第55話「義手屋ではありません」
黒塗りの馬車はその日、何も置いていかなかった。しばらく止まって、坂を下りていった。
誰も降りてこなかった。
次の朝、坂に人がいた。昨日の倍だった。
剣を持っている人は、いなかった。
みんな、袖か裾が余っている。結んである人。折り込んである人。杖をついている人。人に肩を借りている人。
坂の下まで、続いていた。
「シルフィさん」
「はい」
「昨日と、違いますね」
「はい」
「剣が、ないです」
「ございませぬ」
「どこから来たんでしょう」
「東の村からと、聞きました」
「二日ですよね」
「三日、歩いた方もおいでです」
「……あの」
「はい」
「義手屋じゃないんですけど」
「では、何屋でございますか」
「修理屋です」
「そのように、申し伝えます」
「伝わりますかね」
「伝わりませぬ」
「ですよね」
「並んだ方は、帰りませぬ」
「帰らないですね」
「ですから、順に伺うほかありませぬ」
「はい」
俺は袖をまくって、扉を開けた。
いちばん前の人が立ち上がった。立ち上がるのに、時間がかかった。
一人目は、老いた男だった。木の手を布に包んで持ってきた。
「二十年、使った」
「二十年ですか」
「息子が彫った」
「よく使いましたね」
「使うしかない」
「はい」
指が二本、根元から失われている。付け根の受け口が割れていた。
割れ目に脂が染みている。染みたところだけ黒い。
俺は割れ口に触れた。
木の中で、水が上がった。白かった木口が、濡れて色を持つ。
失われた指の付け根から、繊維が編み上がっていく。編み上がって、節が出た。
節と節が噛み合った。樹脂の匂いがした。
「動かしてみてください」
「……動く」
「動きますね」
「息子に、見せる」
「はい」
「彫ったのは、十六の年だ」
「じゃあ、十六の彫りのままにしました」
「……そのままか」
「そのままです」
男は手を胸に抱えて出ていった。外で、列がざわめいた。
半日、かかっていた。日はもう高い。
「ミオさん」
「なに」
「次の人、呼べますか」
「呼ぶ」
「あと、水を一杯」
「あんたの?」
「並んでる人のです」
「……日陰、ないニャ」
「じゃあ、先に布を張りましょうか」
「あたしがやる」
「杭、打てますか」
「打てる」
「壊さないでくださいね」
「……いきなり練習じゃん」
ミオさんは、桶と柄杓を持って出ていった。
道具袋は肩に掛けたままだった。中身は、まだ鑢が一本だ。
ダグさんは扉の外に立っていた。立って、何もしていない。何もしていないのに、列が乱れなかった。
次は、脚だった。女の人が抱えて持ってきた。
鉄と、革と、骨でできている。
骨は獣の骨だ。
留め具が七つある。
七つとも、形が違った。
「これ、どなたが作ったんですか」
「三人です」
「三人ですか」
「壊れるたび、別の人に頼みました」
「なるほど」
俺は一つずつ触った。一つ目は、すぐ分かった。
鉄だ。鍛えた日が、鉄に残っている。
錆が薄片になって浮いて、落ちた。
二つ目も、分かった。
三つ目で、止まった。
「あの」
「はい」
「この革、どこの獣か分からなくて」
「鹿だと、聞いています」
「鹿は、こう縮まないです」
「そうですか」
「もう少し、考えます」
「……時間が、かかりますか」
「かかります」
「明日でも」
「今日、やります」
俺は床に座った。座って、革を膝に載せた。
縮んだ革は、指で押すと戻らない。戻らないものは、まだ思い出していない。思い出すまで、触っている。
日が傾いた。
留め具は五つまで来ていた。
残りは、二つ。
シルフィさんが灯りを持ってきた。持ってきて、何も言わずに置いた。
「ルーク様」
「はい」
「日が暮れます」
「暮れますね」
「明日に、なさいますか」
「もう少しです」
「もう少しは、いつまででございますか」
「……分からないです」
「では、灯りを足します」
「お願いします」
「ルーク様」
「はい」
「木のお手は、半日でございました」
「木は、速いです」
「こちらは」
「三つ、知らないものが入ってます」
「では、三倍でございますか」
「三倍では、すまないです」
「外の方は、五十人おいでです」
「そうですか」
「一日に、お一人でございますね」
「今日は、一人と半分でした」
「半分は、数えませぬ」
「厳しいですね」
外で声がした。低く通る声だ。
俺は窓から見た。
ハーグさんが紙を裂いていた。帳簿の裏紙だ。細く裂いて、番号を書いている。
「番号を配る。呼ばれるまで座って待て」
列の前のほうから、手が出た。
紙を受け取った人が、番号を見て、隣の人に見せた。隣の人が自分の番号と比べた。比べて、順番を入れ替えた。
誰も、揉めなかった。
肩を借りている人が、前へ回され、回した人は後ろへ下がった。
待つ人が自分たちで列を直していた。
ハーグさんの手が途中で止まった。止まって、しばらく動かなかった。紙を持ったまま、坂の下を見ていた。
それから、また書き始めた。書く手は速い。
あの音を、俺は知っている。
夜、ハーグさんが戻ってきた。
「ハーグさん」
「なんだ」
「手が、止まってましたね」
「止まっておらん」
「止まってましたよ」
「……紙が、足りんかっただけだ」
「足りましたか」
「足りた」
「よかったです」
「明日も、配る」
「はい」
「これは、ギルドの仕事だ」
「そうなんですか」
「そうだ」
「じゃあ、お願いします」
「頼まれてはおらん」
「はい」
ハーグさんは、番号の控えを帳簿へ写していた。写す欄が足りなくなっていた。
足りない分は、余白へ書いていた。
その夜、義足は終わらなかった。
留め具は六つまで来た。七つ目は、明日になる。
俺は革を布で包んで預かった。預かるとき、持ち主が聞いた。
「明日、来ればいいですか」
「はい」
「番号は」
「一番です」
「……一番」
「明日の、一番です」
戸を閉める前に、坂を見た。
列はまだ坂に沿って残っていた。番号をもらった人が、そのまま座っている。
夜に帰る道がない人たちだ。
その中ほどに、一人、立っている人がいた。
女の人だった。
フードを目深にかぶっている。顔は見えない。
杖を抱えていた。




