「北へ入るなら、人数は絞ったほうがいいです」
「あなたは」
「俺、戦えないので」
「……そういう話じゃない」
「そうですか」
「そうよ」
「じゃあ、どういう話ですか」
メルヴィさんは答えなかった。答えずに、息を吸った。
吸って、止めた。
「怒って、いないの」
「怒ってないです」
「恨んでも」
「恨んでないです」
「……なぜ」
「なぜと言われると、困ります」
俺は少し考えた。考えたが、出てこなかった。
「あの、次の方が待っているので」
「……ええ」
「杖、見ましょうか」
杖は両手で差し出された。俺も両手で受け取った。
木肌が黒い。雨染みだ。染みたところだけ、木目が沈んでいる。
継ぎ目が三箇所。三つとも、浮いている。
上と下で木が違った。上は、たぶん樫だ。下は、わからない。
握りの下に革が二重に巻いてある。巻き方に、癖がある。
石突きが丸い。突いて歩いた丸まり方では、ない。立てて置いた跡だ。
置く場所が、いつも同じだったのがわかる。
「これ、いつからのものですか」
「師から譲られたわ」
「何年ですか」
「二十二年」
「長いですね」
「……ええ」
「これ、割れたのは最近ですか」
「……三月前」
「そうですか」
「置いてきたの」
「戻ったんですね」
「……ええ」
俺は上から下へ、指を滑らせた。滑らせて、途中で止まった。
止まったところから、動かなかった。
「三回、作り直してますよね」
「……ええ」
「持ち主も、途中で替わってる」
「替わってない。わたしのよ」
「作り直す前のは、師匠のです」
「……ええ」
「継いだ人も、別の人ですね」
「……村の、木工の人に頼んだ」
「その人の形が真ん中に残ってます」
俺は目を閉じて、この杖の前の姿を思った。
三つ、出てきた。
一本の木だったころ。
継いだばかりのころ。
いまの、この形。
どれも、同じくらいはっきりしている。
俺はもう一度、上からなぞった。なぞって、また同じところで止まった。手が、行き先を決められない。
「すみません」
「なに」
「どれが本当の形か、俺にはわからないんです」
メルヴィさんは、何も言わずに、椅子に手をついた。ついて、そのまま座った。座るというより、落ちた。
椅子が少し鳴った。背もたれの継ぎが緩んでいる。
あとで直そう、と思った。思ってから、順番を思い出した。
直すのは番号の順だ。
俺は杖を膝へ戻した。
「戻す先が、三つあるんです」
「……」
「どれかにすると、あとの二つを壊すことになります」
「……」
「だから、手が止まります」
「……直せない、ということ」
「直せないです」
「あなたが」
「はい」
「……そう」
メルヴィさんは杖を見た。見て、両手で抱えた。抱え方が、昨日の列と同じだった。
シルフィさんは壁のところに立っていた。立って、一言も言わなかった。
いつもなら、椅子を引く。
水も、先に出す。
帰る人には、外まで付いていく。
今日はどれもしなかった。手を前で組んで、動かないだけだ。
目は伏せていない。伏せずに、床のあたりを見ている。
いつもと違うので、少し不思議だった。
メルヴィさんは立ち上がった。立ち上がるのに、時間がかかった。
「工賃は」
「直してないので、いらないです」
「……そう」
「あ、雨には当てないでください」
「え」
「締まると言われますけど、あれ、逆です」
「……」
「継ぎ目から、水が入ります」
「十年、当てていたわ」
「はい」
「割れなかった」
「毎晩、拭いてましたから」
「……」
「油も塗ってました」
「……知らなかった」
「言ってないです」
メルヴィさんは、動かなかった。
俺は余計なことを言ったかと思った。言わなくても、よかった話だ。
「あの」
「……なに」
「拭くのは、布でいいです」
「……ええ」
「油は実のやつがいいです。木が吸います」
「……ええ」
「継ぎ目のところは、順目に」
「……ええ」
「あと、立てて置かないでください」
「……なぜ」
「下に、水が溜まります」
「……」
「横にして、布の上がいいです」
「……ええ」
「そうすれば、あと二十年はもちます」
「……直らないのに」
「直らなくても、もちますよ」
メルヴィさんは扉まで歩いた。歩いて、把手に手をかけた。
かけたまま、動かなかった。
外の音が入ってきた。番号を呼ぶ、ミオさんの声だ。
「三番のひとー」
メルヴィさんが振り返った。
「ルーク」
「はい」
「……ガイルが、この町にいるわ」




